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まどかのおまけ

 北国の春は遅い。桜がまだかたい蕾の頃に、僕は卒業した。  卒業式では、音楽科のハルの独唱で送られた。ハルの声は体育館を出たあとも、僕の耳に残っている。よく伸びる、透明感のある声だった。  この独唱のためにハルが血の滲む努力をしたことを知っている人は、どれくらいいるのだろう。音楽科は知らないけれど、普通科では僕くらいじゃないだろうか。 「おれ、まどか先輩を送るよ」  柔らかく笑う目元でハルは言った。散々泣いたあとによく笑えるな、と僕は感心した。実際ハルの目は充血していたし、目蓋は腫れていて、笑っても全然なごむに似ていなかった。  もしかしたらハルは元々なごむと全然似ていなかったのかもしれない。僕が勝手に重ねていただけだ。そうしたら僕の「好き」は一体誰に向けられていたのだろう。 「ハル、僕は、別に」  そういうのは望んでいない。と言おうと思った。  僕はハルに恋していなかったし、だからハルに未練はないし、恋しいとも思わない。ハルに送られなくても、僕は寂しくない。  なのにハルは僕に抱きついてきて、「おれが送りたいから」と言った。ふわふわの茶色がかった髪が、僕の頬をくすぐる。 「先輩がおれを思い出してくれる、最後の機会だから」  あとで知ったことだけれど、音楽とそれに伴う記憶というものは長持ちするらしい。僕はいくつになってもきっとハルを忘れられない。  なごむのことはどんどんと記憶の隅に追いやられていくのに、ハルだけは残る。なんてずるい手を使うんだろう。僕はハルの歌った曲を聴くたびに、ハルを思い出してしまう。そのたびにこの複雑な感情を思い出さなければいけない。  卒業式の日は慌ただしい。卒業証書を受けとって、寮から荷物も送らなければいけない。四月から僕は東京に行く。もうハルには会わないと思う。なごむのこともハルのことも全部この学校に置いていこうと思っていたのに、まだ耳にハルの独唱が残っている。  きれいな声だった。いつもきれいな声で「まどか先輩」と僕を呼んでいたけれど、それよりも今まででいちばんきれいな声だった。ハルに一言、何か伝えたかったけれど、なんと言っていいのかわからなかった。「ありがとう」も「ごめん」も全部違うと思った。  僕は結局いろいろな理由をつけてハルのところには行かなかった。例え行ったとしても、どんな顔で会えばいいのかわからなかった。  僕はハルに恋していなかったはずで、だからハルに未練はないのに、ハルの独唱だけが耳から離れない。

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