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十六夜の月に濡れて③

「嫌われたのなら、それはそれで残念だけど仕方ないと思う。でも、理由くらいは知りたいかな。何か悪いことをしたのなら、謝りたい」  別に隠す必要も、着飾る必要もない。ただ思うままに、そう言ってみた。  また暫く沈黙が続く。  御簾の下りた暗闇の中、彼はいったい何を考えているのだろう。 「然様な故ならば、気にすることぞ無き。汝のせいにはあらず。もうよい、疾く往ね」  しかし衝立の向こう側から返ってきたのは、「早く去れ」という言葉だった。  その口調の中に、俺は少なからぬ『失望』を感じ取る。  ショックを受けた……というのが、俺の正直な気持ちだった。 「いや、あの、そう言われても」 「まだ、何ぞ用のある」  用事――確かに、それ以上俺には用などないかもしれない……  それならば「じゃあ」と言ってこの屋敷から立ち去ればいい。しかし、それを俺の中の何かが、拒否している。  女性として育てられたという、不思議な青年。ただ一目だけ見た、その顔が俺の脳裏に浮かんでくる。  色白の肌と彫の深い顔立ち――北欧系だろうか――に、漆黒の長い髪と十二単姿というのが極めてアンバランスだった。そして何より、俺を見つめるサファイアのように青く光る瞳が、俺をつかんで離さなかった。  俺は……宮様が美しい人だから、『知り合い』になりたいと思っているのか?  いや、彼は男なのだ。  口や顔の大半を隠し、目だけを相手に見せるのであれば、確かに女性に見えないこともない。しかし、顔全体を見れば、まだ大人になり切れていない、青年と言ったところだろうか。  女性的というのなら、ルースの方がそう言える。時々、ルースが男だということを忘れそうになる。まさにザ・ゴッデス。  でも、どれだけルースと話をしていても、ルースを見ていても、心のどこかで俺は、この宮様のことを気にしていた。頭から離れなかった。  そう、だから俺は、またここに来たのだ――  じゃあなぜ、気になったんだ?  もう父親もなく、寂れた屋敷に住んでいるという、彼の境遇に同情したのか?  そうじゃない。同情するほど詳しくは知らない。  あの涙に罪悪感を感じたのか?  いや、そもそも身に覚えがない。  じゃあ、なぜだ。なぜ俺はここにいる。なぜ、このまま立ち去ろうとしない。 「用は、無いんだけど……ほんとは君に、会いたかった。なぜかは自分でもわからない。いや、理由なんかないかもしれない。ただ、君に会いたかった」  心のままに、言葉を出した。  涙の理由――もちろん知りたいと思う。でもそれはきっと、『口実』でしかなかったのだ。  再び、沈黙の時間が訪れる。  屋敷を包む空気は冷たく、毛皮のコートを着ていても、その冷気が体の中へとどんどん入ってくるようだ。屋敷の中と外は、御簾一枚だけで仕切られている。宮様は、寒くないのだろうか。  いまだ宮様以外の人間は、藤しか見ていない。他に人の気配もしない。彼は、こんな寂しい場所で、ずっと暮らしてきたのだろうか。 「御簾を、上げたまへ」  ハスキーな、微かに揺らぎを含んだ声が、場の静寂を破った。

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