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初めての仕事 4
スラムの中でも一番店が密集していて、怖い人もうつろな人もまともそうな人も、ともかく色んな人が入り混じっている区画を通っている時だ。仲間だろうか屈強そうな男たちを数人従えて歩く大男がじっとこちらを見ていることに気づいた。ちらりとリュカを見ると、既にリュカもその存在には気づいていた様だ。珍しく表情が強張り、緊張の糸がいつにも増してピンと張っている。
「リュカじゃねえか」
野太くて粘つく声だった。わざわざ一直線に近づいてきたくせに、今しがた気づいたかの様な言い草が白々しい。
「お前が誰かと連れ立って歩いてるなんて珍しいこともあるもんだ」
「なんか用?」
「冷たい事言うなよ。お前は俺のオンナだろ?」
思わず強面の男の顔を二度見する程、聞き捨てならないセリフだった。僕は大いに驚いて、リュカと大男の顔を代わる代わる見たけど、リュカは変わらない表情で、けっ、と吐き捨てただけだった。
「てめえ誰だぁ?見ない顔だな」
男は無下にされたリュカの態度につっかかる訳でもなく僕の顔を覗き込んできた。初めにリュカに言われた通り、街を歩く時に僕はフードを被っていた。
「ツラぁ見せろや」
怖い顔でギロリと睨まれた。言うとおりにしないと酷い目に遭わされる気がした。けど、こんな風にフードを取れと言われた時の事を思い出してしまって躊躇した。またあんな事を言われたらどうしよう……。
それでも一瞬の逡巡の後、決意した。この場をなるべく穏便に済ませることが先決だって。この大男は、僕を追い剥ぎしたり追いかけ回してきた男たちとはオーラが違う。そんな小物じゃなくて、もっと大物。リュカがいくら身軽で強くても、僕みたいなお荷物を背負って無傷で逃げおおせるのは至難の業だろう。そう思って地面に薪を置いた。手が使えなきゃフードを外せない。
「脱ぐな」
頭に手を伸ばしかけたのを、苛立った様なリュカの声が遮ぎった。
「おいシダ。こいつに絡むのはやめろ」
「どうしたリュカ。らしくねえな。何を怒ってる?」
「今言ったろ。こいつには構うな」
「なんだよムキになりやがって妬けるじゃねえか。このガキ一体ナニモンだ?」
「知らねえ」
「あぁ?んだそれ。じゃあ質問を変える。こいつはリュカの何なんだ?」
「別になんでもない」
「の割には随分ご執心みてえじゃねえか。まさか恋人とか言うんじゃねえだろうな」
「そんなんじゃねえよ」
「なあリュカ。お前が貴族の女食い荒らしてんのは目ぇつぶる。だが特定の相手作られんのは見過ごせねえなあ」
「だからそんなんじゃねえって言ってんだろ」
「嘘じゃねえだろうなあ?」
リュカの身体がバランスを崩して傾く。男が重そうな腕を、その体格と比べると大分華奢に見えるリュカの肩に回したからだ。傾いだリュカの耳元にニヤニヤ笑みを浮かべた男の口元が近づく。そこで何事かを囁いて、男はリュカを解放した。
「行くぞ」
僕は少しの間茫然としていた。リュカにそう声を掛けられた時にはもう男たちはこちらに背を向けていて、リュカも一歩足を踏み出して僕を振り返っていた。
「あの人リュカの、」
「聞くな」
ぴしゃりと拒絶されて、僕は何も言えなくなった。あの男がリュカの耳元で囁いた言葉は、受け入れたくなかったけれど本当は僕にも聞こえていた。「今夜部屋に来い」あいつはそう言った。
幸せだった気持ちを一気に突き落とされたのは2回目だった。しかも昨日から二日連続。リュカはあの男とどんな関係なんだろう。あの男がリュカを見る目は粘ついていた。リュカの目はどうだっただろう。分からない。あいつが僕に絡んできた時は少し怒っていたけれど、それ以外では感情を表に出さなかった様な気がする。唯一反応があったと言えば、あいつに声を掛けられる前だ。いつになく緊張していた様に見えた。あの男の言うように、リュカがあの男と関係を持っていたとして、リュカはそれを決して望んでないと僕は思う。だって二人の間に甘い雰囲気なんて皆無だった。むしろ殺伐とした空気すら漂っていた。
そう思ったのに、僕はリュカに何も言えなかった。ぎこちなくリュカが作ってくれたご飯を食べて、どうか行かないでって願いながら朝の訪れを待つことしかできなくて……。
「出かけてくる」
結局神頼みでは恐れていた事態から逃れられなかった。喉がひゅっとなって、声が出ない。
「戸締りはしておくから心配すんな。ちゃんと寝てろよ」
ポンポン、はなかったけれど、リュカは昨日と同じくらい優しい声色でそう言うと、外套を羽織って玄関を出て行ってしまった。
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