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第38話
(……会いたい……)
ガイルの腕の中で思うのは、やはり魔王のことだった。
思い出せば会いたくなる。触れたくなる。魔王にも失恋したというのに、未練たらしくすがってしまう。
「離してくれ!」
「ノア、暴れるな。どうしちまったんだよ。急に変なこと言い出すし、逃げようとするし……まさか、魔王に操られてるのか?」
「違う! 僕は僕の意思で、」
「そうか、そうなんだな。魔王も一緒にいるのか? じゃあ俺が殺して、お前を正気に戻してやる。行くぞ、ユリアス」
勇者は突然解放された。ガイルはどこか不穏な空気をまとって、裏路地から出て行く。
――普段の魔王であればガイルに負けることはないだろう。けれど今の魔王は、魔力が半分しかない。ガイルは世界で一番の剣の腕を持っているし、魔王が絶対に勝てるとは言い切れない状況である。
「待ってくれ! ユリアス! ガイルを止めてくれ!」
「……いいえ」
ユリアスはまったく止めるつもりがないのか、眉を下げて、落ち込んだ様子を見せるだけだった。
「ガイル! お願いだ、魔王は関係ない、だからおかしなことをしないでくれ」
「やけに庇うな」
勇者とガイルは、注目の的だった。特に勇者は今話題の人である。鋭い視線を向けられてはいるが、ガイルの手前それだけだった。
不意に、ガイルが振り返る。追いかけていた勇者はその背にぶつかった。
「脅されてるのか? いや、やっぱり操られてるのか」
「ち、違う、ガイル。……魔王はいい奴だ。知ってるだろ。あいつが死んだら、この世界は狂ってしまうぞ」
「ああ、知ってるよ。だけど俺は世界より、お前の方が大切なんだよ」
そう言って、ガイルはふたたび歩き出す。呆気にとられていた勇者は出遅れたものの、すぐにガイルに追いついた。
「何言ってるんだよ、ガイル! 一緒に世界を救おうってあんなに、」
「そうだよ、世界を救いたかった。お前が勇者になんてなったから、俺も頑張ったんだ。そうでもしないと側に居られなかった。お前が世界を救うと言ったから俺もそうしてただけだ。お前の側にいられるなら、なんでも良かった」
幸いにも、ガイルは勇者たちが泊まっている宿とは違う方向に進んでいる。それに勇者は内心ほっとしながらも、止めなければとガイルの腕を引く。
「ガイル、」
「なぁ、ノア」
細い路地に、勇者は突き飛ばされた。屈強なガイルに敵うわけがない。勇者は突き飛ばされるまま、思いきり尻餅をついた。
「……どうしてお前はいつもそうなんだよ。自由なのがお前のいいところだ。そんなところに憧れてる。尊敬もしてる。だけどたまに、憎らしくも思う」
遅れてきたユリアスは、路地には入ってこなかった。その代わりなのか魔法をかけて、ガイルと勇者を見えない壁の中に閉じ込めてしまう。
音が消えた。世界がどこか遠い。ここには二人しか居ないのだと、そんなふうに思わされた。
「これ以上どうしたら良かったんだ? お前はいつも俺を見ない。魔王にばかり夢中だ。俺を置いて魔王のところにばかり出向いて、魔王の話ばかりをする。思いどおりにならないからお前を孤立させてみても、結局魔王と一緒に居て俺のところに来てくれない」
――不揃いだったピースが、一つ一つ当てはまっていく。
その先にあるのはきっと、悲しい現実だ。
誰もが自分の愚かさに踊らされていた。恋に狂っていた。だから選択を間違えて、傷つけることしか出来なかった。
ガイルは勇者を愛していた。勇者もガイルを愛していた。だけど勇者がユリアスを抱くガイルを見てしまったから、すべてがおかしくなってしまった。
ユリアスを抱いていたのはスレイグだ。けれど幻覚を見せられていた勇者には、ガイルにしか思えなかった。
しだいに勇者は、二人から距離を取る。魔王という逃げ場を見つける。ガイルがそれを面白く思わず、心の内に毒を溜めていく。
そうして、勇者をひとりぼっちにすることを思いついてしまう。
「魔王が邪魔なんだよ、なあそうだろ。世界なんかどうでもいいんだ。壊れちまえばいい。俺はもうお前だけが居ればいいよ。だからノア、俺と一緒に居てくれよ。ずっと一緒だって約束しただろ。……邪魔な奴は殺してやる。絶対にお前を守ってやるからさ、勇者なんかやめて、俺と二人きりで生きよう」
ぐらりと一瞬、体幹が揺れるような感覚が襲う。それには覚えがあった。もうすぐ三十分が経つという合図である。
魔王は居ない。こんな状況で勇者が倒れたら、ガイルに連れ去られて終わるだろう。
そうしたらどうなる。魔王とはもう二度と会えない。だって魔王は、愛しく思う相手と再会してしまった。そちらと居られるのなら、邪魔なだけの勇者を追いかけることなんてしないだろう。
勇者はふらりと立ち上がった。そうして力を振り絞って魔力を溜めると、見えない壁を突き抜けて駆け出した。
「ノア!」
追いかけてきたのは言葉だけだった。ユリアスも、まさか突破されると思っていなかったのだろう。とっさのことに反応が出来なかったのか、二人とも唖然としていた。
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