37 / 66

第37話 友達とカレーの匂い

 六月三日金曜日。  連日真夏日を記録していたが、今日は朝から雨が降っていた。  今日は二十五度を超えないらしいが、じめじめと蒸し暑い感じがする。  今日は、宮田の家に行く約束をした日だ。  約束をして今日まで、色々とあった気がする。  宮田には聞きたいことがいくつかある。  あいつは何で、千早を拒絶しているんだろ?  運命の番は、魂で惹かれあうと言うのに。  それを拒絶して、なんであいつは平気でいられるんだろう?  ……なんか特殊なのか?  一日の講義を終えて、俺と宮田は並んで大学を出た。  時刻は十六時四十分。  宮田の家まで、歩いて十五分ほどらしい。   「雨は嫌だねえ」 「暑いしなあ」  俺は顔をしかめて言い、通りを見る。  中高生と思しき制服姿の生徒たちが、おしゃべりしながら楽しそうに通り過ぎていく。  中には相合傘をしている子もいて、寄り添い歩く姿が微笑ましく映る。 「夕飯、カレーで大丈夫?」  隣を歩く宮田にそう問われ、俺は頷き答える。   「あぁ。大丈夫だけど」 「あとサラダかなあ。なんか、お泊り会みたいだ」  言いながら、宮田は笑ったようだった。  お泊り会ねえ。  そういえばあったな。  中学とか、高校の時。  ……そういえば、高校の時、一回だけ千早の家に泊まりに行ったことを思い出す。  そのとき、母親には会わなかった。  お手伝いさんがいて、その人が部屋まで食事を運んでくれて。  あの時は楽しかったな。  感慨にふけっていると、宮田に名を呼ばれてハッとする。 「結城、ねえってば」 「え?」  驚き隣を見ると、彼は首を傾げて俺を見ている。 「大丈夫? 何か、気になるの?」 「え、あ、いいや。そういうわけじゃねえよ」  言いながら俺は首を振る。   「ならいいけど……とりあえず、買い物して帰ろう。商店街にちょっとしたスーパーあるし」 「わかった」  商店街にあるスーパーは、郊外によくあるような大型なものじゃない。  日々の食生活に最低限必要なものが買える、って程度の、小さな店だった。  値段は決して安くはないけれど、ちょっとした買い物をするにはちょうど良かった。  安く買いたいなら駅前のショッピングモールの中にあるスーパーに行けばいいのだから。  スーパーで、カレーセットという名前で売られているカット野菜とカレールー、それに肉とサラダの盛り合わせを買い、家路につく。  メインストリートから外れた住宅街の一画に建てられた二階建てのアパート。  そこの二階が、宮田の家だと言う。 「人よぶの初めてなんだよねー」  そう言いながら、宮田は傘を畳み、階段を足どり軽く上っていく。  他に友達いないのか、なんてことはさすがに聞けず、俺は適当に頷き傘を畳み階段を上がる。  階段を上ってすぐ目の前にあるのが、宮田の部屋だと言う。 「ただいまー」  と言いながら、彼は玄関ドアを開いた。  中に入ると、八畳ほどの部屋にロフトが付いた、まあまあの広さの部屋だった。  テレビに本棚、それに座卓が置かれたシンプルな部屋。  大学生のひとり暮らしって感じがする。  開いたままのカーテンからは雨空が見える。  どす黒い雲が、空一面に広がっているのがわかる。  これはしばらくやまないな……  カット野菜を買ってきたため準備することがあまりなく、俺は座ってカレーができるのを待つことになってしまった。  なんとなくつけたテレビでは、ニュースが流れていた。  時刻は十七時二十分。  こんな時間に地上波を見ることはあまりないので、なんだか新鮮な気持ちだった。  家にいても大体動画流してるか、CSの音楽チャンネル流してるだけだしな……  ぼんやりとテレビを聞きつつ待っていると、カレーの匂いが漂ってくる。  それと同時に腹が鳴る。  こんな時間に夕食を食べることは少ないが、カレーの匂いは特別なんだろうな。  すっげーお腹すいた。 「人参はレンジであっためたし、ジャガイモはポテトサラダにしちゃった。あと少し煮込んで、ご飯が炊ければ食べられるよ」  という声が、キッチンから聞こえてきた。  食事を終えて、十九時過ぎ。  テレビはニュースからバラエティ番組に変わっている。  食器類は片づけ、互いにペットボトルのジュースを飲みつつ、まったりとテレビを見る。 「ねえねえ、結城」 「何?」 「前から気になっていたんだけど」  宮田はテレビから目を離さず言った。 「君から、アルファの匂いがする気がするんだけど、その……気のせい、かな?」  その言葉に、心臓が大きく音を立てる。  そういえば前も言っていたっけ?  匂いがするって。  でもその時は、恋人がいるっぽい匂いって言っていたと思う。  宮田はこちらに顔を見るけれど、気まずそうにすぐ顔を伏せてしまう。 「でも、結城はオメガじゃないし、だから気のせいかなって思ってたんだけど、どんどん匂いが強くなるから……もしかしてって思って」  言いにくいのか、宮田はそのまま口を閉じてしまう。  もしかして、って言うのは何を指しているんだろうか。  やばい、胸が痛くなってきた。  なんなんだ、この痛みは。  重い沈黙とは裏腹に、テレビからは笑い声が聞こえてくる。  宮田は顔を上げ、何度も瞬きを繰り返した後、首を横に振り、言った。 「まさか、あの人と、付き合ったりしてる?」  疑いのこもる声で言い、宮田はすぐに視線を反らしてしまう。   「おかしくないかなって思って。だって結城はベータでしょ? なのになんでアルファの匂いを纏うようなことになるの?」  背中を、変な汗が流れていく。  俺も聞きたいことがある。  なぜ、千早を拒絶したのか?  聞きたいのに、俺の唇は全然動かない。  この沈黙が気まずい。  俺が答えに悩んでいると、宮田は顔を上げ、手を前に出してそれをぱらぱらと振りながら慌てた様子で言った。 「ごめんごめん、変なこと言って。ちょっと気になったって言うか……でも、そんなの僕が気にすることじゃないよね」  と言い、苦笑を浮かべる。   「気になっちゃってさ。あの時、結城が助けてくれたあと、結城、戻ってこなかったじゃない? その日辺りからかな、結城から匂いがするようになったのは。でも、偶然かな、って思ったんだよね。でも、匂いはどんどん強くなるし、最初は本当に恋人ができたのかと思ったけど、でも、この匂いはあの人の匂いだって気が付いてからずっと気になって……」  宮田は早口で言い、口を閉じ、首を傾げている。  もしかして、自分で何を言っているのかわからなくなったのかもしれない。  一方で、俺の心臓はバクバクだった。   「ねえ、もしかして、僕があのとき逃げたの、関係してたりする?」  遠慮がちに言う宮田の声が、なんだか遠くに聞こえた。

ともだちにシェアしよう!