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第38話 宮田の部屋で
五月の半ばの金曜日。
発情した宮田が千早に捕まった日。
俺が、千早の部屋に連れ込まれた日。
あの時宮田が逃げたのが関係あるか、と言われたら大いにある。
でも宮田に逃げるよう言ったのは俺だしな……
「か、関係あるわけねーじゃん」
動揺を誤魔化そうと笑いながら言うが、まあ、信じないだろうな。
宮田は疑いの目で俺を見ている。
俺は首を横に振り、なるべく平静を装い言った。
「お前が気にすることじゃねぇよ。そもそも、宮田は千早を拒否ってるわけだろ?」
「まあ、うん、そうなんだけど……」
言いながら宮田は俺から視線を反らし、下を見る。
「なら気にする必要ないだろ?」
俺の口から出てる声が、わずかに震えていることに気がつく。
なんでこんなに緊張してるんだ、俺?
「お前は何で、千早を拒否ってるの?」
向こうから振ってきたなら丁度いい。俺がずっと疑問に思っていたことをぶつけてみる。
すると、宮田は膝を抱えて俺の方を見た。
「え? あぁ、それは……運命の相手だからって理由で僕を縛り付けようとするからだよ」
運命の番は、魂が呼応すると言っていた。抗えないものだと。
なのになぜ、宮田は抗えるんだろうか?
「知り合いのオメガは、高校卒業してすぐ結婚したんだよ。相手のアルファは運命の相手だって言ってて、ほぼ家の中にいて、というか外に出してもらえないみたいなんだけど、彼はそれを幸せだと言ってて。僕にはそれが理解できないんだ。したいこともできない、外にも出られない、自由を奪われた生活が、本当に幸せなのかな? って。それを当たり前のことのように語る、アルファとオメガが怖いんだ」
確かにそれは、俺にも理解できない話だ。
アルファやオメガの抱える事情は俺の理解の範疇を超えている。
千早も言っていたっけ? 閉じ込めてぐちゃぐちゃにしたいって。
……拉致監禁じゃねーかそれじゃあ。
合意があればいいのか?
宮田は膝を抱えたまま顔を埋め、震えた声で続けた。
「でも、彼が近くに来ると身体が疼くんだ。彼が欲しいって、本能が訴えてくる。あの人が目の前に来るたびに苦しくって……拒むのに必死だったし、家に帰ってから大変だったよ」
そうか、宮田も千早と同じ苦しさがあるのか。でも、それに抗っている。
なんで抗えるんだ?
「もし、アルファに捕まったら僕の未来はなくなっちゃう。せっかく大学に入ったのに、普通の生活を送りたいのに……なんでこんなところで出会っちゃったんだろ……」
消え入る声が、なんだか哀しい。
普通の生活を送りたいだけ。
オメガである、という理由で、そんな生活を奪われかねないから、その運命に抗おうとしてるのか。
「宮田は……千早のこと……」
「僕は、彼が怖いよ。だから近付きたくないし、近付いてこないでほしいと思ってる」
なんで彼らには、運命の番なんていうが存在するんだろう?
そんなものがなければ、宮田も、千早もこんなに苦しまなくて済んだのに。
「宮田は、運命に、抗えると思うのか?」
宮田は顔をあげず、首を傾げる。
「……わかんない、けどでも……僕は自分の人生は自分で決めたいもの。あらかじめ決められている運命なんてもの、僕は信じない。もし、そんなものがあって僕を縛ろうとするなら、僕はその鎖を引きちぎってでも逃げて、自分の手で運命を作り出すよ」
宮田には運命に抗う覚悟が始めからあったから、千早に何を言われても拒否し続けられたのだろうか?
でも千早は、運命に拒絶されるなんて思っていなかったから……それであんな情緒不安定になってるのか?
高校の時から言ってたもんな、運命の相手を探してると。てっきり冗談だと思っていたけれど。
……宮田が拒絶しなければ、千早はあんなふうにならなかったのに。
その想いはずっと俺の中でくすぶっている。
そんなこと、考えちゃいけないと思うのに。
俺の、宮田に対する感情は複雑だった。
大学で最初にできた友達で、千早の運命の番で……千早がああなった理由の一端で……
俺が千早と寝るようになった原因のひとつ。
宮田が悪いわけじゃないのに、そんなことわかってるのに。
どうしようもない黒い感情が俺の中で渦巻いている。
「千早は……それがわからないから……そんな、宮田のことなんてわからないから……俺を身代わりにすることを選んだんだ」
「み、身代わりって、え?」
俺の口からこぼれ落ちた言葉を、宮田が拾い上げる。
彼はテーブルに腕を置き、身を乗り出して言った。
「身代わりってどういうこと? まさか……番として抱かれてる、てこと?」
宮田の目が大きく開かれる。
信じられない、という顔で俺を見ている。
まあそうだよな。俺だって夢かな、と最初は思いたかった。
でもこれは現実で、俺は番のような扱いを受けている。
「そんなのおかしいよ、なんで結城がそんな目に合う必要があるの? 結城はだって、友達なんでしょ? 彼の。好きあって付き合うならわかるけど、身代わりなんて……」
おかしい。そうだよな、確かにこの関係は、歪 だ。
それでも今さら後戻りなんてできない。
ならどうしたらいい?
宮田は、千早と番になりたい、という感情はないということはわかった。
でももし、今、宮田と千早が顔を合わせたらどうなるんだろうか?
運命に引っ張られてしまうのか、それとも、抗うのか?
同じ大学に通っている以上、ずっと、避け続けることなどできないだろう。
……もし、千早が運命に引っ張られてしまったら、俺はどうなるんだろうか?
――捨てられるのは、ごめんだな。
「結城」
「え、あ、な、何?」
名を呼ばれ、思考が止まる。
宮田は哀しげな眼で、俺を見ていた。
「結城は、彼とその……そんな関係で、いいの?」
その問いかけは、俺があの日からずっとしているものだ。
このままでいいのかって。
俺は宮田から視線を反らし、首を振る。
「……最初は身代わりでも、そうじゃなくなれば、いいんじゃないかな、と思ってる」
「結城は、彼のこと好きなの?」
「え……」
好き、なんだろうか?
この俺の中にあるあいつへの感情の名前は、恋愛と呼べるものなのだろうか?
それについては、正直自信が無い。
「……結城、大丈夫?」
「俺は大丈夫……かな、たぶん」
俺は、首を傾げながら答えた。
「千早がおかしなことしてるなら……俺は千早を、なんとかして救いたいって思ってる」
「僕が言うのもアレだけど、十分おかしいと思うよ? 彼。アルファがベータをオメガの代わりにするなんて、有りえないもん」
わかっていたつもりだけど、人に言われると改めて今の状況の異様さを理解できる。
どうにか、千早との関係が、身代わりとかじゃなくて、普通の関係になれたら……
そうなれたら、瀬名さんに「幸せそうじゃない」なんて言われなくて済むようになるだろうか。
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