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第43話 息が苦しい

 タクシーで駅から少し離れたマンションに連れて行かれ、ふらふらとエレベーターに乗る。  ここまでずっと、瀬名さんに抱きしめられたままなのが正直恥ずかしかったが、そんなことを気にする余裕もなかった。   「過呼吸起こすなんて思わなかったよ。そんなにストレス感じる話だったのかな」  過呼吸。  ストレス。  繋がりがわからず、俺は何の反応もできなかった。  さっきよりはだいぶましだけどまだ苦しいし、くらくらする。  エレベーターを下り、連れて行かれた瀬名さんの部屋には、本棚がたくさんあった。  リビングの壁面にならぶ本棚たちは、みな、天井まで高さがある。  俺は、帽子と荷物を取られたあとリビングのソファーに寝転され、枕にクッションを置かれた。 「一時間くらい休んでればおさまるよ。ちょっと待ってね、エアコン点けるから」  確かに室内は少し暑い。  風の音とともに、室内は徐々に涼しくなっていく。  息はだいぶ楽になったが、胸の痛みは変わらなかった。  なんなんだ、これは。  こんなの初めてだ。  さっき、瀬名さんは過呼吸とか言っていたっけ?  何なんだ、過呼吸て。 「本屋には連絡しておいたから、ゆっくり休んでて大丈夫だよ」  優しい声とともに、手が俺の頭に触れる。   「水、飲む?」  俺の視界にペットボトルが映る。  灯りを反射して、水がきらきらと輝いて見える。  そういえば、喉が痛い。  声がうまく出せないため、俺は無言で頷いた。  ソファーの前に座る瀬名さんは、ペットボトルのふたを開けるとそれに口をつけ、顔を近づけてくる。  って、ちょっと待て。  止める間もなく頬に手が触れ唇が重なり、舌と共に水が流れ込んできた。  力の入らない手で瀬名さんの胸を押そうとするが、その手は簡単に掴まれてしまう。  なんで俺、この人にキスされてんだ?  しかも、舌までいれられるとか、え、なんで?  流し込まれた水をどうにか飲み込むが、飲みきれなかった水が、唇の端から流れていく。  瀬名さんは唇を離してはくれず、舌で俺の口の中を舐め回し、舌を絡め吸い上げていく。  やばい、こんなキスされたら……おかしくなる。  そう思ったとき唇が離れそして、瀬名さんは妖しく笑って言った。 「落ち着いた?」  ある意味おちついてきたが、ある意味今、パニックだ。  俺、なんでキスされたんだよ?  え、わけわかんねぇんだけど?   「え、せ……」 「僕、とりあえず医者目指してるから、弱ってるところを襲ったりはしないよ」  今の行動のあと、そんなこと言われても説得力の欠片もありませんが?  言い返したいのに、うまく声が出せず咳き込んでしまう。  するとまた、瀬名さんはペットボトルを口につけ、俺に顔を近づけてきた。  ていうか、この家にストローくらいねーのかよ……!  ……ないか。ひとり暮らしの男の家に、そんな、気の利いたもの、あるわけねぇか。  でもだからって、水飲ませるのにキスするか?   しねぇよな、俺、男だぞ!  抵抗しようとするがどうしようもなく、あっけなく抑えられてしまい、口の中を水と舌が入ってくる。  やべえ、頭がぼやーっとしてくる。  水はすでに喉を通り過ぎていったというのに、瀬名さんの口は離れない。  顎が手で掴まれ、舌が深く入りこんでくる。  逃げる舌はすぐに捕らえられてしまい、唾液が流し込まれ、ぴちゃり、と音を立てる。   「やっばいなあ、これ」  口が離れたとき、瀬名さんはそう呟いて唇を指先で拭う。 「せ、なさん……」  なんとか名前を呼ぶと、彼は立ち上がり、俺に向かって手を振った。 「僕は向こうに行くから、ゆっくり休んでて大丈夫だよ」  そして、彼は別室へと消えていった。  なんなんだよいったい。  やばいって、何?  とはいえ、助けられたのもまた事実で。  俺は天井を見つめて大きく息をつく。  過呼吸、って結局何なんだ?  スマホはバッグの中だし、動く気力もない。  ソファーでぼんやりして、三十分くらいたっただろうか。  だいぶ落ち着いてきたが、胸の痛みはわずかに残っている。  瀬名さんはしばらく休んでいれば大丈夫、って言っていたけど……本当に大丈夫なのか?  不安を抱き、また胸の痛みが強くなってしまう。  なんなんだ、これ。  俺の身体、何が起きてるんだ?   「結城」  声が降り、手が頭を撫でる。 「あ……」 「あれ、まだ胸が痛い? 大丈夫だよ、不安な気持ちはいずれ消えていくものだから」  手と、優しい声に気持ちが少し落ち着いてくる。  ほんと、何なんだろう、この人は。  瀬名さんは俺の心を揺さぶり、時には救おうとする。  わけわかんねぇよ、この人。  瀬名さんは俺から手を離すと帽子を被り、手を振った。 「じゃあ、僕は仕事、行ってくるよ」 「え……」  ここにひとりで置いて行かれる?  え?  いや、でもこの人と一緒にいるのも不安はある、でもひとりにされるのも嫌だ。  矛盾した想いに挟まれていると、瀬名さんはまた、俺の頭を撫でる。 「ここにこのままいたら、僕は君に何するかわからないから。これでも結構我慢してるんだよ?」  ふざけた口調でそう言って、彼は離れて行く。  あんなキスしといて我慢してるのか? え? 嘘だろ、おい。   「あ、その顔信じてないなー? 僕、信用ないのかなあ。まあ、君が休みだと僕が仕事行かないと、人手が足りなくなるしね。僕は行くよ。落ち着いたら勝手に出て行って大丈夫だから。鍵は勝手に閉まるし」  笑いながら言い、瀬名さんは去って行く。  色々言いたいことはあるけれど、まだ喉が痛くてうまく声を出せない。  玄関が締まる音が聞こえ、俺は仕方なく、ソファーにただ寝転がっていた。

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