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第9話

茶倉に風邪をもらっちまった。 先週からずっと具合が悪い。熱は上がったり下がったりを繰り返し、何をするにもだるくて出かける気がしねえ。 いちばち有休掛け合ったら思いのほかあっさり許可がでた。アイツなりに看病された恩を感じてんのかも。いやねえか。 枕元に伏せたスマホが鳴る。小窓にセフレの名前が表示されたのを確認後画面をタップ。 「もしもし……」 『理一か?俺だけど。最近どうしたの、全然店にこねーじゃん』 「体調崩しちまってさ……」 『風邪?』 「かも」 『マジか、やばいじゃん』 「なんか用?」 『どうしてるかと思って掛けただけ。できたら会いたかったけど、その感じじゃ無理っぽいな。なんかほしいものは?』 「気持ちだけ受け取っとく。伝染しちゃ悪いし」 やんわり見舞いを断る。 『悪化する前にもいちど診てもらえよ、セカンドオピニオンは大事だぜ』 「了解。また店で」 息絶え絶えに通話を切って突っ伏す。他のセフレにはLINEを回しといたんで大丈夫なはず。 空気を読まず着信。うんざり顔で受話器マークをタップ。 「板尾?会社は」 『土日に?』 「忘れて」 『調子はどうだ』 「死んでる。頭がぼんやりしてやる気出ねえってか……」 『一週間は長いな。茶倉に安否確認の定期連絡入れてんの』 「俺がいねえあいだ片付けてえ用事があるとかで東北に旅行中」 看病の甲斐あってか次の日にはけろっとし、荷物をまとめて空港に急いだ茶倉を思い出す。 「好きで世話焼いた見返り期待すんのもおかしいけどさ~、にしたって薄情じゃね?東北土産がっぽりふんだくらなきゃ割にあわねえ」 『なに催促したんだ』 「なまはげフィギュアときりたんぽ」 『またマニアックな』 電話の向こうで苦笑していた。 『イタコ勧誘すんのかな』 「俺がいんのに?」 『頼りねえし』 「謝って」 『すいません』 「許す」 『でもさ~可愛い女の子の方がモチベ上がるし映えるのは真理じゃね?巫女服って萌えるよな』 「アシなら間に合って……」 咄嗟に否定しかけ、まんざらありえねー話じゃねえと考え直す。そもそも俺が役立ってるかどうか微妙な所で、足手まといのレッテル貼られたら反論できねえ。 『まあいいや。飲み会までにちゃんと治せよ、チャクラ王子のアドバイス欲しいし』 「まだマッチングアプリで彼女探すの諦めてねえの?」 『三十路前に結婚するのが目標』 「玉砕するたび愚痴聞かされる身になれよ」 十分ほどくだらない話をして通話を切り、市販の薬を飲んで寝転がる。 不幸中の幸いというべきか、緊急時に備えて買いだめしといた食料があるんで当分は困らねえ。フリーズドライのお粥にカップ麺、レトルト食品は偉大。 待てよ、冷蔵庫の中身は大丈夫だよな? 業務用スーパーでテンション上げて買っちまったブラックタピオカの賞味期限は……。 「忘れてた!」 ジャージの袖を捲って確認すりゃ、一粒残して真っ黒に濁ってる。 「帰りは明日……ギリギリイケるか」 元気一杯な子供の声が届く。近くに公園があるのだ。 「パンツ干しっぱ……いいやほっとこ」 二十六歳独身ゲイのトランクスを好き好んで盗む泥棒もいねーだろ。てかアレ、茶倉のおふざけ誕プレだし。 「しーちゃんボールとってー」 「いくよー」 「あははっそっちじゃないよ!」 遠く近い子供たちの声を子守歌にまどろむ。汗に濡れたシャツが毛穴を塞いで気持ち悪ィ。肌は塩を吹いていた。 画面をタップし、茶倉とやりとりしたLINEを見返す。メッセージの大半は近況報告。 昨日送信したメッセージには、一週間前から時々見るようになった夢のあらましを書いていた。 夢の中の俺は深夜の高架下を歩いてる。トートバックを下げた若い女を尾行しているようだ。 言葉にしちまえばそれだけ、特段変わった現象は起きない。だけどやっぱり気になって、詳しく知りたがる茶倉に覚えてる範囲で話した。 茶倉曰く、夢で霊的メッセージを受信する事はよくあるらしい。俺が見たのが予知夢や正夢の類なら、あの人は現実にいるんだろうか。 スクロールでログ確認中、鼻先にコバエが飛んできた。 反射的に目をやり、シンクにたまった汚れ物の山にげんなりする。これ以上放置すんのはまずい。 だるい体を起こして台所へ行き、片手に持ったスポンジに洗剤をプッシュする。 「あ」 濡れた手が滑り、盛大に液体が零れた。 「おるか理一。入るで」 一時間後、茶倉がドアを開け上がり込む。 「え、なんで」 明日帰ってくるはずの友人のアポなし訪問に、当然理一は驚く。茶倉は 「旅行は明日までじゃ」 「数珠濁たゆうてたやん。日程切り上げた、感謝せえ」 「合鍵の場所は」 「郵便受けの底に貼り付けてあった」 「教えたっけ、忘れてた」 頬をかいてごまかし、洗濯物の山から救出した座布団をパス。キャッチした座布団を敷き、膝を畳む前に思い直す。 「ファブリーズは?」 「失礼がアルマーニ着て押しかけたような発言」 さも心外そうな渋面を作り、突っ立ったままの茶倉と座布団を見比べる。 「座んねーの?」 「靴下黴びそうやし遠慮するわ」 「へーへーご勝手に」 布団の上で両足の踵を突き合わせるように胡坐をかき、図々しく催促する。 「土産は?」 茶倉が突き付けた紙袋の中身を検め、げんきんに相好を崩す。 「やった、本場のきりたんぽとなまはげフィギュアゲット」 なまはげフィギュアを枕元に飾り、きりたんぽを冷蔵庫にしまい、咳き込みながら戻ってくる。 「まだ治らんのかい。長いな、一週間やろ」 「熱は下がったぜ。東北はどうだった?」 「遊びに行ったんちゃうで」 「違うの?」 「欲しいもんがあったんや」 「笹かま?ずんだ餅?」 「食い物から離れろ」 食いしん坊にツッコミをくれ、服や下着が脱ぎ散らかされた部屋を見回す。 「瘴気が澱んどる」 窓を開け放ち換気をすます。温かい陽射しと風が舞い込み、ベランダのパンツが間抜けにはためく。 子供のはしゃぐ声に交じり、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。 理一が忌々しげに舌打ち。 「うるせえなあ。ちゃんと躾けとけよ」 窓を閉じようと腰を浮かす友人に先んじ、茶倉が動く。 「!?ッぶ、」 黒い数珠を巻いた左手を拳に固めて振り抜き、理一の頬に叩き込む。 「な」 「黙れ」 無言のまま押し倒し、喉元を締め上げる。 「ちゃく、ら、ぐ」 「移すで」 低く宣言する。 刹那、空気が豹変し日常が非日常に裏返る。 「ァっ、が」 畳と壁、天井にどす黒い影が広がる。スーツの袖からぽとりぽとり生まれ落ちたミミズがのたくりながら這い進み、理一の口にもぐりこむ。 「はへほ!」 くぐもる声で喚くも茶倉はどかず、理一に跨ってあいのこ達を群がらせる。 「もっとはよこうすればよかった」 「~~~~~~~~~~~~~!」 手足が激しくバタ付いて布団を叩く。口にもぐりこんだあいのこ達が不気味に蠢いて、さらに奥へと下っていく。 苗床にされる苦痛に悶え、涙ぐみ、震える手を伸ばして茶倉に縋り付く理一の下半身が異形の影に沈む。 「苦しっ、あぐ」 「ほな死ね。逝ってまえ」 「なんでこんな、俺が何し、げほっ」 濁流の如く蠢くミミズの大群が、恐怖と絶望に錯乱し、えずく理一をくまなく埋め尽くす。 十年来の親友をあいのこに供す茶倉の目は、どこまでも冷えていた。 「ミミズやだ、あっちいけ、うあ」 ジャージの裾を盛り上げ、袖口から侵入をはたし、赤く卑猥な粘膜の色したミミズが体の裏表を犯しぬく。 生きながら腑を貪られる苦しみに痙攣を引き起こす傍ら、茶倉の頭を抱き寄せた理一が、憎しみ滾る呪詛を紡ぐ。 「裏切ったな」 「仕上げや」 理一の首に色鮮やかな組紐を巻き、緩やかに絞めていく。 「あ、が」 極限まで眼球がせり出す。口の端を伝うよだれ。茶倉がうっそり目を眇め、理一の首で交差する組紐を強く引っ張る。 「出てこい菅井恭平」 直後、悪霊が覚醒する。 『どうしてばれた』 無機質な瞳に茶倉を映し、憎々しげに毒突く。 「警察の知り合いに聞いた」 正体を暴かれて開き直る悪党に、拝み屋の孫は淡々と指摘する。 「お前が救急搬送されたんは一週間前。俺が住んどるタワマン近くで、転んで頭打った男がおった」 『あの日ね。ツイてなかった、もうすこしでヤれたのに』 組紐の締め付けが強まり、茶倉の顔が怒気を孕む。 「理一のツラと口でゲスい言葉吐くな、中身が別物なんがバレバレじゃ」 『大した霊感だな』 「霊感?」 理一に化けた外道を心底嘆かわしげに見下ろす。 「今おどれが憑いとるんは、ガキの声をうるさいとか死んでもいわんお人好しやで。電車ん中で赤ん坊が泣いとったら真っ先に変顔であやす、そーゆーアホ。けどま、数珠してへんのが決め手になったんは否めん」 『ガワを変えて楽しむ予定だったのに』 「自分の体はどうでもええんか」 『若くて体力ある方が勝手がいい。ツラも気に入った、男前じゃねえか。きっとたくさん女が釣れる』 「ゲイやでコイツ」 『関係ねえよ、もうすぐいなくなるし』 理一の人格を消すと宣言し、理一の顔で哄笑する菅井を冷え冷え見返す。 「さよか」 茶倉が呟く。 「戻れ」 『待』 限界まで開かれた口からミミズの群れが沸きだし、茶倉の袖の内に収束していく。手首と接したミミズは皮膚に吸着し、本来の宿主の肉に同化する。 『化け物が!!』 理一の顔をした男に極大の嫌悪を込めて罵られ、寂しげに笑む。 「今頃気付いたん?」 続いて理一の体が激しく仰け反り跳ね、異物を排除すべく拒絶反応を起こす。 茶倉がまなじりを決して深呼吸、あいのこの逆流に苦しむ幽体を剥ぐ。 『嘘だろやめてくれやっと入れたのに』 幽体の喉笛を掴んで窓辺に引きずり、パンツがはためくベランダへ。 「上手く化けたのに残念やったな」 『辻褄合わせに記憶読んだのに何で」 「ガワだけ掠め取ったかてボロがでる」 『待てよ俺を殺すのか人殺し、まだ生きてんだぞ病院で点滴に繋がれて!』 「どうせ回復せんて」 『わかった謝るよ悪かった、ダチのふりしてだましたこと』 「被害者には?」 『今すぐ体に戻って張り込んでる刑事に全部話す、それでいいだろ!』 「自首するん?ええ心がけやね、食いもんにした女が許してくれるか知らんけど」 『俺だけ悪者かよ、あっちも楽しんでたんだぜ。若ェ女が短えスカートはいて、夜道を一人で歩ってるのが悪いんだ。夜に脚出してる女は全員欲求不満なんだ、男を誘ってんだよ!』 「首絞めながらせなイけへん聞いたで。力加減間違えたん何回か当てたろか」 『やめろ人殺し!』 「どっちが」 手摺に押し付けた生霊にのしかかり、優しく微笑む。 「理一に手ェ出した時点で詰んだて、ええ加減わかれよ」 『ひっ……』 幽体が身をよじり目を剥く。ベランダの手摺を掴んで這い上がる女たち。首には惨たらしい鬱血の痣。 『たのむたすけてくれ聞いてるかおい二度と悪さはしねえって約束するお前のダチにもちょっかいかけねえ、体に戻ったら絶対自首するもういちどチャンスをくれ!』 下半身に縋り付き這い上る女たちを引き剥がさんと暴れ狂い、いっそ退屈げに傍観する茶倉に助けを求める。 されど酷薄に笑んだまま、後ろ向きに柵に凭れ、菅井の責め苦を眺める茶倉は指一本動かそうとしない。 ベランダの床に生じた円い影が、往生際悪くもがき続ける男の下半身を飲み込む。風にめくれた前髪の奥、地獄を映してなお冴え冴えと澄む双眸が怜悧な弧を描く。 「さいなら」 凄まじい断末魔を伴い堕ちていく菅井に手を振り、視線を翻す。 「ん……?」 大の字に伸びた理一が目を覚ます。瞼を擦って起き上がり、ベランダに佇む友人に困惑。 「茶倉?なんで俺んちに」 「見舞い」 「鍵は」 「郵便受けの底にあった。不用心やな、もっとわからんとこ隠せ」 寝ぼけまなこを瞬き、やけに軽い右手を見下ろして慌てる。 ダッシュした先は台所。シンクの縁にのっかった数珠をひったくり、蛇口を捻って泡を流す。 「数珠に洗剤付けて磨くとかアホの極みやで」 「皿片す時に倒しちまったんだよ。で、ドバッと。ぬるぬるして気持ち悪ィし、一旦外して洗……ん?」 数時間ほど記憶が飛んでいる。 「はよ嵌めい」 呆れ顔で促され、言われた通り右手にくぐらす。 「思ったより元気そうやな」 「ぐっすり寝たせいかな、体が軽くなった」 「じかに会うんは一週間ぶりか。有給申請は電話やったし」 「LINEで喋ってたからあんま久しぶりって感じしねえな」 「タワマンの帰りになんぞけったいな事は」 「ンだよ急に。あ」 斜め上に視線を投げ、一週間前の体験を遅まきながら報告する。 「お前んち出てすぐ救急車とすれ違った。地面に血ィ付いてたし、誰か転んで怪我したのかな。無事だといいけど」 「ニュース見てへんか」 「載ってんの?」 「三月十日未明新宿、四十代男性転倒、意識不明重体。はよ調べろ」 「ちょっと待て」 茶倉が諳んじたキーワードを検索窓に打ち込み、ヒットした記事に眉をひそめる。 「これ……」 記事にはタワマン近くの路上で転倒し、頭を打った男の意外な真実が綴られていた。 「連続強姦魔ってマジ?」 「最新の事件は未遂。高架下で女と揉み合っとるとこにパトロール中のおまわりがすっとんできた」 「その人は?」 「ぴんぴんしとる。けどな、犯人は無事じゃすまんかった。逃亡中に滑って転んでゴッツンコ、はずみで幽体離脱」 菅井が搬送されたのは理一が通りかかるほんの数分前。現場に居残った幽体は、そのまま理一に憑いてアパートに上がり込んだ。 「悪霊ホイホイしてたのに」 「せやから中に入ってこれんかった。すぐ突っ込みたがる幽霊と違てなまじ理性残っとるぶんタチ悪い」 正座で説明に聞き入り、理一がみるみる顔色を変える。 「俺が見た夢は強姦魔の」 「犯行帰りの記憶。女の外見や現場の特徴いうて、警察に裏とらせたし間違いない」 茶倉が夢の詳細を知りたがったのは、直近の事件と照合するため。 「お前のこっちゃ、どうせまた事件か事故の現場知らずに通りかかって変なん拾うてきたんやろて当たり付けたわ」 「もっと早く言えよ」 「菅井がフワフワしとんのにLINEで訊けるかい。数珠の効き目も弱る頃やし、身バレに逆上した挙句俺がおらん状態で暴走されでもしたらめんどくさい」 だからこそ、くだらない茶番に付き合い油断を誘った。 「お前の体は居心地ええんや。死霊も生霊も手をかえ品をかえ狙うてくる」 「自分ん|体《ち》に戻ればいいじゃん」 「お前の方がスペック高かったんやろ」 「照れ、てる場合じゃねえな」 「烏丸理一になりすまして犯行重ねる計画立てとったで」 「最悪」 「目覚めた所で逮捕がオチ。仕切り直しに伴い若返るんもメリットやね」 「どうやって追っ払ったの」 「聞く?後悔すんで」 「教えろ」 一呼吸の沈黙。 「……あいのこに出張ってもろた」 あいのこはただのミミズにあらず、その名の通り茶倉練ときゅうせん様の子である。 「あいのこが俺ん中で暴れて、菅井を追い出したって解釈で合ってる?」 「大雑把にゆうとせやな」 「そっ、か」 引き気味に黙り込む。気絶してる間にミミズ責めにされたのだから、それはまあそうなる。 壮絶な葛藤を乗り越え、友人の腹に向かって囁く。 「あんがと」 茶倉は受肉が叶ったあいのこ一匹一匹に霊力を分け与え、理一の体内に送り込む。 あいのこは瘴気を吸収し、菅井の幽体を衰弱させる。後は仕上げを残すのみ。 「かほかほっ」 喉をさすって咳き込み、組紐をほどいて困惑。 「これは?」 言おうか言うまいか迷い、正直に告白する。 「……どのみち宿主弱らせな剥がせん」 突如としてスマホが鳴り、理一がビク付く。茶倉が無表情に液晶をタップし、通話に出る。 「お世話になってます。はい……はい。さっきですか?なるほど、容態が急変して。因果応報って事かもしれませんね、ご苦労様です」 事務的なやりとりを経て電話を切り、スマホを背広に返す。 「菅井な。死んだで」 恐らく、こうなる事が最初からわかっていたのだ。 「……それっきゃなかったんだよな」 「いや」 自分に言い聞かせるように呟く理一に対し、面倒くさげに付け足す。 「引っ剥がせたらこっちのもん、本体に返すんは簡単。被害者の悪霊呼ばな自然に戻っとった、幽体離脱てそーゆーもんやし」 「まさかわざと」 「理一」 茶倉が静かに呼ぶ。 「お前の体使てお前の心を裏切る外道は、俺が地獄に叩き込む」 怒るべきか笑うべきか、それとも泣くべきか表情を決めかね、ぽふんと寄りかかる。 「復帰できそか」 「週明けから」 「よし」 「来週の飲み会楽しみにしてるって板尾が」 「マッチングアプリで彼女作るんまだ諦めとらんのか」 「魚住が後ろで睨み利かせてっから当分無理じゃね、みてえな」 「一回成仏しといて守護霊降臨とかどんだけやねん」 笑い合うふたりの間を風が吹き抜け、甲高い泣き声がしんみりした雰囲気をぶち壊す。 「やかましな」 「元気でいいじゃん。赤ん坊は泣くのが仕事」 「だます方とだまされる方、悪いんは?」 「だます方が百パー悪ィ」 きっぱり断言する理一と向き合い、茶倉は満足げに笑った。 後日。 全快を待ちTSSに復帰した理一は、机に置かれた長細い箱に注目する。 「ようかんめっけ。ラッキー、小腹すいてたんだ」 今さっき事務所を辞したクライアントの手土産と間違え、嬉々として蓋を開け、紫の袱紗の上に寝かされた数珠に拍子抜け。 「おもしれー形」 「いらたか念珠や」 クライアントを見送り帰還した茶倉が、理一の手中の念珠をひったくる。 「フツーの数珠と違て算盤みたく珠が角張っとるやろ」 「言われてみれば」 「東北の修験者やイタコが使うんや。数珠をもむときは音をたてたらあかんちゅーのが鉄則やけど、修験道じゃ読経や祈祷ん時にコイツを上下に揉んでじゃかじゃか音たてるんが悪魔祓いになるて言われとんねん」 「東北行った理由って」 「商売道具は自分の目で見て触って選ぶんが信条。修行序でに一粒一粒霊力込めた」 「丸太しょって走ったり滝行したり?」 「当たらずも遠からず」 「これで菅井を祓えばよかったんじゃね」 「いくらか知っとる?」 「十万位?」 「八十万」 慄く理一に対し、人さし指で箱を叩き、図太くしぶとい守銭奴の顔で告げる。 「許せよ。出し惜しんだ」 事実は些か異なる。 茶倉が鍛えたいらたか念珠の威力は絶大だ。祓いに用いれば強制的に弾き出され、病院で目覚めたはず。 そうさせない為に計略を巡らした。 あいのこに命じて体内を侵し、組紐でじわじわ絞め付け、生霊自ら出てくるように仕向けた。 理一を貶めんと企んだ男の魂は、この手で地獄に叩き込まねば気がすまない。

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