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第42話 パンケーキと
それから、千早は無茶なことをすることはなくなった、と思う。
相変わらず俺への執着は強く、瀬名さんに抱きつかれたりされたのが匂いでバレると、機嫌が悪くなることがあるけれど。
宮田の話題は出ないし、この間みたいにおかしくなることもなかった。
六月十八日土曜日。
半ば強引に決められた、瀬名さんとの約束の日。
なんだっけ。
パンケーキ食いに行くんだっけ?
あれかな、駅前のショッピングモールに新しくできたパンケーキ屋かな。
人気でいつも並んでるっていう。
だから俺は行ったことがない。
集合時間が十時と早めなのは、混むからだよなあ……
俺は、紺色の帽子を被り、ショルダーバッグを掛けて電車に乗る。
今日も二十五度越える夏日の予報だ。
だけど空には雲が広がり、明日は雨が降ると言う。
おかげでなんだか空気はじめっとしている。
駅に着き、待ち合わせ場所のモール入り口前に向かう。
駅前にはモールの他デパートもあるため、人通りが多かった。
この暑い中、手を繋いで歩くカップルや、親子連れの姿が目立つ。
その中に、二十歳過ぎと思われる二人組がいるのを見つけた。
背の高い、茶髪の男性と、俺より幾分か背の低い黒髪の男性。
ふたりは寄り添い、ショッピングモールへと向かって歩いている。
よく見れば手を繋いでいるようだった。
――アルファと、オメガのカップルだろうか?
今まで気にしたことなどなかった。
俺は思わず立ち止まり、そのふたりを目で追う。
楽しそうに歩くふたりの姿が、眩しく映る。
俺は昼日中に、あんなふうに千早と歩けるだろうか?
……って、何考えてるんだ俺。
なんてことをしていると、後ろから抱き着かれた。
この人は抱き着く以外の挨拶方法を知らないんだろうか?
「今日も彼の匂いがするねえ、結城」
「ちょ、あんた、何考えてるんですか外ですよここ!」
声を上げて身をよじると、すっと瀬名さんは離れて俺の前へとやってくる。
白いキャスケットを被った彼は、にこにこと笑い、手を振りながら言った。
「やあ、結城、おはよう」
「お、おはようございます」
どうもペースが乱れる。
この人ほんと、何考えてんだろ?
瀬名さんは僕の顔をまじまじと見つめ、にまっと笑った。
「ねえねえ、もしかして髪、切った? 帽子からはみ出てる髪、確実に短くなってるよね」
嬉しそうに言われ、俺は小さく頷く。
あんたは俺の恋人か。
「昨日、教えてもらった美容室に行ってきました」
大して切ったわけじゃないけれど、だいぶすっきりしたし、気分も変わった。
美容師には首の噛み痕は確実に見られただろうけれど、特に気にする様子もなかったし、何も言われなかった。
たぶん、金色に髪を染めたちょっと可愛い感じだった小柄な美容師さんが、瀬名さんが言っていたオメガの美容師さんだったんだろうな。
「よかったねー、行けて」
と言いながら、瀬名さんは俺の頭に触れる。
なんかこの人、俺を子供扱いしてねえか?
「なんで頭触ってくるんですか?」
「え? あー、何でだろう?」
理由ねえのかよ。
俺は、一歩下がって瀬名さんの手から逃れ、
「早く行きましょう」
と言い、モールへと足を向けた。
目的のパンケーキ屋は、二階にある。
モールの二階は駅から通路が作られているので信号や道路を渡ることなく、行くことができる。
モールの前は広場になっていて、目的のパンケーキ屋はモールの入り口とは別に出入り口がある。だから広場から店に直接入ることができるようになっているが、そこにはすでに列ができていた。
ざっと十人以上は並んでいるだろうか?
この暑い中並ぶのか……
そう思うと躊躇してしまうが、瀬名さんは張り切って、
「前から来たかたんだよねー。結城、楽しみだね!」
と、声を弾ませている。
列を見ればほぼカップルだ。
……この中に並ぶのか、俺。
戸惑う俺の腕を掴み、瀬名さんは列の最後尾に並んだ。
意外と回転は速く、三十分ほどで席に案内された。
メニューを見ると、分厚いパンケーキが三枚重なり、その上に生クリームがたっぷり載っている。
メイプル、苺、ブルーベリー、チョコレート、抹茶。
ワッフルもあり、どれにしようか悩んでしまう。
悩んだ末、俺はチョコレート、瀬名さんは苺のパンケーキを注文した。飲み物は互いに水出しコーヒーを注文する。
注文を終えて、俺は水の入ったグラスを掴む。一気に半分以上飲んでしまい、テーブルに戻すと、氷がからり、と音を立てる。
「暑かったねー、外」
「っていうか、この暑い中並ぶのなかなか辛いですよ」
「ははは、そうだねえ」
そして、瀬名さんは帽子を外し頬杖をつく。
「最近ちょっと、表情が明るくなったね」
「え、そ、そうですか、ね」
そんなこと言われても、自分ではわからない。
「あの、秋谷千早君とはうまくいってるってことになるのかなあ」
瀬名さんは残念そうな口調で言った。
ちょっと待て。なんでこの人が、千早の名前知ってるんだ?
目を見開いて瀬名さんを見る。
「あ、びっくりした? 向こうが僕の事を調べたみたいだから、調べ返してあげただけだよ」
「そ、そうなんですか」
思わず顔が引きつる。
調べ返すって何。
まあ、確かに千早は瀬名さんの事を調べたって言っていたけど。
調べ返すって、普通やるか? そんなこと。
「アルファなのは確かなんだねえ。報告書に書いてあったよ。僕の事が気になったみたいだけど、なんで僕の事調べたんだろう」
「し、知りませんよ。そんなの」
嫉妬心からだ、なんて言えるわけがない。
でもたぶん、この人なら気づきそうだけどなあ。
「まあ、それはいいんだけどねえ。結城、しょっちゅう彼の所に行ってるんだね。驚いちゃったよ」
「え、あ……まあ……」
調べられているならごまかしようもない。
瀬名さんは残念そうな顔をして、
「僕が付け入るすき、ないのかなあ」
などと言っている。
「おい、何言ってんすか、あんた」
呆れて俺が言うと、瀬名さんはにこにこと笑い、
「僕はいつでもウェルカムだよ」
なんて言いだす。
……何が?
そんなくだらない話をしているうちに、パンケーキが運ばれてくる。
写真の通り、分厚い三枚重ねのパンケーキに、たっぷりの生クリームが載っている。
それにアイスコーヒーが入ったグラスが置かれ、それを見た瀬名さんは目を輝かせた。
「生クリームすごいねえ」
生クリームだけで高さ十センチ以上はありそうだ。
瀬名さんは甘いものが大好きらしく、土曜日の昼休憩ではいつも甘いパンを食べている。
俺も甘いものは好きだけど、こういうのを食べるのは初めてだった。
「いただきまーす」
俺と瀬名さんはフォークとナイフを手に取り、パンケーキにナイフを入れた。
パンケーキを食べ終えて、店を出る。
時刻は十一時十五分。
バイトの時間までだいぶある。
日差しはないけれど、蒸し暑さに汗が流れてくる。
とりあえず、駅ビルにある図書館で時間を潰そうと言う話になり、俺たちは駅に向かって歩いていた。
「ねえねえ、結城」
「なんすか?」
「彼氏のこと調べてさ、彼は、『運命の相手を探している』ってずっと言っていたんだって?」
その言葉が、俺の胸を深く抉ってくる。
確かにそうだ。
千早はずっと、そう言ってきた。
たぶん、俺と知り合う前から。
「宮田君て子にずっと言い寄ってたってあったんだけど、もしかしてその子が彼の相手?」
そんなことまでわかるのか?
あぁ、でも、俺だって千早が宮田に言い寄っているのを目撃しているから、他にも目撃者がいるか。
宮田曰く、何回か言い寄って来たって言っていたしな……
俺の心音が大きく聞こえてくる。
「今までオメガに言い寄るなんて殆どなかったらしいし、付き合ってもすぐ別れたっていう話なのに。なんで宮田君には何度も言い寄っていたのかな、って思ってさ。答えはひとつだったよ」
瀬名さんの声が遠くに聞こえてくる。
「本当に、不思議だらけだったよ。彼は宮田君に近づかなくなったけど、君が彼のもとに通うようになるんだもの。いったい何があったのかなって思ったよね」
「なんでそんなことまで」
「向こうが僕の事を調べたからだよー。まあ、僕は知られて困ることは何もないけど、僕に何人セフレがいるかとかばれちゃったかも」
ふざけた口調で言い、瀬名さんは笑ったようだった。
「せ、な、さん……」
やばい、胸が痛いし、息が苦しくなってくる。
俺は胸を押さえて、下を俯き息をぜーはーと、息を繰り返した。
なんだこれ、こんなに息が苦しいの、初めてだ。
「結城」
誰かに身体を抱きしめられ、耳元で囁かれる。
「大丈夫だから、ゆっくり、息を吐いてごらん?」
優しい声で言われ、俺は言われた通り、ゆっくりと息を吐くようにする。
息が苦しい。
胸もまだ痛む。
なんだ、これ?
「琳、ほら、大丈夫だから」
俺は瀬名さんにしがみ付き、呼吸を繰り返す。
大丈夫か、俺。
「うーん、そんなつもりはなかったんだけど、どうしよう? とりあえず、うちで休もうか」
その申し出を拒否する余裕など、混乱している俺にはできなかった。
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