25 / 110

夜鶯の見る夢⑤

 キスにもさまざまなものがあるに違いない。  挨拶のキス、いたずらなキス、相手を求めるキス……  が……それは、実体験にせよ知識だけのものにせよ、俺が知っているようなものではなかった。それが何かと聞かれても答えることはできないのだが、とにもかくにも、俺は人生で初めて、キスをした。男と。  正直、どんな顔をしていいのか分からない。しかし、俺の目の前にいるルースの表情には、俺が予想したような、恥じらいや照れくささ、もしくは恍惚といった感情はない。あるのはただ、悲しげで不安をいっぱい抱えた、(すが)るような、揺れる紅い瞳だった。  何かを尋ねるわけでもない、ただ俺の反応を待っているルースの表情には、さっきまでのような、何もかも判っていますよと言いたげな涼しい余裕など、一切無い。 「な、なに?」 「ど、どう?」  ルースがそう一言つぶやく。何がどうなのか、そう聞き返すのはあまりに野暮だろうと思って、別の言葉を探す。 「な、なにが?」  探しても見つからない言葉は、言いたくても言えない。というか、男とキスして、何をどう答えればいいのか、俺の方が聞きたかった。 「口づけ、だよ」 「え、あ、そ、そうだな……って、感想なんか聞くなよ」  俺は顔を背けつつ、視線はルースに残したままにする。 「ふーん」  ルースは不満げに声を出したが、すぐに普段の、知的で冷静な中にも悪戯っぽさを含んだ、薄い微笑みの表情に戻った。そのギャップに、強い違和感を感じる。  甘い時間の余韻も、軽い熱の名残も、口に残るルースの味も、全て消し去るほどの違和感。端から見れば、恋人同士の熱い口づけに見えただろうか。俺にはそうは思えなかった。  何かを試しているのか?  何かはわからない。質問の意味も分からない。恋人が相手に愛されているかどうかを確かめるためにわざと相手を困らす。そんな行為でないのは確かだ。  どちらかというと……試されているのは自分、つまりルースの方、そういう眼で俺の返事を待っていた。自分に課した審判の結果を待つ。そんな感じだ。 「ど、どういうつもりだよ、いきなりキスなんか」 「いやだった、かな?」 「いや、そうじゃなくて、別に、その、嫌ではなかったけど」  俺、何言ってんだろ。 「したいから、じゃ、答えにならないかな」 「恋人同士でもないし、第一、男同士だ。おかしいだろ」 「男同士でしてはいけないというルールは、無いと思うけど」 「それはそうだけど」 「じゃあ、いいじゃないか」    ルースが、ふふふっと笑う。それ以上の抗弁は、思いつかなかった。  なんとなく誤魔化された感じが強い。ルースが何を考えているのか、今まで以上にわからなくなってしまった。  俺には男性の気持ちすらわかりそうにない。あの宮様の涙も分からない。ましてや神様の気持ちなんかわかるんだろうか、いやわからない。  語り得ぬものについては、沈黙しよう。うんうん。  ただ一つ確かなことは、男とキスしてしまったことであり、実際のところ、ルースとキスしたことを「嫌」とは思っていないことだった。それを自分でも驚いている。  とりあえず、それ以上エスカレートする様子もなかったので、俺は鼓動が速いままであるのを感じつつ、改めてルースに聞いてみた。 「魂集め、どうするんだよ」 「とりあえずコノエには、あの世界で魂の選別をしてもらおうかな」  ルースが一つの扉を指差す。それは見覚えのある、昨日くぐった扉だった。俺はもちろん、言われなくてもそこに行くつもりだ。  そう、あの姫君――いや、宮様にもう一度会わなければ。 「あの扉、自分ではどうやって見つけりゃいいんだ?」 「いろいろ試してみるといいよ。得意だよね」  またルースが悪戯っぽく微笑む。ただ、なんだろう、その端に少し棘のようなものを感じた。 「俺が迷子になっても知らねーぞ」 「その時は、ちゃんと迎えに行くよ」  今回はちゃんと用意をしていこう。そう思って一旦部屋に戻ったが、そこでルースから借りていた毛皮のコートのことを思い出した。昨日帰ってから、素材を調べたらセーブルというものだったが、それは北方に棲むクロテンの毛皮だそうで、あの姫君が言っていた「黒貂」そのものだったのだ。 「そういや、これ」 「貸しておくよ」  ルースは軽く言うが、随分と高額なものだ。 「こんな高いもの、どこで買ったんだよ」 「通販だよ」  冗談とも本気ともわからない様子で、ルースが笑った。

ともだちにシェアしよう!