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クリスマスイブ〈那津美視点〉

 今日がクリスマスイブだというのに冬真は、友人や恋人とは遊ばず、紬へのプレゼントを抱えてチャイムを鳴らした。玄関に招き入れたときの冬真は忠犬よろしく、鼻を赤くさせて気味の悪い笑みを張り付かせていた。紬の姿を必死に探すが、「あいつはいない」と教えた時の冬真といったら笑ってしまうほどに滑稽だった。まさに高みの見物と愉しむ自分は、多少は余裕を持てているのだろうか。  憮然とした態度の冬真は、勝手にリビングに上がり込んだ。自由に台所を使い、わざわざコーヒーをドリップさせて氷を多めに入れたアイスコーヒーを作っていた。これは紬が帰ってくるまで長居するつもりだ。  紬と二人だけで暮らしていけるよう作った聖域に、冬真はズカズカと土足で踏み入れてくる。 「それを飲んだら帰れよな」  冬真はアイスコーヒーの氷を口の中で噛み砕き、ダイニングテーブル越しから睨んでくる。 「紬さんはどこ」  俺はあくびを上げながら首を横に振る。 「仕事に決まってるだろうが、これだから大学生は」  重い前髪から見える冬真の双眸は苦々しそうに歪められている。紬にみせる好青年の顔はどこにいったのか。数ヶ月前まで義理の息子だった冬真と今や、赤の他人だ。  冬真はごくごくと渇きを満たすように、アイスコーヒーを底まで飲み干す。 「あんたは」  と、深いため息を吐いて肩を下ろす。 「名前で呼べ、くそガキが」  冬真は反吐が出ると下唇を噛んだ。 「俺は今日から連休だ、本当は紬も休みだったんだけどな仕事が立て込んだみたいで予定が変わった・・・・・・まあ、これ以上お前に教える義理はないがな」  だって冬真は紬の恋人でもないし、親戚でもないからな。と言い放ち、紬が焼いたストロベリー味のビスケットを一口頬張る。  五年前、実家の両親を安心させるためのカモフラージュとして、資産家の京子と結婚した。思春期の冬真との家族ごっこも始めた。  元妻の京子は、会社のお得意さんだった。上司を交えた食事を何度か重ねた夜、料亭で二人だけになったときに彼女からある話を持ちかけられた。  京子の実父が亡くなり、長女の彼女は親族と財産分与で争っていると聞く。「夫がいないと譲られない土地がある」と立腹の京子は都合の良い再婚相手を探しているようだ。「あなたも遺産を相続できるから」と言う京子は、眼にねっとりとした性悪な光をみなぎらせていた。  俺としても、両親から結婚を急かされるよりも前に、結婚履歴だけを残して嫌いな両親を黙らせようと策略をめぐらしていた。実の弟の紬を思い続ける自分はどこまでも醜い。だからこそ『完成品』として磨きをかけなければいけない。愛のない、偽装結婚に乗ったわけだ。それも利害が一致し、遺産を受け継いだ京子とは綺麗にさよならをした。新しくできた家族や、息子の冬真、妻の京子への未練なんて一ミリも感じなかった。 「夕方に帰ってくるのか」  冬真が操作している携帯電話から受信音が軽快に鳴る。 「それ、紬か?」  チラッと視線を向けていた冬真は、なぜか勝ち誇るような笑みを浮かべた。 「さあね」  胸くそが悪い。冬真が紬と連絡先を交換しているのは今更な話だというのに、無性に腹が立ってならない。冬真のすねを蹴る。  と、冬真は目尻を険しく吊り上げて怒りだした。 「ってめえ」  グラスが飛んでくる。俺はすかさず片手で受け止めると、勢いのままテーブルに置く。氷が床に飛び散った。 「危ねぇだろうが、相変わらず手が早いのな」  紬が知ったら幻滅するぞ、と呟いて濡れた手で服の水気を払う。 「マジで、お前なんか紬さんに釣り合わないんだからなっ! なにが兄弟だ、ふざけるな、くそがっ」  冬真は短気だ。紬が聞いたら卒倒しそうな暴言を吐くのもなにも珍しくもなく、彼にとって平常運転であった。 「くそっ!」  冬真は椅子から立ち上がり、俺を罵りながらリビングを歩き回る。爪を噛む癖はいまでも治らないのか、不安定な顔を見せる。 「・・・・・・お前はなんで紬がいいんだ、それとも、俺みたいになりたいのか?」  自嘲する俺だって激怒しないでも、自分の声が怒りに震えているのを抑えることができなかった。仕事とはいえ、自分から離れて紬が息をしている。それも冬真と携帯でやり取りをする余裕もあるときた。早く帰ってこいと足を踏みならす自分が無様で仕様がない。俺だけが紬を求めているのか。紬がそばにいないだけで耐えられない、心寂しさに襲われているのは俺だけなのか。 「あの人は俺の弱いところを認めてくれる、こんなデカい図体してる俺が弱っていても、純粋に心配してくれるんだ」  五年間、冬真の父親を演じてきたが、最後までこの子には親としての愛情を抱けなかった。なぜなら、冬真がよりにもよって紬に恋心を寄せたからだ。ふざけるな、と牽制したが素直に聞くような子供ではなかった。 「はっ、そんなの紬なら誰にだってするさ、あいつはそういう奴なんだよ、弱い顔をすればコロッと気を許す」 「てめぇ、紬さんを悪く言うな」  ドスのきいた声で脅してきても、俺にはかけらさえ通用しない。 「・・・・・・紬の懐の広さを利用するなよ、あいつは何でも背負い込もうとする、これ以上あいつを苦しめるなんて俺が許さないからな」  早く出て行け。そう、冬真に言い放つ。 「余裕ねえの」 「・・・・・・お前なんて嫉妬の対象にもならない」  紬が愛しているのは俺だけだからだ。とたん腹の底から歓喜がこみ上げ、大声で笑いたいくらいだ。 「紬さん、絶対に騙されてる」  冬真の台詞に、自分でも目が据わるのが分かった。 「・・・・・・あいつに何か言ってみろ、お前なんてひねり潰してやる」  俺は、紬の世界から去ることなんて端から考えていない。一生かけて紬を縛りたいとさえ願っている。早く仕事を辞めさせて、このマンションに閉じ込めたい。死んでも出なくて良いから、もう誰の目に触れさせないから。  夕方まで居着いた冬真は、紬が帰宅すると玄関に走った。大きくため息を吐いた俺は、冬真の後を付いていく。 「紬さん、お、おかえりなさい」  冬真は声の質を変えてみせた。 「冬真くん、待たせて悪かったね」 「いいえ、お仕事お疲れ様です」 「ありがとう」  紬が背後にいる俺に気がついた。ふと、柔い眼差しが冷たく光る。 「紬、おかえり・・・・・・」  紬と視線が合わさる。どうしてだろうか、全身に冷水を浴びせられたような身震いがした。冬真に氷をかけられた時よりも寒気がした。 「那津美、ただいま」  紬は、『どうして冬真を帰らせていないの』とでも言いたそうに目を眇める。まるで紬の闇の中をのぞき込んだみたいだ。紬も俺みたいな暗い情念を抱いているのか。  それが嬉しくて、気が触れたみたいに笑い声を上げた。 「どうしちゃったんだろうね」  言葉とは裏腹に、紬は穏やかに笑い返す。冬真が気味悪げにこちらを見てくる。 「あの、紬さんにプレゼントが」  冬真が用意したプレゼントは、ソファに置かれている。赤いショッピングバッグには、どうせ指輪でも入れているのだろう。 「・・・・・・冬真くんごめんね、僕には受け取れないよ」 「えっ」 「欲しいものは那津美が用意してくれてるから」  絶句する冬真をよそに、紬はゆっくりとした足取りで近づいてくる。俺の前を通り過ぎ、ひとりリビングに向かい、冬真のコートと赤い手提げの紙袋を持ってくる。 「これだよね、ほら早く帰らないと、お母さんが心配するよ」  冬真は顔を赤くさせ、子供扱いした紬の手から自分の物を奪い取る。俺を睨みつけるのを忘れず、そのまま玄関から出て行った。来るときも突然だったが去るときも風のように消えていく。どうか一生、俺たちの前に姿を見せるなと胸の底で毒づく。 「悪いことしちゃったな・・・・・・」  精いっぱい虚勢を張っていた紬が、申し訳なさそうに眉を下げた。 「・・・・・・あいつには、もっときつく言わないと通じないから、お前は悪くない」  おかえり、と改めて言い、紬の青色の唇に口づけを降らす。紬の顔色が悪いのは寒さの所為だけではない、と冬真は紬の弱さに気がつけなかったようだ。 「会いたかった」  上唇を舌で舐めあげる。 「・・・・・・僕も」  紬は気恥ずかしいのか、うっとりと微笑みながら視線を床に落とした。

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