51 / 66

第51話 あいつ嫌い

 シャワーを浴び、着替えのない俺は彼のジャージを借りる。  瀬名さんと俺では五センチくらい身長差があるため、ちょっとでかい。  リビングに戻ると、瀬名さんは本を読んでいた。  時刻は二十一時を過ぎたところだ。  いつも寝るのは日付をまたぐ頃だし、だいぶ時間がある。  そして全然眠くない。  普段、土曜日のこの時間はバイトが終わり、千早と会っている。  あいつのマンションに行けば身体を撫でられ、快楽に溺れるだから、こんなふうに何もない時間を過ごすのは久しぶりだ。  本を読んでるところに声を掛けるのもなと思い、迷っていると瀬名さんは顔を上げこちらを振り向いた。 「あぁ、ごめん。気付かなかったよ」 「す、すみません、ありがとうございます」 「ちょっと待ってて。飲み物用意するから」  瀬名さんは立ち上がり、キッチンへと消えていく。  その間、俺は壁一面の本棚の前に立った。  漫画もあるし、英語の本もある。  すげぇな、これ。  全部自分で買ったのか? 「実家にだいぶ置いてきちゃったんだよね。これでも」 「え、マジですか?」 「マジだよー」  そして瀬名さんは、俺に麦茶の入ったグラスを差し出してくる。 「あ、ありがとうございます」  礼を言い、俺はグラスを受け取りそれに口をつける。   「さすがに全部持ってこられなかったから。一部屋まるまる本棚で使ってたし。捨てられてはいないと思うけど、どうかなあ」  そして、瀬名さんは苦笑する。そんなに持ってるんだ、ちょっと羨ましい。   「まあ、親は僕にそこまで興味はないはずだから大丈夫だと思うけど」 「そ、そうなんですか」  コメントに困る話で、俺は顔をひきつらせてしまう。  姉たちはたまにしか帰ってこないから会ってねえけど、両親との仲は普通だ。  やたら外出が増えたことについて母親にはちょっと言われてけど、父親は、悪いことなんてしないだろうから、ある程度放っておけと言ってくれたし。  ただ、夕飯を食うのか食わないのかの連絡をしないと無茶苦茶怒られる。  もったいないと。  両親とそんなに冷え込むってどうなってるんだいったい。 「また、暗い顔してる」  言いながら、瀬名さんは俺の頬を指で掴み、引っ張ってくる。  すぐに指が離れたので、俺は左手で頬を撫でながら、 「だから何するんですか、もう」  と、抗議する。 「だって、暗い顔するから」 「だからって、引っ張らなくても……」 「暗い顔で顔の筋肉固まったら嫌じゃない?」 「そんなことあるわけないでしょ」  笑わせようとしてるのか、本気で言ってるのかわかんない。  そういえば、この人、笑ってること多いな。  だから余計に、何を考えてんのかわかんねぇけど。 「あると思うけどなあ。君は、暗い顔が多いじゃない? だからそれで筋肉が……」 「ないですから、冗談もほどほどにしてください」  やっぱりこの人と話していると調子が狂う。  俺ずっと、瀬名さんの手のひらの上で踊らされてるよなあ……  何考えてんだろうな。  宣戦布告とかさっき言ってたけどどういうことだ?  いまいち状況が把握できない。 「結城」 「あ、はい」 「僕もシャワー浴びてくるから、そこの本、読んでていいよ」  言いながら、瀬名さんは本棚を指差した。  その言葉に、俺のテンションが上がる。  リビングの壁一面に収納された本たち。  漫画もあるので時間はいくらでも潰せそうだ。 「じゃあ、ちょっとお借りします」  俺は麦茶の入ったグラスをテーブルに置いてから、足取り軽く本棚の前に立った。  ジャンル別に綺麗に並べられた本はみな、透明なカバーがかけられている。  結構几帳面なんだな。  俺は、漫画の中から面白そうな四コマ漫画を見繕い、三巻まで手に取りソファーに向かった。  部屋の中も、本以外はものが少ない印象だった。  テレビにブルーレイレコーダー以外、見えるところには置いていない。  全部しまってあるだけかもだけど。  俺はテーブルに漫画を置き、ソファーに腰掛けて漫画を開いた。  時おり声に出して笑い、ページをめくる。  四コマを選んだのは、笑いたかったからだ。  今、心が痛くなるような話は読みたくない。  一巻を読み終え、二巻を読み始めた頃、肩を叩かれて俺は驚きばっと振り返る。  そこにいたのは、白地に犬の絵が描かれたTシャツを着た瀬名さんだった。  彼はにこっと笑い、 「何度も声かけたんだけど、全然気が付かないから」  と言った。  え、嘘。 「す、すみません。わかんなかった……」 「あはは、別にいいよ。寝室、使っていいから、気になる本があれば持って行っていいよ。僕はここで寝るし」 「え、でも……」  さすがに家主をソファーで寝かせるのはどうかと思う。  戸惑っていると、彼は俺の顎に手を掛けて顔を近づけてくる。 「何、一緒に寝たいの?」 「そう言う意味じゃないです!」  寝たい、の意味に裏があるように思え、俺は真っ赤になって否定する。  俺が即否定したからか、すぐに瀬名さんは離れていき、 「それはそれでショックだなー」  などと言っている。  なんなんだ、この人本当に。 「あの、瀬名さん」 「何?」 「千早と、何話したんですか?」  すると、彼は顎に手を当てて、真面目な顔をし、しばらく考えた後、満面の笑顔で言った。 「僕、あいつ嫌い」 「……え?」  聞いたことと全然違う答え出てきたぞ。  嫌いって何? 「だから、僕は君を彼の所に行かせたくないんだよ」 「突拍子無さ過ぎて訳分かんねえし……」  思わずため口で言ってしまうほど、俺は困惑している。  好きとか嫌いとか、言えるほど接点ありましたっけ?  いや、ねえよな。  たぶん会ったのだって一回だけだろうし。 「だって、僕のこと調べられたの、あれ、けっこう不快だったんだよ。だから調べ返してあげたんだけど」  まあ、たしかに自分が調査されるのっていい気分はしねえだろうなあ。  それは理解できるけれども。   「嫌いって……ガキですか」 「人間だもの。好きとか嫌いとかあるよ。そういう感情って理屈じゃないからね」  あー、言いたいことはわかる。  理由はないけど嫌だとか、好きとか、なんか合わないとかあるしなあ。  たぶん、千早も瀬名さんの事、嫌いじゃねぇかなあ……  千早、大丈夫かな。  一度考えだすと、胸が痛くなってくる。  本当にこれでよかったんだろうか?  さっきは顔なんて合わせられないって思ったのに、今は顔を合わせないのが悪いことのように思えてくる。   「結城」 「え、あ、え?」  いつの間にか隣りに瀬名さんが座っていて、俺の顔を覗き込んでいる。 「心が弱っているときに、重要なことは決めない方がいいと思うよ」 「え……」 「あ、何で、って顔してる。君は色々と顔に出るからね。さっき漫画見て笑っていたじゃない。笑っている方が、ずっといいよ」  瀬名さんの目はなんでも見透かしている様で、取り繕おうとしても無駄だと言う気持ちになってしまう。  瀬名さんが言っていることは正しいと思う。  でも俺は迷う。  このままでいいのかなって。  何が正しくて何が間違いで。  俺はどうしたいのかって。  彼は俺から顔を離すと、大きな欠伸をしながら上に大きく腕を伸ばした。 「僕はちょっと酔っちゃったし、本読みながらまったりするよー。だから、好きな本、選んできなよ」  瀬名さんに促され、俺は漫画を十冊ほど選び、寝室へと持ち込んだ。

ともだちにシェアしよう!