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十六夜の月に濡れて④

 なぜ、と尋ねることはしなかった。宮様の言うままに、俺は黙って立ち上がり、(ひさし)に出ると、御簾を一つ、上まで巻いた。 「全てを」  三つある御簾の、残りの二つも上まで巻き上げる。暗闇に慣れた目には、月の光はまるで街灯のように明るかった。  その月の光に照らされて、十二単とその上に毛皮を着た、扇子で顔を隠している宮様の姿が、ホログラムのように浮かび上がる。 「近くへ」  そう言われ、俺は宮様とは少し離れたところに腰を下ろした。 「もっと近う」  座ったまま、彼の傍に近寄り、ゆっくりと座り直す。  また暫くの沈黙。でも、今までと違い、気まずさは感じなかった。扇子の陰で、彼は何かを考えている様子だったからだ。  俺は黙って、彼が何かを言うのを待ち続けた。  と、唐突に、沈黙が破られる。 「今宵も、皮衣か」  そして始まる、二人の会話。 「君も、だよね」 「我の皮衣を見れば、みな、怪しく思ふぞ」 「流行遅れらしいけど、価値は変わらない。そのうちまた流行るよ」  俺の答えに、宮様は少し言葉を切る。 「我は歌が詠めぬゆえ、殿方はみな、つまらなく思ふらし」 「俺も詠めないから、一緒だよ」 「我の返事は素っ気なきゆえ、みな、不機嫌になるぞ」  確かに、あれは拷問に近い。 「ま、まあ、あの返事だとさすがに俺も、君が何を考えているのか不安にはなる、かな」  扇子で顔を隠したままの彼の言葉は、まるで独り言のようにつぶやかれていた。しかし俺は、その一つ一つに、返事を返していく。 「我の声を聴けば、殿方はもう二度と我に会いに来ぬようになるぞ」  でも、そのつぶやきには、どう返事をしたものか考えあぐねてしまった。  何人かの男が、宮様に会おうとしたに違いない。あの、近衛の中将のように。その中には実際、この屋敷に入った者もいるようだ。そして衝立ごしに会話をし、藤から聞いた話では、彼の声を聴いて立ち去ったようだ。  まあ、女性としてはハスキーに過ぎるかもしれない。たとえ女性として育てられたとしても、高いを声を出していても、やはり彼は男性なのだ。  しかし、そんなことをされた時、この人はどう思ったのだろうか。 「でも」  そう言いかけた俺の言葉を遮って、彼の言葉が津波のように溢れ出した。 「なにゆえか、皮衣を着てはならぬ。お父上の形見ぞ。  なにゆえか、歌が詠めねばならぬ。我はそのようなものに興味は無いぞ。  なにゆえか、気の利いた返事をせねばならぬ。我は思うたままを答へているのみぞ。  なにゆえか……殿方の耳を気にせねばならぬ。我とてこのような声に生まれとうは……」  そこまで言って、彼は涙で声を詰まらせる。扇子を持つ手が、細かく震えていた。

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