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第4話 踊り場

八月に入り大学も夏休みになった。 そして農家でもないのに実家から茄子が大量に送られてきて、何故か一緒に浴衣と草履が入っていた。確かに毎年、浴衣で地元の夏祭りに行っていたが、まさか帰省するなという意味か。 そんなことより茄子だ。扱いに困り、面倒なので全部を煮浸しにしてやった。一人では三日かけても無くならない。傷むのも嫌だし休みに入ってから須藤とも会っていないので、これを口実に向かいの扉を叩く。 ゴツンッッという音と共に扉が開いて、危うく僕は器を落とすところだった。 「なんっっで!!いつも………っ、ぶつけん、の……っ」 笑いすぎて腹筋が崩壊しそうだ。須藤はさして痛そうな顔もせず額を(さす)っている。といっても表情は分からない。棒立ちで口元が横一文字(よこいちもんじ)なところからの想像だ。 部屋に上げてもらって茄子を渡す。 「コレ……新太(あらた)君が、作ったの?ありがとう……」 やたらうやうやしく皿を受け取ると、須藤はテーブルに茄子を置いた。 「ねえ、さっきすっごい音したけどタンコブできてません?」 余りに気になったもので、僕は何気なく須藤の額に手を伸ばした。酷く腫れるようなら冷やした方がいい。その指が触れるか触れないかの所で、手首をパシッと掴まれた。軽く握っているんだろうが僕にはピクリとも動かせない。 「──え」 「──っあ。ご、ごめん……」 須藤はすぐに手を開く。 「……そ、そうだ。ビール、飲む?冷えてるのあるから──」 そして逃げるように台所に行ってしまった。 ──たぶん僕は地雷を踏んづけたんだろう。 たっぷり五分はゴソゴソやった後ようやく須藤は戻ってきた。お盆にグラスと缶ビールが二本乗っている。グラスが冷蔵庫で冷やしてあることが何気に凄い。 須藤が空気を変えようとしているのは分かるので、素知らぬ顔で能天気に喜んでおく。早速グラスに注いで乾杯し、一杯目は一気に呑んだ。 「さっき……ごめんな……いきなり。心配して、くれたんだろ」 「なーんにも気にしてないです」 須藤の周りの空気がゆるやかに和む。表情が見えなくても、こういった雰囲気で須藤の心境が僕にも少しは分かるようになってきた。 それから須藤は煮浸しを、ものすごく美味いと言って全部平らげた。次第に饒舌になっていき大好きな宇宙のことを話し出す。超ひも理論とか11次元やM理論なんて僕が聞いてもピンと来ないが、須藤が楽しそうなので嬉しい。 ──という顔を僕はしてしまったのだろう。ふと話を止めると須藤はうつむいて頭をガリガリ掻いた。 「……悪ぃ。また俺だけ訳わかんないこと喋ってんな」 口調が好調な時のままだ。もっと聞きたい。 「僕だって楽しいからいいんです。須藤さんて本当に宇宙好きですよね。キッカケってなに?」 「笑うから言わねえ」 「笑うわけないでしょ。教えてください」 「すごい、ありきたりだぞ──子供(ガキ)のとき太陽と地球の比較画像を初めて観たんだよ」 「うん」 僕も観たことがある。 「俺が見たのはソフトボールくらいの太陽に対して地球が米粒サイズだった。だったら人間はその米粒の中なわけで、もう砂粒以下だろ。小さ過ぎだろ。こんなクソデカイ存在の前じゃ砂粒の中のさらに小さな脳みそ一個が何かに苦しんだり悩んだりするのって無意味じゃん、そう感じた。しかも宇宙はその太陽よりデカイ。それを考えると色々気が楽になんだ。要は逃避だけどな」 最後は吐き捨てるような口ぶりだった。 「そんなことない!」 聞き流してはいけない気がして咄嗟に否定した。 僕には何も分からない。だが対人恐怖に近い普段の須藤の態度は何か苦痛を抱えているからだと思う。同じものを観た僕はそんなこと考え付きもしなかった。 「須藤さんには宇宙が必要なんです!」 言葉にするとひどく陳腐(ちんぷ)だ。 「──あははっ」 珍しく須藤が声を上げて笑った。そして腕を伸ばして僕の頭をワシワシと掻き回す。 「ありがとな」 ──今、どんな表情をしているんだろう。 無性に顔が見たいと思った。須藤の素顔が。 「ぼく須藤さんの顔、まだちゃんと見たことないです」 少し躊躇ったが口にした。また地雷を踏みに行く。だけどそうしないと須藤に近づけない。 「……そうだな」 「どうして隠すんですか」 「顔面(さら)すと他人が話し掛けてくるんだよ──」 それが、須藤の陰の部分。僕とは違う。 「なんで……それがダメなんですか」 「………顔で判断する人間が信用できねえ」 どういうことだ? なんにせよ、だったら僕には当てはまらない。 「僕は須藤さんのこと顔で判断してません」 「確かにな。──そんなに見たいか、俺の顔」 「見たいです」 コンプレックスは人それぞれだ。言葉は悪いが例えどれほど不細工でも、須藤個人に惹かれている僕には関係ない。 「もしかして、もんっっのすごいイケメン?傾国の美女並?」 冗談めかして言うとクククッと喉の奥で須藤は笑った。 「週末の花火大会……」 「はい?」 週末の花火というと近くの川で大きな規模のものがある。 「一緒に行くなら見せてやるよ」 「そんな事でいいなら!ぼく浴衣着て行きます!」 「それは……楽しみ、だな」 間違いなく須藤の口元が三日月型に大きく弧を描いた。

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