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第六章・9
巴の姿を目にした途端、蓮は彼に抱きついていた。
自分でも予想しなかった、衝動だった。
「巴さん……、巴さん!」
「蓮、お疲れ様。辛くは無かったか?」
「他の男の人に抱かれました。僕のこと、嫌いになりませんか?」
「それは仕事だろう? 浮気じゃない」
これで蓮のことを嫌いになったり、するもんか。
優しい巴の言葉は、蓮の心を潤した。
「少し、怖かったです。でも、男優さん良い人でした」
「それは良かった」
ケーキを買って来たから、一緒に食べよう。
お茶を淹れてくれないか?
そんな何気ない、他愛もない会話を、巴は心掛けた。
絡みの撮影を初めて経験して、平気な子なんかいないだろう。
紅茶を淹れて、ケーキを口にする頃に、蓮はようやく落ち着いていた。
「巴さん」
「何かな」
「……愛してます」
突然の、一言だった。
だが、蓮はこの言葉を巴に言うために、耐えたのだ。
動画を撮り切ったら、巴さんに『愛してます』って言おう。
それが、心の支えだった。
「私も蓮を、愛しているよ」
ていねいに、心を込めた返事が寄こされた。
優しい空気が、二人を包んでいた。
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