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3.理想の家(後)
途中つまみを作るためにスーパーマーケットで買いものをし、泰徳のマンションへ到着した。部屋に入ると澄人は泰徳が着替えている間に、カナッペを準備する。生ハムメロンやキャビアとスモークサーモン、クリームチーズとサーモンオリーブなど、五種類を用意してリビングのテーブルに運んだ。それが終わると、朝、浴室に干した洗濯物を取りこんで、寝室のウォークインクローゼットにしまう。泰徳が寝室で脱いだ服はしまうか、洗濯に回すか、クリーニングに出すかを決め、それぞれの場所に分けた。
サーモンを使ったカナッペが多いせいか、泰徳は白ワインの瓶を開け、二客のワイングラスに注いでいた。視線に促されて、泰徳の前に座る。
もしここが紅林家の屋敷なら、影に過ぎない澄人が主と同じテーブルに着くことは許されない。しかし屋敷の外では違う。護衛であった澄人は学校ではずっと泰徳の近くの席に配されていて、昼食はともに摂っていた。大学でも同じ講義、ゼミを取り、常に付き従った。泰徳の家族より長い時間を一緒に過ごしてきた。そして、今も同じ部署で働いている。
「乾杯」
泰徳がグラスを掲げた。澄人もそれに倣 う。サクッと音を立てて泰徳がカナッペを食べた。
「このクリームチーズとサーモンはうまいな」
「ありがとうございます。このりんごとカマンベールに蜂蜜をかけたものはデザート感覚で召し上がれますよ」
澄人の言葉に泰徳が笑顔で手を伸ばした。
「それにしても昨日の今日で、至に会うとはな」
それに関して、澄人は結城が泰徳のマンションの近くで待ち伏せていたのではないかと思っている。彼は自分の魅力を過大評価していたし、今までどのセフレも入ることを許されなかったこの部屋にこだわっていたらしい。だからこそ泰徳は切ると決断したわけだが。
これで今、泰徳は完全にフリーだ。そのことで澄人は気持ちが弾んでいた。新しい相手が現れると泰徳から身元調査を依頼される。だから泰徳の恋愛遍歴をすべて知っている。主の恋愛に口を挟むことはできない。ただ泰徳にセフレができると、最も近くにいるという澄人の矜持が多少なりとも揺らぐ。そんな澄人をを支えてくれるのが、この部屋へ立ち入りを許されている事実だ。泰徳の信頼は澄人の誇りだ。まして今夜、泰徳は澄人のことを庇ってくれた。
「ありがとうございます」
澄人の礼に泰徳が怪訝そうにした。
「わたくしのことを友人であり幼馴染みと言ってくださいました」
「事実だろう? お前は主従の線引きをきっちりしようとするが、俺の学校生活はお前抜きに語れない」
泰徳がにやりとした。
「今の俺の快適な生活も、お前に支えられているしな」
「お役に立てているなら光栄です」
澄人も笑んだ。
しばらく二人とも無言でワインを飲み、カナッペを口に運んでいたが、澄人はふと手を止め泰徳を見た。
「泰徳様の理想の家や生活とは、どのようなものですか?」
「俺の理想か……」
泰徳が呟いてから、笑顔を見せた。
「趣味の楽しめる家だな」
聞き漏らすまいと身を乗り出した澄人に対し、泰徳がソファの背にゆったりと身を任せた。
「しっかりと地震対策がされていて、頑丈な書庫と書斎があり、建築模型を作って飾れるホビールームがある」
グラスを傾けながら、泰徳が言葉を続ける。
「寝室は二階でセミダブルかダブルのベッドを二台置きたい。風呂も二階でジェットバスがいいな。リビングダイニングは床暖房を入れて足元から温かくして、ゆっくり酒が飲みたい。キッチンは必要最低限のことができればそれでいい。後は客用の部屋を一室設けておきたい。当然シャワーブース付きの専用ラバトリーが必要だ」
理想を――夢を語る泰徳は実に楽しげな表情をしていた。一人息子の泰徳はいずれ純和風の紅林邸に戻ることになるだろうが、別宅を建てることも考えられる。寝室にベッドが二台とはっきり言った。ならば二人で住む家だ。泰徳は誰と住むことを考えているのだろう。すべてのセフレと手を切った今、寝室をともにするほど親しい相手はいないはずだ。それとも跡継ぎの義務として、妻を持つつもりなのか。
泰徳が女性と付きあったのは十代の頃だ。就職後に何度か見合いをしたこともあるが、すべて破談になっている。セフレがいること、それが男性だということを隠していないのだから当然かもしれない。そしてセフレの枠を越えて親しい付きあいの相手――この部屋に上げた相手は未だいない。
澄人はカナッペの端をかじりながらさりげなく訊ねた。
「どなたと暮らすかまで、考えていらっしゃるのですか?」
「まあな」
澄人は頭を殴られたようなショックを受けた。泰徳のことは何でも知っているつもりでいたのに、泰徳に思う相手がいたとはまったく気づかなかった。手のひらに嫌な汗がにじんできた。急いでカナッペを口の中に押し込み、ハンカチを出して汗を拭った。
そう言えば、と泰徳がグラスをテーブルに置いた。
「お前の理想はどんな家だ」
澄人は返答に窮して、視線を空きの目立つ皿に落とした。泰徳が追い打ちをかける。
「特に思いつかないとか言わないよな。大学のときは自由設計でだいぶ困っていたが、もう建設会社の社員なのだし、自分の家を建てることを考えたりするだろう?」
体が羞恥にほてる。首を竦め、上目に泰徳を見た。
「いえ、あの……」
泰徳の顔が大きく苦笑に崩れた。
「考えつかない、もしくは、考えたことがない、か?」
「はあ……」
そうかそうかと泰徳が呟いた。しばらく考えているようすだったが、ぱっと背をソファから浮かせた。
「今週末、お前の部屋に行く。土曜に決めた」
「えっ」
澄人は目を瞠って固まった。泰徳は真面目な顔だ。
「あの企画を提案したお前が、いったいどんな部屋に住んでいるのか見てみたい」
澄人はうろたえた。
「そ、それは……」
「部屋を見れば自ずと性格が出るからな。それに――」
泰徳がにやりとした。
「今までお前の部屋を一度も見たことがない。是非見せろ」
これは絶対に面白がられている。だが主の命令では拒めるはずもない。澄人は力なく頷く。
「かしこまりました」
「白ワインと赤ワイン、一本ずつ持っていく。料理も期待しているからな」
「プレッシャーをおかけにならないでください」
自分に向けられる笑顔に、澄人も笑みが浮かんでしまった。
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