22 / 115

世界が灰に染まった日 2

 その日もいつも通り、街で獲物を物色していた。獲物はこの街にやって来る金持ち貴族。この街の住人との違いは歴然だ。立派な身形と装飾品、健康そうな肌艶、手入れの行き届いた髪、そして、警戒心ゼロの立ち振る舞い。毎日そう多くやってくる訳ではないが、こうして"仕事"をしている時に見付けたら必ず仕留める。と言っても別に命を奪う訳じゃない。財布をいただくだけだ。  左の懐。少し観察しただけで男の挙動から財布の仕舞い場所も簡単に解った。人間は大事なものの在りかを時々確認するものだ。解ればあとは実行あるのみ。フードを深く被り直した。  目的は何なのか、ふらふら歩く男の対面を歩く。リスクは高くなるが、前からぶつかった方が懐の中のものは獲りやすい。 「うおっ!」  どん、と身体をぶつけた一瞬で財布を抜く。強くぶつかるのは、そこを探られる違和感を相殺するためだ。 「汚ならしいガキめ!気を付けろっ!」  金を失った間抜けな貴族がそうとは知らずに後ろで偉そうに吠えている。路地裏に入り、中身を確認した。金貨は入っていないが、銀貨や銅貨はまずまずの量だ。先日掏った分と合わせれば、今週の治療費は十分に賄えるだろう。ニナの顔が目に浮かび、ほっと胸を撫で下ろす。  ニナの為とは言え、人のものを奪う事に罪悪感がない訳ではない。あの間抜けな貴族にとってこの手持ちは端金ではあるだろうけど、それにしたって少なくとも今日一日は路頭に迷うだろう。別に金持ちや貴族に恨みがある訳ではない。誰かを困らせたり悲しませたりすることは、本意じゃない。全てはニナの為だった。  ニナを楽にするには、金が必要だった。突然母を亡くして、暫く兄弟で途方に暮れて。けど直ぐにこうしてはいられないと悟った。毎日減っていく薬に食材。このまま途方に暮れていては、その先に死が待っているのは明白だった。  初めは普通に仕事を探した。けれど、13才の俺にまともな仕事は見つからず、変態に言い寄られたり売春を斡旋されるばかり。一度、上層の貴族に小間使いとして雇ってやると言われてほいほい着いて行ってしまった事がある。それも結局は買春目的で、変態貴族達に囲い込まれた中から逃げ出せたのは奇跡だった。  そんな事がうんざりする程続いたから、街に出る時は必ずフードを被るようにしている。野郎に触られるなんざ死んでもご免だ。そんな俺がガキながらに金を得る方法は、これ以外になかったんだ。  つけられている。背後の足音と気配から気付いて、死角になる所を見付けて塀の上にさっとよじ登った。昔から身軽さとそれを使いこなす身のこなしには自信があった。高い所から眺め下ろすと、挙動不審な奴等が丸見えだ。急に姿を消した俺を探しているのだろう、きょろきょろと辺りを見回している。それにしてもかなりの数だ。俺が頂戴した財布を狙っていたのだろうか。  俺を探す男たちが散り散りになるまで塀の上で物陰に身を隠し、奴等がいなくなっても念の為建物の屋根を伝って街を抜け、家まで帰った。  その日以降、俺が"仕事"に行く度にそんな事が続いた。時には仕事を遂行する前に奴等から追われて身を隠している内に獲物を見失うことさえあった。あいつらの狙いは、金でなく俺だ。それが分かるのに時間はかからなかった。  そうは言っても金を稼がなくてはニナも俺も生きてはいけない。必要以上の金を手に入れた時は仕事に行く頻度が減るだけだから貯金なんざない。今日成功しないと、ニナの薬だけでなく今夜のメシにもありつけない。ニナにひもじい思いはさせたくない。だから、つけられているのを承知で仕事した。掏ったらすぐにトンズラこけば、なんとかなると考えていた。 「手間ぁとらせやがって、……!」  スリを成功させたそのタイミングで、俺はどや顔の男に腕を掴まれた。なんとか振り払って、飛びかかってくる追っ手をかわして大通りを駆け抜けた。追っ手は、俺が身を翻す度に仲間同士や壁と正面衝突して勝手に自滅していったが、その割に全然数が減らなかった。ネズミみたいに湧いて出てくる。  一対大勢の鬼ごっこは持久戦に持ち込まれ、そうなると俺は圧倒的に不利だった。遂に追いつかれ、両側から腕を捕らえられてしまった。もう俺には、それを振り払う力も残されていなかった。 「ちょこまかと、ハエみたいに、逃げ回りやがって……」  奴等は例外なく全員はぁはぁと肩で息をしていた。結果的に捕まってしまったけれど、この人数の大人をひとりでここまで疲弊させたのだ。やれるだけの事はやったと思っていいだろう。悔いるとすれば、金欲しさに油断したことだ。けれどそれにしたっていつまでも警戒してじっとしていては俺たちは生きていけないのだから、一か八かのやむを得ない選択だったと言えよう。

ともだちにシェアしよう!