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十六夜の月に濡れて②
宮様はまだ寝所にいると思っていたので、彼の声がいきなりしたのは想定外だった。
「そ、そこにいたのですか、宮様」
どういう言葉遣いをしていいかわからず、思わず丁寧語になってしまう。しかし、それに対する反応はない。
「よ、夜も更けているのに、まだ起きてたんですね」
「もう寝るところぞ」
昨日も聞いた、突き放すような言葉……ああ、また拷問タイムが始まるんだ……
もう一度この屋敷に訪れようと思った理由があるとすれば、それは昨日の彼の涙だった。しかし、いざ会って会話となると、後悔しかない。
なんで俺、ここに来てしまったんだろ。
「き、昨日はよく眠れましたか」
「寝ておらぬ」
そういや徹夜オールって言ってた。バカバカ、俺のバカ。
「で、では、日を改めましょうか」
駄目、無理。ここは戦略的撤退を敢行する。
「なにゆえ」
この世の不機嫌さをすべて集めて詰め込んだような口調。いや、マジホント、タスケテ。
「え、いや、眠たいからもう寝るんだろうなあ、とか」
「まだ、寝ぬぞ」
寝るところって言ってたじゃねーかよ!
心の中で思いっきり突っ込むも、実際に口から出す言葉が無くなってしまった。
オワタ……オワタ……
頭の中でその三文字たちが輪舞している。
と、
「なにゆえ」
宮様の方から再び言葉をかけてきた。間が繋がれたことに少しほっとする。しかし、同じ質問をもう一度した彼の思惑が解らない。
また少し沈黙が流れたが、彼がまだ何か言葉を続けようとしているのを感じた。
しばらくそのまま彼の言葉を待つ。
「そなた……なにゆえ、今宵も来たるぞ」
なんで来たのと言われても……俺の方が教えてほしい。
ただ、宮様の口調は俺を責めるようなものではなかった。不機嫌さは相変わらずだったが。
「いや、あの、き、嫌われたと思って、それで、謝っておこうかと」
「なにゆえ、そなたが嫌われるか」
それを訊きたいのは俺の方なんだってば。
「その、涙を、流してたので、何か悪いことでもしたのかと、思って」
そして訪れる、無限に続くかと思えるような沈黙。
キツイ。いやほんと、マジきつい。
この俺のガラスのハートは、この無間地獄に耐えきれるのだろうか……こうなるとわかっていて来てしまった自分は馬鹿かドMかのどちらかだろう。
そこに沈黙があるならば、破ってみせよう、ホトトギス。
「あ、あのー」
「我に、嫌われたとて、困ることのあるや?」
たっぷりと時間を置かれた後、何かしゃべらなければと思って出した言葉に、宮様の言葉が重なった。
私に嫌われたところで、困ることがあるの? そう問いかける宮様。
あー、この場合、「オレに」かな。んー……
昨日見た宮様の顔に、いくつかの一人称を当てはめてみる。しかし、いいものは見つからなかった。
実際のところ、宮様に嫌われたところで、何か困ることはないだろう。正直、宮様はあまりいい情報源には思えない。ずっとこの屋敷の中にいるのだろう。情報収集の役には立たなさそうだ。
そもそもなぜ、俺はこの屋敷に戻って来たのだろう。もちろん、ルースが俺をここに連れてきたのだが、でも俺はここに来ることを自分自身で望んでいた。
それはやはり、心のどこかに、あのことが引っかかっていたから、だろう。
彼の涙の訳。理屈ではなさそうだ。俺はただ、それが知りたかった。
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