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夜鶯の見る夢③

  ※  ※  ※  ※  ※  大学の授業は、もう週に三コマしかなかった。しかも、そのうち二コマはゼミだ。俺は上田教授のところへ行き、公務員試験に失敗して進路に行き詰ったことを報告した。 「んー、困りましたねぇ」  教授はまだ五十にならない年齢だったが、髪の毛は半分以上白髪になっている。眼鏡をかけた、学者肌の男性だった。 「困りました、ははは」 「どうするつもりですか?」 「迷ってます」 「では、よく考えるといいですよ。人生を決めるものだから、納得いくまでとことん考えましょう。なんなら、私の研究室にきますか? 手伝ってくれるなら歓迎しますよ」  院試は受けていなかったが、教授は「モグリでもいい」と言ってくれた。けど、それでは将来が見えない。  俺は教授にしばらく考えさせてくださいと伝え、ゼミが行われる講義室へと移った。  昼食をはさんで再び午後のゼミに参加した後、今度はバイト先を訪れた。受験のため、バイトはもう夏以降行ってなかったが、一応けじめとして、正式に辞めることを伝えた。  部屋に戻った時には、まだ午後の六時前だった。テーブルの上のカップとポットは無くなっている。 「ルース、戻ってきたのかな」  そう独り言を言ったとたん、背後から何かが飛びついてきた。 「うわっ」  少しよろめいてしまったが、それほどの重さは感じない。そのまま、おんぶの状態に抱える。ルースの髪が俺の頬に触れると、またルースの匂いがした。 「お前は子泣きじじぃか」 「その言い方はひどいよ、コノエ。おかえり」 「キャラが変わってるぞ」 「なぜかな。ふふふっ」  ルースはそう笑うと、俺の背中から降りてリビングのソファに腰かけた。服は最初に見た黒いゴシックシャツと袴風のパンツに戻っている。白いショートボブの髪は前髪がきれいに切りそろえられていて、その下からは、深紅の瞳が俺を真っすぐに見つめていた。  組んだ白い足が裾から伸びている。素足だ。その割には汚れていない。 「質問に答えてもらうぞ、ルース」 「いいよ」  澄ました顔でルースが返事をする。俺はルースの隣に腰掛けた。ソファは二人掛けのものが一つしかなかったから。 「昨日行った世界は、あれ、日本だよな? それも平安時代っぽかったぞ。あれはタイムスリップなのか? 時間は戻せないと言ってたじゃないか」  俺は積もり積もった疑問を、ルースにぶつけていく。 「日本でもなければ、平安時代でもない、似て非なる世界。今この瞬間に、この世界と同時に存在する、違う場所にある世界、だね」 「むう。並行世界というイメージは正しいといったよな。あの世界、もしくは他の世界に、別の俺や俺のご先祖がいるのか?」 「いや。『隣の国』と同じレベルでの『隣の世界』だよ」 「じゃあ、なんであんなに日本に似てるんだよ」  ふふふ、とルースがまた悪戯っぽく笑う。 「コノエは、なぜ日本と中国で使っている文字が似ているのかと訊かれたら、なんて答えるかな?」 「そりゃ、中国の文化が日本に入ってきたからだろう」 「それと同じだよ。例え物質が普通には移動できなくても、世界同士だって文化の出入りはあるんだ」 「どうやって?」 「まさに昨日、君はそれを体験したはずだけど」  ふむ、確かにルースの言うとおりだ。 「んじゃあ、俺のように『異世界』に言った人間が何人もいるということか。ルースに連れられて」 「半分だけ、正解、かな。別にボクだけじゃない」  ルースは、顔を斜めに向け、視線だけを俺に向けている。その涼しげな眼に、一瞬息がつまる。 「あ、そうか。ル、ルースみたいなのが、他にもいるって言ってたな」 「そうだね」  なるほどね……この世は死神だらけなのか。 「魂を保管するために集めてるとか言ってたな。それをして、何の意味があるんだ? 記憶がなんちゃらとか言ってたが」  もちろん、何か目的があるに違いない。まさか『神様のお遊び』じゃないだろう。 「えっとね……」  しかしルースは、俺の問いに視線を横にそらせると、少し考える素振りを見せた。 「保管するからには、後で使うってことじゃないのか」  何に使うのか。それを訊いたわけだが…… 「まあ、それがボクたちのアイデンティティであり、レゾンデートルである、と言えるかな」  などと、意味不明なことを口走っている。 「分からんぞ」 「それがボクたちの『生きる』なんだよ」  ルースの言葉は、なんとも曖昧なものとしか言えなかったが、そうだというのなら、そうなのだろう。ただ、あまりにも『人間』の感覚とはズレている。数式で証明されたとしても、納得はできそうにない。  ルースがそれ以上語りたがらないのを見て、俺もこれ以上追求しないことにした。

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