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十六夜の月に濡れて①

 夜の闇の中、月明かりにぼんやりと照らされ、古ぼけた屋敷が見えている。  扉をくぐった先は、昨日と同じ祠の前だった。扉の位置は固定だろうか。とりあえず場所はわかった。  月を見ると、昨日より微妙に細くなっている。この世界でも一日ほどしか経ってないようだ。ということは、時間の流れは同じなのかもしれない。  浦島にはならないようだ。少し安心する。  屋敷の中に、きっと宮様がいるのだろうが……  昨日は徹夜(オール)っぽいことを言っていた。さすがに今日は早く寝ているんじゃないだろうか。そう思って、母屋の前を横切り、世話係がいるであろう建物の方へと向かった。  相変わらず御簾は下りていて、明かりは灯っていない。藤はよくこんな真っ暗な中を素早く動けるなあと感心したが、月明りに慣れている人間にとって、満月の夜は俺が感じる以上に明るいのかもしれない。 「だ、誰?」  いきなりの誰何(すいか)は昨日と同じ展開だった。違うのは、こういう事態もある程度予想していたことだ。声の主はすぐに藤だとわかった。母屋と離れ屋を結ぶ回廊から声をかけてきたようだ。 「あー、俺、コノエ」 「少将様!? お越しになったのですか?」  いや、少将じゃないけどね…… 「来ちゃ悪かったかな? あと気持ち悪いから、コノエでいいよ」 「あ、はい。いえ、もう、お越しにならないかと……」 「根拠の無い先入観は身を亡ぼすぞ。宮様はもう寝ちゃった?」 「それが……」 「何かあったのか?」 「昨日から、寝所の方にこもりっきりで」  そんなにショックだったのか? 俺、何やったんだろ、マジで。 「んー、じゃあ、会えないか」 「いえ、一刻ごとに誰か来てないかとお尋ねになるので、まだお休みにはなってないと思います」  なんだよ、そりゃ。 「んじゃ、とりあえず、俺が来たことを伝えてくれるかな。会ってくれそうにないなら、帰るよ」 「わかりました。ちょっと、お待ちください」  そう言うと、藤は昨日と同じようにぱたぱたと、母屋の方へと歩いていった。  今日も誰か来る予定だったのだろうか。昨日は近衛の中将にドタキャンされたんだっけ。  しばらく月を見ていた。昨日が満月なら、今日は十六夜(いざよいの)月だな。昨日会ったイケメンなら、ここで歌でも詠むのだろうか。  この時間だと人は少ないだろうから、もう少し広い範囲を歩き回れそうだが、反面、危険なこともあるかもしれない。とりあえず、ここで情報集めをしたいところだが……  ルースは助けてくれるのだろうか。今日は、いってらっしゃいと手を振って、初めから俺を一人で行かせたのだ。もう少し情報をくれといいたい。 「近衛様!」  相変わらず落ち着きなく騒がしい藤の声が、遠くから近づいてくる。 「宮様がお通しせよと」 「え、マジか」  会えないだろうと踏んでいた分、いざ会えるとなると、会ったところでどうするんだという不安しかない。随分嫌われたと思っていたのだが。  あの気まずい時間をまた耐えるのか。ドMだな、俺。 「お、おう」  とりあえず当たって砕けろ精神で、藤に案内されるまま客間に入った。その俺を放置して、藤はそのまますぐに離れの方へと戻る。  御簾を通して外から入り込む光はあまりにも僅かで、部屋の中は暗く、よく見えない。  御簾を開けるか。  不安を紛らわせようと、御簾を開けるために立ち上がりかけたその時、衝立の向こうから、あの、ハスキーではあるが鼻にかかった甘ったるい、宮様の声が聞こえてきた。 「そのままで」

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