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52.彼の印象
◆◇◆
弱ったな。と最初に浮かび、程なくして、困った。と重なる。
人間と関わり合いを持つようになって、もう随分と経つ。憧憬や敬愛の念を向けられる事はこれまでにもあったが、まさか、恋愛感情などというものを向けられるとは思ってもいなかった。完全に誤算だと言って良い。
想定外の告白に対し、一先ず最も的確かつ客観的な理由を以って訂正を、と試みた事もまずかったらしい。彼を酷く怒らせてしまった。
あの時「俺も恋愛感情を抱いている」と言ってしまえていれば、彼は気持ちが報われ、こちらも当面の間は協力者に困らなくなり、双方にとって好ましい結果になったのかも知れない。しかし幸いな事に、人の好意を利用してでも安全を確保しなければならない程、この身は堕ちていないようだった。
あの日の翌日、普段通りの顔で訪れた彼も、その点は気にかけてくれていたようだった。
「取り敢えず一晩は頭冷やした結果で言っとく。最終的に断られたとしても、次の奴が見つかるまで、遙の事はちゃんと責任持つから。つーか、断られたからって見捨てる程度の気持ちで言ってないってのは覚えとけよ」
と、宣戦布告の如く告げられはしたが。
その申し出は大変に心強かったけれど、反面、事態はより一層に難しくなった。
ああなった時の彼は、合理性よりも人間的な訴えかけ──即ち、この身が最も苦手とする理由を持ち出さなければ納得をしてくれない。彼が設けた一週間の期限の内にとなると、ハードルは更に高くなる。
一先ずは、鴇坂昴という人間の印象を改めて整理するところから始めるべきだろう。敵は中々に手強い。
まず、恋愛において重視される事の多い外見だが、特に美醜に対して拘りのない俺であっても「本人さえ望めば、田崎の言っていた『取っ替え引っ替え』とやらが可能だろう」と感じる見目をしている。
やや鋭い目付きに苦手意識を持つ者も居るようだが、総じて形も配置も良い。特に額から鼻筋にかけてと、手指の線が美しい人だ。
同年代の平均身長を上回る背丈に対して、異性が好印象を抱いている様は雰囲気で感じているが、個人的にはよく管理された肉体の方を評価したい。限られた時間の中でも向上して行きたいという、彼らしさの現れだと感じている。
学習面においても同様だ。理解力が高いだけでなく、目標に向かって努力を惜しまぬ姿勢には、ずっと好感を持っている。
強いて弱みを上げるとするならば、口調が少々荒いところだろうか。だが、あのくらいの年頃の者ならば当たり前と判断して良いだろう。
性格に関しても、当人はあまり良くないと感じているようだが、世の中にはもっと非道な輩が大勢居る。
寧ろ彼の育った環境を思えば、他者を労る心を失わずにいてくれて良かったと褒めてやりたい。憤りから容赦のない振る舞いをしてしまいそうになるところも、心に負った傷を傷と認め、癒される内に緩和されて行くだろう。
欲がある事も、打算がある事も、見栄や怯えや嫉妬がある事も、それらを抱えながらも正しく生きようとする姿は人間らしく、愛おしい。
そう。恋愛という括りさえなければ、俺は自信と確信を持って彼を「好きだ」と言ってしまえるのだ。人類に対して親愛を感じるよう定められたこの身において、他者を貶めんとする者でない限り嫌悪する事は殆どないという点は考慮すべきだが。
だから余計に、どう感じて、どう答えるべきかが分からなくなってしまう。
「あと、真面目に考えるはするけど、やっぱ好きだなって思ったら一週間経ってなくても普通に態度に出してくからな。そういう事して違和感あるかどうかってのも込みで確かめたいし」
沸点を越えた後、当初の感情的な声音がさっと引いて行き、自分が成すべき事を整然と組み立てる性質の彼がそう言った時、どうかその違和感を覚えてはくれまいか、でなければ、俺にそう感じさせてはくれまいかと過ってしまう程には、困り果てていた。
しかし、俺とて人類の守護者としての矜持がある。これまでの悩みが解消されつつあり、より良い人生を歩み出した彼の邪魔だけはしたくない。
本当ならば、彼が十分に冷静な状態で判断出来るよう、関わる時間を極力減らしてやりたかった。けれど、些か無茶をした所為で力の流れを乱してしまったあの日の影響で、彼には毎日足を運ばせてしまっていた。普通に心配だから頼まれなくても来たし、と当然だという顔で彼は言ってくれたが。
「ふっ……んぅっ……」
「遙」
何だろうか背後の彼の方へ顔を向けると、力の入りきらない体を反転させられた。正面から抱かれる。おい、と抗議の声を上げても、彼はいいからと答えて聞き入れてくれない。
「大丈夫だよ」
回された彼の腕に力がこもる。こんな風にして彼は、強い痛みが不意に振り返してしまうこの身を抱き締めては、言葉を掛けてくれるようになった。
甘えてはいけないと思うのに、安定を求める機能は彼の特性に従順になってしまう。散々に乱れた魔力は、間近に聞こえる彼の鼓動に合わせて隊列を整え、尚も飛び出して行こうとする力は彼の体温に包まれると融解した。
己の欠陥に直面させられる時間だったはずが、今は暖かな手とやわらかな声が安らぎをもたらしてくれる。あやすように髪を撫ぜる彼は、彼自身が思うよりも優しい子だ。
そんな彼だからこそ、人間社会での幸福を掴んで貰いたい。人と人とが支え合って生きていく輪の中に居て欲しいし、可能であるならば子孫も残し欲しい。
これから彼が出会う内の誰かが収まるべき場所に、俺が居てしまう事はやはり適切ではないのだ。
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