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第29話 婚儀
凍てつく冬を吹き飛ばすようにして、紙吹雪が王都に舞っていた。
王城の露台から外を見下ろすと、何万にものぼる民たちが、今か今かと国王と妃が顔を見せるのを心待ちにしているようだった。色とりどりの紙吹雪が舞う中、午前中に婚儀を終わらせ、いよいよ国民へのお披露目である。緊張した面持ちのゐ号の傍へと八尋が歩み寄り、その手を取った。
「すずめ、準備はよいか?」
「はい。陛下。あ……」
「どうした?」
八尋は黒いマント姿に、青を基調とした布に金の織糸の施された正装姿だった。ゐ号は元伽役たちが織ってくれた白いレースを被り、親衛隊副隊長時代の青に銀の織糸を縫い込んだ正装をしている。慣れ親しんだ服装なので、それを選んだが、ゐ号はもう正確には親衛隊員ではなかった。妃の持つ守護隊の隊長として、八尋を守るもうひとつの独立した勢力となっている。
「あの、襟元に触れてもよろしいですか? 徽章が緩んでおりますゆえ」
ゐ号が指先で徽章を留め直すと、一歩下がって軽く礼をした。
「俺とそなたの間には、そのようなことは不要だと教えたではないか」
「それは、そうなのですが……癖なのです。それに、わたくしにとって、陛下は陛下ありますゆえ」
お許しください、と呟くゐ号の唇を、レース越しに八尋が軽く奪う。
「緊張しているか?」
「それはもう。でも──……」
八尋を祝う民衆の声が、風に乗ってゐ号のもとまで届いていた。民の心が安寧と繁栄の上にあることが、ゐ号は嬉しい。
「では、ゆくぞ」
「は、はい」
張り出した露台へと、二人で踏み出す。歩みゆくに従い、眩しい晴天の蒼穹が広がっていた。地鳴りのような歓声が湧き、人々が手に中王国の国旗を振っている。溢れんばかりの人の群れが、地平の彼方まで続いていた。
「国王陛下、万歳!」
「万歳!」
八尋が片手を上げると、それに応えるように歓声が上がる。
「そなたも手を振るがよい、すずめ」
「あ、はい」
ぎこちなく緊張したまま、ゐ号がそっと手を上げると、一陣の風が吹き抜け、喜びの声が再び上がる。
「王妃殿下、万歳!」
「万歳!」
民の声が風に乗り、八尋とゐ号の元へと届いた。音楽隊の音が澄み渡り、空に吸い込まれゆく。
八尋は顔を輝かせ、ゐ号を振り返った。そっとベールの隙間から、透明度の高い湖の底のような眸がゐ号の黒い眸を見つめ、耳打ちした。
「初夜か。今宵が楽しみだ」
「陛下……っ」
会話の内容はふたりだけのものだが、こんな公衆の面前でする内容ではない。ゐ号が咎めるように睨むと、八尋は声を上げ、笑った。
「はは。相変わらず、そなたはかたいな、すずめ」
「か、かたくて結構です……っ」
「そこがよい」
伽役制度は廃止の国王令に八尋が署名したため、元伽役たちは王城内に守られる形とはいえ、次第に自由を与えられつつある。ゐ号の守り番も、先日、新たに、寝所の一角ではなく内廊下の隅に部屋がつくられ、呼び鈴で寝所に入れるよう改造された。
『王城内に刺客が入り込んだ例は三代先にまで遡る。今の形に変えても、問題はなかろう』
八尋はそう一言で覗き趣味の好奇心を封じ、ゐ号が毎日八尋に呼ばれようと、声が漏れるのは最小限となった。
最大限の譲歩をした八尋に応えるように、ゐ号はほぼ毎日のようにや八尋の寝所へ上がる。それでも、声が漏れることに恥じらいを持っているゐ号は、枕や指を噛む癖がついてしまったが、褥での八尋は少し意地悪で、とても優しかった。
「いずれ慣れるであろう。その時が楽しみだ」
八尋はけろっとそう言って、時折、耐えられずに声を出すゐ号を貪った。
その時のことを思い出してしまったゐ号は、様々な感情に折り合いを付けたのち、頬を染めたまま、そっと八尋へやり返した。
「わたくしも、楽しみです──八尋様」
蒼穹に紙吹雪が舞い散る。
この、晴れの日のことを、ゐ号は生涯忘れまい、と誓った。
=終=
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