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世界が灰に染まった日 1
あいつは、思いついた様に気まぐれに俺を呼び出す。月に1回程度の事もあれば、3か月くらい間が空く時もある。そういう時は、もう終わったのだろうか、と期待してしまう。けど、その期待はここ何年もの間何度も何度も裏切られ続けてきた。その癖毎回希望を持ってしまう俺も、たいがい間抜けだ。
スラム中心部の古びたビルの3階。入り口に門番よろしく立っていた下っ端からは顔パス扱い。そんな風になるまで、もう何度も足を踏み入れた場所だというのに、この瞬間だけは未だに慣れない。所謂社長室に続く重厚なドアをノックする手が震える。こんな姿絶対あいつには見せられない。
「待ちくたびれたぜ」
その言葉が真実であることを証明するようにドアはすぐに開かれた。こっちは心の動揺を落ち着かせる時間がもう少し欲しかったというのに。
「いい加減飽きたのかと思ってた」
第一声が震えずに出たことに安心した。この調子ならいつものポーカーフェイスも上手く作れているだろう。
「可愛いこと言うじゃねえか。なんだ、寂しかったのか?」
「冗談きつい」
前に呼び出されてから、もうすぐ4か月になるところだった。俺の記憶が確かなら、これまでで一番長く間が空いた。これは期待したって仕方ないだろ。
「俺がお前に飽きるわけねえじゃねえか。何なら正式に娶ったっていいんだ」
「勘弁しろよ」
「俺は本気だぜ。お前さえその気になってくれりゃあ、いい暮らしをさせてやんのに……」
顎を持ち上げられ、唇が重なる。男のぶ厚くてかさついた唇の感触は何度繰り返してもしっくり来ない。熱くて質量の大きな舌に口の中を征服されるのも。
キスをされながら身体をまさぐられ、大きな執務机の上に押し倒される。性急に上着のボタンを外され、上衣を捲りあげられたかと思うと、素肌に舌が這った。
「おいちょっと待て」
「なんだ」
シダが目線だけ寄越す。舐めるのやめろよ。
「シャワーを使いたい」
「ああ?んなの待ってられるか」
「今日は一日中薪を割ってたから汗だくなんだ」
「確かにちょっとしょっぱいな」
「だから言ってる」
「どれどれ」
やめろと言っているのに、シダは俺の胸元に顔を伏せた。そしてあろうことかそこですんすんと鼻を鳴らした。
「嗅ぐな!」
「確かに汗くせえ。けど、悪くねえな」
「はあ?」
「お前幾つになったんだっけなぁ。まだまだガキの匂いしてんぞ」
「んなわけ、」
「ここも、いつになったらボーボーになるんだあ?」
いきなり下履きの中に手を突っ込まれた。シダに比べると頼りなくしか生えていないそこをさわさわと撫でられ揶揄される。
「やめろ変態。いいからシャワー行かせろって」
入り口とは別の奥の扉に目をやる。そこはこいつ専用のベッドルームになっていて、シャワー室も併設している。この街が栄えていた頃の名残で上下水道にガスまで完備されていて、蛇口を捻れば温かいシャワーが浴びられる。スラムに住んでる者からしたらとんでもない贅沢だ。
「なあ、思い出さねえか?」
シダは一向に俺の上から退こうとしない。何が楽しいのか下生えを撫で続けながら雑談を持ち掛けてきた。鬱陶しいけど、これ以上行為を進める気はなさそうだから諦めて応じる事にした。
「何を」
「初めてヤった日の事」
どうせろくでもない事だろうと予想はしていた。けど、シダが言ったのは想像を遥かに上回る戯れ言だった。
「思い出したくもねえな」
「そうか。俺はよく思い出すぜ」
「もう忘れた」
「俺は昨日の事みたいに思い出せるけどな」
「何が言いてえんだよ」
いい加減イライラして睨み付けると、シダは肩を竦めて漸くそのでかい身体を起こした。無言で立ち上がって奥の部屋に向かう。残念ながらここの勝手は嫌と言う程知っているのだ。外に出ようとすれば咎められるだろうが、この先にはベッドとシャワーがあるだけ。これからヤられる人間が向かうには相応しい場所だ。
シダにはああ言ったけど、本当は忘れたくても忘れられない。俺の世界が灰色に変わったあの日の事は。
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