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第34話 振り回される
千早のマンションに戻り、案の定一度抱かれたが、免許の話や瀬名さんの話は出てこなかった。
重い身体をひきずりつつ家に帰りスマホを見ると、瀬名さんからメッセージが届いていた。
『今日は会えてうれしかったよ~。また水曜日バイト先で』
『今度、パンケーキ食べ行こうね!』
……嬉しかったってどういう意味だよ?
パンケーキ食べに行こうって、男ふたりで行くにはちょっとハードル高くねえか?
あの人ほんと、訳わかんねえな。
っていうか、水曜日、バイト被るのか……
『お疲れ様です。そう言うのは好きな人誘ったらどうですか?』
そう返すと、すぐに返信が来る。
『僕にはそういう相手いないってー。僕は、結城と一緒に行きたいの』
いや、でも友達くらいいるだろ?
そう思うけれどさすがに、友達いないんですか? とはいえず。
考えた末、
『時間が合えば』
という、あいまいな返事しかできなかった。
我ながら優柔不断だと思うが、断れないものは断れない。
けれど瀬名さんはそう言うのが通じないようで、
『じゃあ、また土曜日のバイト前なら大丈夫だよね』
などと言ってきた。
なんなんだこの人。
バイト前の時間を押さえられたらさすがに断る理由がない。
あ、もしかしてこの人、その時間なら俺が断れないと、わかってやってる?
『ちょっと先になるけど、予定空けといてね』
何も返していないのに、すぐそう返信が来てしまう。
この人なんで俺にこんな強引なんだ?
俺としてもそう毎週末出かけるわけにもいかず、六月末なら、と返信する。
『別にいいよー。じゃあ、六月十八日土曜日にね』
と、勝手に予定が組まれてしまう。十八日って、末でしたっけ?
この強引さは、アルファに共通するものなんだろうか?
まあ、その頃に予定はないけれども。
試験は七月末だし、免許はその先だし。そうだ、免許合宿の予約しねーと。
瀬名さんへの返信を後回しにして色々調べた結果、免許合宿は八月中だと値段が高いので、九月の頭に申し込むことにした。
よかった、まだ空いてて。
ていうか、まだ三か月以上も先だっていうのに、バツが多かったな。
ネットからの仮申込をすませ、とりあえずひと安心だ。あとは本申込みか……
今できる事を済ませ、俺はスマホを閉じる。
ベッドに寝転がり、俺は天井を見つめた。
疲れた。
色々あったな、今日。
千早といい、瀬名さんといい、何を考えてるのかほんと、訳分かんねえな。
なんで俺、アルファのふたりに振り回されてるんだろ?
俺、ベータだよな、間違いなく。
千早や瀬名さんが言う匂い、俺にはわかんねえし。
あの人たち、俺とは違う次元で生きているんじゃないだろうか、って思う。
わかんねえな、アルファとか、オメガとか。
運命の番に相手にされないと、あそこまでおかしくなる物なんだろうか?
俺にはわからない。
まるで濃い霧の中をさまよっている気分だ。
水曜日の夕方。
バイト先に行くと、瀬名さんがエプロンをして準備をしていた。
なんとなく気まずく思いながら、俺は彼に挨拶をして、ロッカーを開ける。
「結城ー」
「おわぁ!」
甘えるような声と共に、瀬名さんが後ろから抱き着いてくる。
何なんだこの人は。
「ちょっと、暑いってのに何考えてるんですかまじで」
今日も日中は三十度近くいった。
六月に入ったわけだけど、連日夏日だ。
ここはエアコンが効いているとはいえ、俺は外から来たばかりで身体に熱がこもっている。
そんなところに抱き着かれたら暑くて仕方ない。
「そんなに嫌がんなくてもいいじゃん? 気になってさー」
軽い口調で瀬名さんは言い、俺の首元に唇を寄せる。
くすぐったい。
ていうか、男にそんなことされても嬉しくない。
「やっぱり匂いする。この匂い、彼の匂いだよね?」
言いながら、瀬名さんは俺の背中から離れて行く。
彼の匂い。
千早の事だろうとすぐに気が付く。
俺はロッカーから制汗スプレーを取りだし、これでもかってくらい身体に吹き付けた。
「俺には何のことかわかんないですよ。俺はオメガでもアルファでもないですから」
「匂いが分かんなくっても、うなじ噛まれるくらい仲いいんでしょ? なんで彼は君にそんなことするのか、興味深々なんだよねー」
そう言った瀬名さんは、楽しそうに笑っている。
「知らないですよ。だって俺は……」
言いかけて、口をとざす。
身代わりだから、と言いかけてそんなこと言ったら事態をややこしくするだけだと気が付く。
「……俺はベータですから、アルファの考えは俺にはわからないです。瀬名さんの方がわかるんじゃないですか?」
言いながら俺は、制汗スプレーをしまい、エプロンなどを取り出す。
「それがさ、何度考えてもわからないんだよねー。アルファがオメガに執着するのはわかるよ。本能だし。でも、ベータに対してそんな意識は働かないはずなんだよね。だから君に何があるのかなって、僕はとても興味があるんだよ」
あぁ、やっぱりわかんないんだ、同じアルファでも、千早がなぜ俺のうなじを噛むのか。
「この間、本屋で君と彼に会ったじゃない? 彼、僕を超睨んでくるんだもん、怖かったよねー」
まったく怯えを感じない声で言い、瀬名さんは腕を組む。
いや、顔、めっちゃ笑ってるじゃないですか。
「あの表情、オメガを独占するアルファそのものなんだよね。でも君はオメガじゃない。何が彼を狂わせているのか、君に何があるのか、僕はとっても知りたいんだよ」
「オメガを独占する……」
俺は、瀬名さんが言ったことを、口の中で繰り返す。
あいつが俺にやっている事ってオメガに対するものと一緒って事か。
「オメガ相手ならさ、アルファって拉致監禁も厭わないからねー。人権無視もある程度許されちゃってるし。アルファとオメガは国が管理してるけど、個々で起こる事例は防げない」
さらっととんでもないことを言ったぞ、今。
確かに千早は、宮田に対してそんなこと言ってたな。閉じ込めてぐちゃぐちゃにしてやりたいと。
それが許されるって、オメガの立場っていったいなんなんだ?
ここ、日本だよな?
「結城」
名を呼ばれたかと思うと、瀬名さんに両頬を引っ張られてしまう。
何するんだこの人、本当に。
「暗い顔してどうしたの? 君が気にすることじゃないよ。だって、君には関係ない世界なんだから」
その言葉が、ぐさり、と刺さる。
本当ならアルファとかオメガとか、関係ないはずだった。
でも違う。
現実に俺は、千早に囲い込まれているんだから。
「……関係ない、わけじゃない、て顔してる」
何もかも見透かすような瀬名さんの瞳が、すぐ目の前にある。
「君は何で、そんな暗い顔するの?」
頬から手が離れ、その手がそのまま俺の肩に置かれる。
完全に俺の目は泳いでいることだろう。
何を言えばいいのかわからず、俺は押し黙る。
「何が起きているのか僕にはわからないけど、でもそれって、君がしなくちゃいけないことなの?」
「え……」
瀬名さんは、にこっと笑い、俺から離れて行く。
「じゃあ、僕、先行ってるねー」
「え?」
言いたいことだけ言って、瀬名さんは手を振りロッカールームを出て行ってしまった。
あとに残された俺は、エプロンを握りしめたまま扉をただ見つめた。
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