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2.元日(3)

 意味がわからず隆人の言葉を舌の上で何度か転がして、はっと顔を上げた。 「ちょっと待て。それってまさか……?」  隆人が肩をすくめる。 「そのまさかだ。自ら鳳に赦しを請うて口淫させてもらい、精液を飲む。これならとりあえず腹に入るな」  遥は口を手で押さえた。隆人の話は淡々と続く。 「飢えさせるのは、そういうことに抵抗をなくさせる意味もある。追いつめられればいつもとは違う精神状態に陥っているから、普段はできないことができる場合もある」  隆人の視線に全身が熱くなった。視線をそらしたい気持ちをこらえ、隆人の目をしっかり見返す。 「俺は別に追いつめられてそうしたわけじゃない。前からやってみたかったんだ」  隆人が目を丸くした。そのようすに自分の放った言葉の恥ずかしさに思い至った。更に頬がほてり、ついに下を向いてしまった。  そっと胸に抱きよせられた。何か言われたらと思うと身がすくむ。しかし隆人は無言で遥をただ抱きしめているだけだ。  激しかった鼓動が落ち着いていき、遥はほっと息をついた。  隆人の見せるこういう気遣いはいつも遥を助けてくれる。かなわないと思う。こんなふうに人に――隆人に接したいと思う。  しばらくして、隆人が再び話し始めた。 「さっきの話は鳳と凰が体の関係を持てる間柄の場合だ。俺と母のようにそうでない場合も当然数多くあった。そういう間柄でも凰は鳳に従わなくてはならない。それを示すための方法が儀式化された。儀式だから代用品を用いて行う。その代用品が『あれ』だ」  遥は顔をしかめた。米のすりつぶされた粥が凰だけに出されるわけだ。 「あんたの先祖はどうかしてるぞ」 「俺もそう思う」  隆人から身を離し、その顔を見つめた。 「そう思うのならやめればいいじゃないか。定めを変えられるんだろう?」  口をとがらせた遥に、隆人はあっさりと首を横に振った。 「そう簡単にはいかない」 「どうして。自分だって特に必要と思っていないんだろう?」  隆人の手が遥の肩をぽんぽんと叩いてから載せられ、隆人の胸に引き寄せられた。遥は大人しく隆人にもたれかかる。 「年越しの儀に限らず、すべての儀式は皆に役割を与える」  隆人の言葉が今までの話とつながらない。遥は隆人を見あげる。 「一族の――特に五家の者たちは、与えられた役をしっかりと務めることに誇りを感じるよう幼い頃から教育されている。その者たちに与えられている役目を俺の一存でやめると、彼らから役目を取りあげたことになる」  ああ、と遥はうなずいた。隆人が髪を撫でる。 「五家の者からすれば、俺がその者たちの今までの働きが気に入らなかったからだと受けとめる。最悪の場合は、当主たる俺にとって自分は不要な存在なのだと考えてしまう。そんな考えを起こさせないために、代わりの役目をすぐ与えられればまだいい。別の仕事があると言えるからな。だが、父が東京の別邸に生活拠点を完全に移してからは、本邸の重要性は相対的に儀式を行う場所という意味合いが強まってしまった。これは本邸を守っている樺沢本家の中に不満を生んでいる。父は儀式も簡素化させたから、それでなくても与える役割が減った。俺としてはこれ以上の儀式変更は難しいと思っている」  隆人が悩ましげに眉根を寄せていた。  ため息が遥の口をつき、次いで言葉もこぼれた。 「当主ってのはそんなことまで考えるのか」 「人の忠義を受けとめるなら、絶対に投げ出したり侮辱したりしてはならないというのが、父の教えだ。俺は当主と呼ばれ、鳳と敬われているが、それはすべて(かしず)いてくれる者達がいるからこそだ。頼られているのだから、それに報いるのは俺に課せられた義務だ」  静かな言葉は隆人の強い意思を感じさせた。遥は隆人にしがみつく。背がやさしく撫でられる。 「お前はその俺を支えてくれる。俺を守り、俺の願いを叶えてくれる。かけがえのない、絶対に必要な存在だ」  遥は顔を上げると隆人が微笑んでいた。遥の胸に何かがこみあげてくる。たまらなくなって、またしがみついた。膝の当たった膳の上で箸が箸置きから転げ落ちた。 「行儀の悪い奴だ」  隆人の声は笑っている。 「キスしよう、隆人」  顔を上げてねだると、すぐに応じてくれた。隆人の体に腕を回し、しっかりと抱きついて、何度も口づけをかわす。そして二人そのままもつれるように布団の上に倒れこんだ。  隆人に抱かれている。隆人のちょうど鎖骨のあたりに頬を押し当てている。昨夜から何度も抱き合い、情を交わした体はけだるい。気持ちはとても落ち着いている。満たされて幸せな気分だ。  ふと、言葉が口をついた。 「必要とされる快感……」 「どうした?」  隆人に覗きこまれ、見かえす。 「誰かを必要として生きるより、必要とされて生きたいってこと」  遥は目をつぶった。 「あんたは俺を必要だと言ってくれる。俺が凰だからなのだとしても、必要としてくれることがやっぱりうれしい。誰かのためになっていると思うと、自分がここにいることは正しいと思える」  隆人が遥を抱きしめ、ため息をついた。 「隆人?」  かすかに感じた心の揺れは、背を滑る隆人の手の感触にかき消された。隆人の首に腕を回し、撫でられる感触に震える体を隆人に押しつける。耳元で囁かれた。 「俺はどうだ? お前は必要としてくれるか?」  しがみつく腕に力を込めた。 「当たり前だろう。必要だ。どうしても隆人が要る。俺は逃がさないと言ったぞ」 「そうだったな……」  隆人の指が髪を梳く。その心地よさに遥は少しうとうとした。

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