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第5話 月光荘のカイダン

花火当日、僕は朝早くから目が覚めて何故か小学生の頃の夏休みを思い出した。 これは期待だ。毎日がワクワクしていたあの感じだ。 そういえば何で須藤は僕を花火に誘ったんだろう。代わりに素顔を見せる交換条件まで出して。そう思ったら不意に──手首を掴まれた時の感触が蘇る。 ぎゅうっと胸が締め付けられたように息苦しくなった。 ──なんだ、これ。 心臓がすごく速く脈打ち始める。 今すぐ会いたい、と衝動的に思う。それが、やっぱり会いたくない、にスライドする。 なんだ、なんだ、なんだ? 深呼吸をしてみる。そして気が付いた。 ──僕は緊張している。 なんで?なんで、ねえ須藤さん。 居もしないのに問いかける。 今日の僕はおかしい。 支度を終えてしまうが何も手につかない。半日を無駄にし、ようやく約束の時間になった。 きっと初っ端で須藤が笑わせてくれて緊張なんかどっか行く。そう信じてドアを叩く。 奥から人の近付いてくる気配がする。けれど今日に限って音もなく扉が開き、笑う準備をしていた僕は凍りついた。 ──誰?この人。 パリッとしたネイビーの開襟シャツにタイトな黒のジーンズ姿。 この部屋の人そんな格好しないよ。もっとテロテロ。 猫背じゃない、髭がない、メガネがない、前髪セットされて額全開。 この人がそのへん歩いてたら絶対、二度見するよ。モデルさんかな……お友達ですよね?もう時間なのに須藤さんドコ行ったの。 「新太(あらた)君……浴衣似合ってる……可愛い……」 だけど間違いなく本人の声。 「ほ、本当に須藤……さん?」 分かってる!状況的にそれしかないけど! 確かめずにはいられなかった。 「やっぱ分かんない?」 「分かんないにも程があります!完全に別人レベル」 「ははっ」 ──ナニコレ。笑顔の破壊力高すぎて直視できない。 「じゃあ行くぞ」 性格まで突然切り替わった。口調だけじゃない。あまりにも自然で違和感を感じなかったが腰に手を回されている。何この変わり様、もう詐欺師を名乗ったらいい。 電車に乗っても車両中の視線を一身に集めている。誇張じゃない。ただでさえ見られてるのにイチャついてくるせいだ。今までそんな素振りも見せた事ないくせに。 混んではいるが十分離れて立てる。なのに向かい合って抱きしめたまま離してくれない。頻繁に頭や髪に触る。わざわざ耳元で喋る。 僕にもわけが分からない。これがイチャイチャじゃなければ、なんなんだ。おかげで顔がちっとも上げられない。僕はうつむいたまま言った。 「今日の須藤さん、いつもと違いすぎます」 「俺の顔、見たかったんだろ」 「密着する必要なくないですか」 返事のない須藤を見上げると、目が合ってニヤリと笑われる。そもそも目が隠れてない状態にまだ慣れていない。心臓が跳ね上がる。 「レアなんだから近くで良く見ろよ」 「……話、逸らさないでください」 「はぁ──顔晒して外でたら、普段の抑圧を解放する事にしてんの。どうせ何しても目立つから」 肩をすくめて苦々しい声と共に吐き出す。 それは人によっては聞くに堪えない不遜な発言だ。だが有無を言わせぬ説得力がある。何故ならそこにその顔があるから。 その顔のせいで理不尽で不条理な経験を幾度もした。それを自分が原因だと責めて諦めてるんじゃないか。想像にすぎない、僕なんかじゃきっと理解し切れない。けれどそう考えたらこの不思議な性格が形成されたのも納得できる。 傲慢さと諦観と人見知りが同居した人。それは矛盾しない──そうだ、ここに居るのは僕の()る、タオルを握り締めたあの須藤だ。 「……違わない……須藤さんは須藤さんだ」 「……お前、本当に解っちゃうんだな。そんなやつ初めてだよ」 感心したように言うので、今なら少しは意見を聞いてくれるかと思った。 「それはともかく、離してもらえませんか。人がすごく見てるんで……」 「──人が見てなきゃいいの?」 耳元に吹き込むように囁かれた。意味を考えて、体中が一気に熱くなる。 「なんで、そんな冗談……!」 「本気で訊いてんだよ」 だからなんでそんなこと。 須藤の声が心臓を、(じか)に掴みに来たみたいだった。足が震えて、仕方なく須藤にしがみつきながら苦しくて息が止まりそうになったとき電車は目的地に到着した。 電車を降りるとすぐに手を繋がれる。 「こんなとこで手、繋いじゃうんですか!?」 『アレ指摘するとこソコだっけ』と頭をよぎる。 「離さねえよ。はぐれるから」 当然という顔をされてそれもそうだな、と納得する。 でもちょっと待って、やっぱり変じゃないか。 いや変なのは僕か?ただでさえ家に居た時からおかしかったんだ。それを一度にたくさんの新たな側面……(かお)、態度、仕草を見せられて今や頭の回路は正しく機能してない。 「須藤さぁん」 不憫な脳みそが救難信号を出している。僕の手にはもう負えない。 「なんだよ!?泣きそうな声だして」 「正直泣きそうです〜」 須藤は僕の手を引き、人混みから離れるように歩いた。その間に花火は始まりドンドンと腹に響く音を立てながら夜の華が咲き乱れていく。 人波の途切れた堤防に須藤が僕を座らせ、後ろから抱え込むように座る。それがおかしいとか暑いだとか考える力は残ってない。むしろ須藤の腕の中は安心できた。 「どうした。何ひとりでテンパってんだよ」 「須藤さん……」 ショートした回路は名前を呼ぶことしかできない。僕の髪に埋めるように須藤の唇が触れた。とてもやさしい仕草だった。 「須藤さ……」 「可哀想だし俺もそんな抑え利かないから楽にしてやるよ。お前は俺が好きなんだろ」 その一言はまるで魔法だった。堰き止めていた瓦礫を押し流してしまったように、本当に僕の気持ちを楽にした。操り人形のようにこっくりと首を振る。 「でもな……俺の方が先に好きになってたよ。これは絶対」 「え?」 聞こえてるのに理解できないから聞き返した。 「新太が好きだ」 僕のために言い直す。 ゆっくり、一言ずつ。 「うそ……!」 「新太」 呼び捨てにされた名前のあまりの甘い響きに、胸に回された腕にすがりつく。また呼吸困難になりそうだ。 須藤の左手が右頬を撫でるように添えられる。うつむいた額に額を擦りつけられる。 少し力を込められた手のひらと、潜り込むような須藤の動きで──唇を塞がれた。 雷のような轟が鼓膜を震わせる。閉じていた眼をゆっくりと開いて間近にある須藤の長すぎるまつ毛と、背負った空で刹那に咲いた儚くもきらびやかな大輪をぼんやり瞳に映す。 「このキスは現実だろ。うそになんか、すんなよ」 僕の心を見透かしたようなハッキリと力強い声色。 夢の中に居るようだった、続く衝撃で曖昧になった感情が、その言葉で形になった。 「俺は新太が好きだ。新太は?」 「須藤さんが好きです」 言うことに躊躇いはなかった。 月光荘に戻ってきて、昼間よりも明るい階段を僕が先に昇っていく。急勾配の階段に足を掛けるが慣れない草履が汗で滑って踏み外す。軽い既視感と共に、背中全体が厚い胸板に易々(やすやす)と抱き留められる。 「また、落ちようとする」 須藤は離れず、むしろ体に(まと)うように腕を絡めた。薄い布越しに触れた所すべてが熱い。触れていない所まで須藤の吐息だけで過熱していく。 「──こんないやらしいモノ着やがって、俺がどれだけ我慢したと思ってんの」 「……っ、す、ど……さん」 追い立てられるように階段を昇り切り、性急に鍵を開けた須藤の部屋に押し込められる。 「待っ……須藤さん、待ってって──」 須藤は聞かずに玄関で僕を押し倒した。 「待ったよ。ずっと待ってた。頭の中でずっと──犯してた。もう待たねえよ」 「す……っんぅ」 口を開けた瞬間、唇が重ねられた。さっきみたいにフワフワしたキスじゃない。 貪るように吸い付かれ深く舌を差し込まれる。それは口腔内を蹂躙し絡み合うことを強要した。嚥下しきれない唾液が口の端から溢れ滴る。唇を離してからもその上から舌でなぞり首筋を辿って痛いくらい吸い上げられた。 「……っ」 「感じたんだろ……勃ってるもんな」 「や、触ん……いで、くださ……っ」 「いいの、こんなになってるのに。本当に?このままにすんの」 須藤がスッと体を引く。乱した裾を衿元を欲望を隠しもせずに熱く見つめたまま。 羞恥にギュッと目をつぶる。快感で溜まった涙が頬を伝う。閉じても須藤の視線が浅ましい渇きを暴いてゆくのを強く感じる。 触れてもいない僕の体は──疼いている。 薄く目を開くと涙でぼやけた須藤が笑う。 「どうして欲しい。まだ我慢する?」 僕の手は彷徨い、須藤の指先を握った。 「さわって……欲しいです……」 「いいよ──すぐにいかせてやる」 玄関口で獣の様に盛ってしまった僕らは欲望を吐き出した事で一旦は落ち着いた。 汗やら何やらでドロドロだったので一緒に風呂に入っている。 須藤は狭い湯船で僕を背後から抱えながら相当ご機嫌のようだ。 「須藤さん。顔また隠すんですか」 「んー。どっちがいい」 「どっちでもいいです」 見ようと思えばいつでも見れるから。 もとより見た目に惹かれたんじゃない。 「……新太、愛してる」 「──っ?なんですかいきなり」 「〜〜。〜〜〜〜。〜〜。」 んんんんっ?これは!!! そうか──そうだったんだ。でもコレ絶対いっちゃいけないやつだ。ああだけど言いたい。いつか言ってしまいそうだ。 『幽霊の正体見たり須藤の鼻歌』

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