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第28話 偽り

 東口にあるコンビニ前に息を切らせていくと、ジーパンにカーキの半袖を着た千早の姿をすぐに見つけた。  あと数メートル、と言うところで、俺は思わず足を止める。  会いたい気持ちが確かにあるのに、足が動かなくなってしまう。  俺にとって、千早は何だろう?  彼は俺に気が付くと、にこっと笑い、近づいてくる。 「どうしたんだ、琳太郎」    さっきは確かに会いたい、という気持ちが溢れていたのに。  迷いが俺の中にある。 「琳太郎?」  千早の手が、俺の手に伸びる。 「どうかしたのか?」 「え? あ……な、なんでもない」  笑って首を振るが、たぶん、誤魔化せはしないだろう。 「とりあえず、帰ろう」  普段なら、人前で手を掴まれて歩くなんて、全力で拒否するんだけど、今日はそんな気力もなく、手を引かれるまま夜の街を歩いた。  千早の家に着き、リビングのソファーに腰かける。  キッチンで千早は飲み物を用意して戻ってきた。  グラスに入っていたのは、冷たいココアだった。  普段は麦茶なのに、今日はどうしたんだろうか。 「ココアなんて珍しいな」 「バイト終わりで、疲れてるかな、と思って」  甘い飲み物は好きだし、ココアも好きだから正直嬉しい。  俺は、グラスを持ちそれをじっと見つめた。  幸せそうに見えないとか、寝てみないか、とか、瀬名さんに言いたい放題言われたのが、ずーっと心に引っかかっている。  だからと言って、千早になんて切り出したらいいのかはわからなかった。 「琳太郎」 「うん」 「さっきから微動だにしてないけど、大丈夫?」 「え?」  千早の声に我に返った俺は、グラスと、横にいる千早を交互に見た。  どうやら、グラスを持ったまま固まってしまっていたらしい。   「あ……」 「お前、変だぞ。何かあったのか?」 「う、ん……まあ……」  呟き俺は、グラスに口をつけた。  ココアの甘みが、口の中に広がっていく。   「なあ千早」 「何」 「何でお前、俺の首噛むの?」  グラスを置き、ソファーの背もたれに身体を預けて顔だけ千早に向ける。  千早もグラスを置き、身体ごと俺の方に向ける。   「あぁ、もしかして、誰かに言われたの?」  千早の目が、すっと細くなる。  なにこれ怖い。  背筋に嫌な汗が流れていく。 「だって、俺にそんなことしたって、番にはなれないのになんでって思って」  一気に言って、俺は押し黙る。  千早の目が怖い。  あれ、俺なんかまずいこと言ってる? 「琳太郎」  声と共に手が伸びてきて、腕を掴まれたかと思うと身体を引き寄せられてしまう。 「おわっ」  後頭部に手が回り、息がかかるほど近くに千早の顔が来る。   「俺がお前を選んだ。言っただろ? お前は俺の番だ」 「に、偽物だって最初に言ったのはお前だろ? 俺はそもそもベータだし、お前の『運命』にはなれないんだから」 「琳太郎」  低く、威圧するような声に俺の心が震える。 「な、なんだよ」 「お前は、俺の『番』だ。そう、俺が決めたんだからな」 「だって、お前が卒業までの期間限定って言ったんだろ? それすぎたら俺は……」  俺はどうなるんだ?  ゆらゆらと心が揺れる。  なんで俺、こんなに動揺してるんだろ?  卒業したら、以前のような友達に戻るんだろうか?  それとも、俺は捨てられるのか?  視界が歪み、そこで始めて、俺は泣いていることに気が付く。   「琳太郎」  名を呼ばれたかと思うと、顔が近づき唇が重なる。  すぐに舌が入り込み、口の中を舐め回されてしまう。   「ん……」  唇が離れ、俺は千早にしがみ付いて息をつく。 「卒業まで、お前は俺の『番』だ。だから首に噛み付くのは当たり前だろう? 何の問題がある」  卒業まで。  その言葉に胸が痛くなってくる。  あぁ、最初に言った通りなんだな。  卒業までの間の、偽りの存在。 『お前が代わりになればいい』  確かにそう言われた。  そして今に至る。 「だからそれまでお前は俺の『番』だ。それに嘘はない。何の問題があるんだ?」  自信満々に言われ、俺は何も言えなくなってしまう。  根本的に何かがずれている。  千早ってこんなやつだったのか?  千早は、俺を見つめたまま首を傾げている。   「お前、何を言われた?」 「……え……」 「お前、誰かに何か言われたんじゃないのか? お前が自分でその傷に気が付くとは思えないし」  まあ、確かに今まで気が付きませんでしたけれども。  千早の言葉に、俺は動揺してしまう。 「宮田、じゃないな。もし彼なら、とっくにお前は気が付いていただろ? てなると……例のバイト先の?」  なんでそんなに察しがいいんだよ。千早の声、めちゃくちゃ怖いんですけど。   「そ、そんなんじゃあ……」  否定しようとするけれど、うまく言葉にできないし、声が震えてしまう。 「何を吹き込まれたのか知らないが、俺がお前を選んだんだ。それをお前は疑うのか?」 「ちは……」  名前を呼ぼうとすると、千早の長い指が唇をなぞる。 「わからせてやるよ、琳太郎。俺がどれだけお前の事を想っているのか」 「わからせるってどうやって……」  俺の心に、恐怖と期待が同時に押し寄せてくる。  ああ、このあときっと、俺は……  考えるだけで、身体の奥底が熱くなっていく。  この二週間で俺の心と身体は、だいぶ変えられてしまったように思う。  千早によって。  思わず唾を飲み込むと、千早は唇から頬を撫でて、そして、低い声で囁く。 「夜は長いからな。身体と、心に俺を刻み付けてやる」  それを聞き、俺は思わず吐息を漏らした。

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