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第8話
茶倉練は令和の好色一代男、改めイケイケバリバリの霊能者だ。
少なくとも巷ではそういうことで通っている。メンクイな女性たちは目元の涼しげな塩顔イケメンをちやほやし、チャクラ王子とあだ名して持ち上げる。
練が表紙を飾ったスピリチュアルファッション誌は売り上げが伸び、パワーストーンの種類や効能を解説する講座の他、胡散臭い都市伝説や世界の七不思議を紹介するYouTubeのチャンネル登録者数は順調に伸び、先日遂に五十万の大台に乗った。
ちなみにチャンネル名は助手の理一が付けた。『チャクラ王子のチャクラ全開チャンネル』……ださいのは否定しがたいが、没案に比べたらまだマシだ。理一のネーミングセンスは死んでいる。
とはいえ練も一応は人間の範疇である以上、無理が祟って体調を崩すことはある。
「う゛~ん……やかましアホんだら」
枕元で充電中のスマホのアラームが鳴り響く。ベッドの中でもぞもぞ身動ぎし、手探りして止める。
体が熱くてだるい。かるく咳き込んで喉をさすり、机の抽斗から取り出した体温計を腋に挟む。水銀の数値はみるみる上がっていく。
「……7度8分か」
舌打ちが出た。
練は平熱が低い。理一に冷血人間といわれる所以だ。それが37度を記録しているあたり本格的にまずい。
風邪をひいた原因に心当たりがあるだけに、忸怩たるものを感じる。自分で言うのもなんだが、死ぬほどくだらない理由だった。
茶倉練二十六年の人生における痛恨の失態にして最大の汚点。人に知られる位なら新興宗教団体が隠れ蓑にしてるヨガサークルに全財産寄付した方がなんぼかマシ。
練は新宿一等地のタワーマンションに事務所兼自宅を構えていた。
私生活は扉一枚隔てた隣室で営んでいるものの、立ち入りを許された人間は極めて少ない。セレブなセフレたちとは各々の家やホテル、もしくは事務所のソファーで致していた。プライベート空間を荒らされるのは生理的に耐え難い。
公私の線引きはきっちりと、たとえ二股三股かけても他人に敷居を跨がせないのが彼の信条である。
昨晩喧嘩別れした女に謝罪メールを打ちかけ、馬鹿らしくなって放りだす。スマホがベッドで跳ねて裏返る。
現時刻は午前九時、カーテンの隙間からは爽やかな陽射しがさしこんでいた。
「忘れとった」
布団を被り直した状態で枕元をさぐり、のろくさスマホをいじる。朝イチで株式相場をチェックするのが、投資を始めてから欠かした事ない日課だった。
「悪うないな」
自分が買った株がまずまずの上がり値を示しているのに満足し、次いでニュースサイトを流し見る。練が贔屓にしているお笑いコンビがM1グランプリの予選を通過していた。めでたい。
また咳き込む。気持ちが悪い。しかしまだやることがある。スマホをいじり、打ち合わせの予定を入れていたクライアントにLINEする。
『練です。今日の十四時の約束、来週の月曜に振り替えてもいいですか』
『どうしたの』
『体調悪くて』
『大丈夫?何かしてほしいことある?』
『お構いなく。寝てれば治ります』
『遠慮しないで、私とあなたの仲じゃないの』
ただのセフレや。
『本当に大丈夫なんで。伝染したくないですし』
『練……』
『いい年した社会人なのに自己管理が甘くてお恥ずかしいです』
『ちゃんと温かくして寝てなきゃ駄目よ、この時期の風邪は長引くんだから』
『早く元気になって真由美さんに会いたいです』
『私も』
ほぼ同じやりとりを三回連続で別の相手と交わし、会話を終える。
「これでよし」
週末の予定を全キャンセルし、スマホを置こうとしたそばから新たなメッセージを受信。お見舞い代わりだろうか、胸を寄せて上げたきわどい自撮りが送られてきていた。
だるい。食欲がない。何か腹に詰めなければとわかっているが、ベッドを出るのが億劫だ。最寄りの病院は車で十分、熱に浮かされた状態で運転できるか心許ない。
助手を呼ぼうか迷い、やめておく。
お節介が服を歩いてる理一のことだ、練が風邪をひいたと知れば飛んでくるに決まってる。それが嫌だ。
「っ、は」
来た。
体内で何かが目覚めて暴れだす。
「~~~~~~~~~ぁ」
シャツの胸を掴んで突っ伏し、残りの手でシーツをかきむしる。下半身がずくんずくんと脈打ち、体の中から犯される感覚に悶え、胎児の姿勢で縮こまる。
練が弱ると化け物の活動が激しくなる。宿主が衰弱したのを見計らい、体ごと乗っ取ろうと蠢きだす。
普段は数珠と霊力で押さえ込んでいるが、きゅうせん様は古の日水村で神と仰がれた強大な化け物だ。宿主の呪縛が緩めば本来の力を取り戻す。
「ぅぐ、はァ」
これが初めてじゃない。昔はよく熱を出して寝込んだ。祖母の世司は跡取りの孫を厳しく躾け、極寒の真冬でも禊をサボるのを許さなかった。練は毎朝庭の井戸端へ赴き、自分の手で鶴瓶を繰り、冷たい水を頭からかぶった。
もともとそんなに丈夫な方ではない。大阪にいた頃も季節の変わり目には風邪をひいた。
優しい母は練が寝込むたび白桃の缶詰を開け、卵でとじてしらすを和えたおじやを作ってくれた。
両親が事故死し祖母に引き取られたのち熱を出す回数は増え、月に一度は学校を休まざる得なくなった。
『茶倉の跡取りがそんな軟弱でどうする、情けない』
寝込んだ練の世話は通いの女中がした。土鍋で煮た粥の味は殆どわからなかった。
当時の練は「慣らし」の期間中で、きゅうせん様を完全に制御しきれてはいなかった。
ただでさえ精力絶倫なきゅうせん様が宿主の隙をほっとくはずがない。熱と体調不良で抗えないのを幸いとばかり、苗床に作り変えた体内で激しく蠢き、前立腺をぐにぐに押し潰す。
練が成長し力を付けていくのに伴い、きゅうせん様は大人しくなった。成人済みの現在なら、余程のことがない限り暴走を防げる。
練の体と心さえ健康ならば。
「……調子、のんな」
下っ腹がずくんずくん脈打ち吐き気を催す。全身の肌が性感帯に置き換わり、シーツと擦れ合うのがもどかしい。体の中にきゅうせん様の存在を感じる、鼓動が響く。腹の奥底に触手が根を張り、直腸の襞を巻き返す。
化け物に好き勝手される屈辱と怒りに目がくらむ。
とりあえず薬飲まな。
洗面所の棚に熱さましあったはず。ベッドを下りようとした瞬間、膝から力が抜けて崩れていく。まずいと思った時には遅く、床に倒れていた。
「痛……」
手を伸ばす。焦点がブレる。視界が歪む。どうにか洗面所に這って行き、壁を支えに立ち上がり、抗生物質の錠剤を呷る。移動中もずっと体が火照り、腹の奥が疼いていた。
洗面台の縁を掴んで腰を浮かし、途中で力尽きて蹲り、震える手を股に伸ばす。
自分の手で陰茎を慰め、身の内に籠もる熱を逃がせば楽になる。その代わり最低に惨めな気分を味わい、自己嫌悪に沈む。
子供の頃の悪夢が甦る。汗をびっしょり吸った布団の上。
『きゅうせん様、も、許して、体しんどい、ィかせてください、あッあ』
片手で不器用に尻をほじくり、残りの手でペニスをしごき切なげに泣く練の痴態を、冷たい目をした祖母が障子の隙間から観察している。
「ざけんな、畜生の分際で」
解熱剤の箱をぐしゃりと握り潰す。またあんな思いをする位なら死んだ方がマシだ。
練はもうこどもじゃない。茶倉の家を出て何年も経った。障子の隙間から見張る祖母はいない。
手の中の箱を乱暴に壁に投げ付け、再び這ってベッドに戻り、這い上がろうとしてスタンドミラーを倒す。
「~~~~~~~~~~~~~ッ!」
きゅうせん様が一際激しく暴れ、ズボンの中心にじんわり染みが広がる。奥歯を噛んで俯き、床に額を押し付け、小刻みに震える手を下着に潜らす。
キツく瞑った目の裏に思い描くのは、自分の下でよがる理一の痴態。
「はあっ、はあっ」
はよ抱きたい。めちゃくちゃにしたい。オナニーするのは久しぶりだ、普段は女を抱いて発散していた。しごくのは前だけで後ろはさわらない、練にも男のプライドがある。
同時刻、新宿歌舞伎町のラブホテル。
理一はダブルベッドの端に腰掛け、スマホでパズルゲームをしていた。バスルームからはシャワーの水音が響く。五分後、スライドドアが開いて濛々と蒸気が流れだす。
「よっしゃ、ラストステージクリアでボーナスゲット!」
ガッツポーズをきめる理一に白いガウンを羽織って歩み寄り、軽い調子で詫びる。
「待たせてごめん」
「いんや、タイミングばっちし」
「準備はOK?」
「そっちもばっちし」
スマホをサイドテーブルに伏せ、勢いよくベッドに飛び乗る。理一が穿いたボクサーパンツを一瞥、男がプッと吹く。
「何それ、ださ」
「ダチから貰いもん」
タイトな黒地のボクサーパンツには、『下半身タイガース』のロゴがでかでか踊っていた。
この男は理一のセフレだ。知り合ってまだ三か月と日は浅いが、話も合うし体の相性も上々ときてちょくちょく会っている。
昨日は二丁目のゲイバーでひとしきり飲んでだべった後、レイトショーの映画を観に行き、仕上げにラブホで楽しんだ。
「ダチって例の腐れ縁の?」
「そ、ドケチ関西人クソ上司。去年の誕プレ」
「やばいセンスだな」
「てっきりスルーされるかと思ったら別れ際に投げてよこされた、顔面に。んなことよりさ~」
正座の状態のままベッドで跳ね、早く早くと急かす理一。男がまんざらでもなさげに笑いガウンを脱ぐ。
「さっさとしようぜ」
挑発的に舌なめずりし、ボクサーパンツの両端に指をひっかけ、ストリッパーの腰遣いで脱いでいく。理一が下着を放るのを合図に男がのしかかり、首筋にキスをしてきた。
「ん、ははっ、くすぐってえ」
「動くなよ、やりにくい」
「ッ、そこ」
お仕置きに乳首を抓り、引き締まった腹筋を舐め回す。理一は男の首の後ろに手を回し、前戯に応じて喘ぐ。
潤んだ視界の端に右手の数珠がとまり、腐れ縁の顔が脳裏を過ぎる。
烏丸理一は茶倉練の助手だ。
平日はTSSで働いてるが、週末はセフレとラブホにしけこんでヤりまくってる。
理一がゲイになったのは霊姦体質のせいだ。朝昼晩ぶっ通しで悪霊に突っ込まれ、すっかり開発されてしまった。辛うじて日常生活を送れてるのは定期メンテナンスのおかげだ。
数珠が黒く濁る都度茶倉に「除霊」してもらっているからこそ、週末は常に2・3人キープしてるセフレと会い、遊びまくれる。
もし霊姦体質に目覚めなければ女の子が好きなまま、可愛い彼女を作っていたかもしれない。
「はっ、あ、気持ちいい」
「乳首いじられんの好き?淫乱だな」
「お前が上手いから、ふッ、や」
「下も我慢汁でぬるぬるしてる。ローションいらずだな」
「付けろよちゃんと」
「はいはい」
男の手がゆるゆるペニスを擦って育て、理一も相手の乳首を吸い立てる。
「数珠、外さねえの?」
「ん。したままで」
「大事なものなのか」
「まあね」
男が輪にした指でくびれを括り、裏筋をくすぐって性感を高めていく。対抗心を呷られた理一は男の股間に突っ伏し、いやらしくペニスをしゃぶる。茶倉のブツよりやや小さい。なんて、比べるのは失礼だぞ。フェラに集中しろ。
「んっ、む、はぁ。しょっぺ」
カリ太の亀頭を大胆に咥え、上顎のぬめりを塗し、舌でやわやわと揉みほぐす。右手に巻いた数珠が粘膜にあたり、男がわななく。
「やらしい顔。他のヤツにも見せてんの?」
「どうかな」
片手にペニスを持って不敵に笑い、へその窪みを窄めた舌先でほじる。男が理一を仰向けに倒し、両脚を掴んでこじ開け、たっぷりローションを塗り込めていく。
その間に枕元の箱を開封し、じれったげ袋を噛みちぎり、取り出したコンドームを男のペニスに被せる。
「サンキュ」
「どういたしまして。セックスは共同作業だもんな」
理一に手伝われコンドームを装着した男が、ペニスの先端でアナルを押し広げ、抽送を開始する。
「あッ、あッ、すごっ当たるッ、これやばっ気持ちいいっ」
前立腺をピストンされ、下半身から巻き起こる快感によがり狂い、大きく仰け反って声を上げる。
「乳首も前もびんびん。感度抜群」
「そこやめっ、んっふ、ぁぁっよせ、そんなしたらすぐイッちゃうからッ」
「ケツマンは食い締めて離さないぞ、もっと欲しいっておねだりしてる」
「ふッ、ぁあっ、気持ちよすぎて頭が馬鹿になる」
「チンポ大好きだな」
「チンポ好きッ大好き、もっとたくさんケツにちょうだい」
理性が蒸発し体がぐずぐずに蕩ける。無意識にシーツを蹴り、男に抱き付いて腰と腰を密着させる。
右手の数珠が熱を持ち、浮気を責めるように食い込んで痛みを与えてくるのさえ気持ちよくて、ぐりぐり腰を擦り付け、太いペニスを味わい尽くす。
「あッあッあぁっ、ふぁッあッあンっ」
「イけよ理一」
性急に弾む尻に指がめりこむ。一際強く深く突かれ、脊髄から脳天にかけ、電撃のような快感が貫いた。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
男がコンドームの中に射精するのと、理一が激しく仰け反り、粘った白濁をとばすのは同時だった。
腸液とローションに濡れたアナルからブツを抜き、使用済みコンドームを捨てた男が、しっとり汗ばんだ髪を優しく梳く。
「たくさん出したな」
「まだまだこんなもんじゃねーだろ。今日は土曜でお互いフリー、腰が抜けるまで付き合えよ」
うなじを啄む男にじゃれ付き、振り向きざま頬に手を翳す。直後、異変が起きた。
「あぢっ!?」
右手の数珠に皮膚を焼かれ、咄嗟に飛びのく。男は全裸のままきょとんとしていた。
「どうした」
「わかんねえ、急に……」
胸の内に得体の知れない不安が芽生え、枕元のスマホを掴み、意を決して電話する。数秒後、電波に乗って不機嫌な声が届く。
「茶倉?今どうしてる」
『落語聞いとった』
続く言葉は激しい咳にかき消された。
「風邪?具合悪ィのか」
『痰が絡んだだけや』
予感的中。スマホをマットに放り、バスルームに直行してシャワーを浴びる。
湯気を纏って室内に戻るや、速攻でパンツとズボンを穿いてシャツを羽織り、急展開に追い付けない男を拝む。
「ごめん、用ができた。埋め合わせは後で必ず」
「は?待てよ、腰抜けるまで付き合えって言ったのそっちじゃねえか」
「現在進行形で腰が立たねえダチが待ってんだ」
納得できず食い下がる男に無視し、部屋を飛び出した足でタクシーを捕まえ、タワーマンションを目指す。
時間は少し遡る。
茶倉はベッドに這い上がれず、床に突っ伏してまどろんでいた。
「はあっ、はあっ」
相変わらず体調は最悪。吐き気に加え眩暈までしてきた。大量に汗をかいたせいで軽い脱水症状を起こしている。
「水……」
洗面所で飲んでこんかい俺のアホ。心の中で突っ込み、仕方なくキッチンへ這っていく。
シンクに縋ってよろよろ立ち上がり、渾身の力で蛇口を回し、ちょろちょろ迸った水を啜る。
序でに冷蔵庫の扉を開けた。キャビア、チーズ、サラダチキン、ワイン、缶ビール……ろくなものがない。自炊をサボり、外食とウーバーイーツに頼ってきたツケが回った。野菜室では長ネギがしんなり萎びている。力なく扉を閉じてずり落ち、足を引きずって寝室に戻る。
ぼふんとベッドに倒れ込み、スマホに接続したイヤホンを耳にねじこむ。それから画面をタップしYouTubeにとび、名人の寄席を再生する。
これが茶倉練の人に言えない習慣。落語を睡眠用BGMにしているのだ。
『え~ある所に借金で首の回らない男がおりましてェ……』
お囃子の前奏が終わるのを見計らい、りゅうとした着流し姿の噺家が饒舌に語りだす。
静かに目を閉じ、まどろむ。
『支度はできたかい練。ぐずぐずしないで行くよ』
祖母に優しくされた思い出は少ない。茶倉の邸で過ごした日々は息が詰まった。
世司は唯一の肉親である練にキツく当たり、掌に線香の灰を落としたり納屋で正座を命じたり、あるいは竹定規で背中を打擲するなど、しばしば度を越した折檻を加えた。
『おいで練。そこに立って、腕を広げて……寸法はぴったりだね。その柄は鱗文様っていうんだ。ご覧、三角形を並べた模様が魚や蛇の鱗に似てるだろ?脱皮を繰り返す蛇は古くから生命力や再生の象徴とされてきた、有難い魔除けの柄さ。着付けは一人でできるね?茶倉の惣領が人様の手を煩わせたんじゃ恥ずかしいからね、自分の事は自分でするんだよ』
『わかりましたおばあさま。肝に銘じます』
そんな世司だが、孫の誕生日には毎年新しい着物を仕立て、歌舞伎や能や寄席に連れて行ってくれた。跡取りをお披露目する意図もあったのだろう。
『これが世司さんの孫か。噂に聞いてたとおり器量よしだね』
『環ちゃん似かな』
『練、挨拶は』
『はじめまして、茶倉練です。よろしゅうお願いします』
『またお前は……外で下品な言葉を使うなと言ったじゃないか』
『ごめんなさい』
格式ばった能や歌舞伎は難解で退屈だったが、唯一の例外として寄席だけは心から楽しめた。日頃は練が吹き出すたび「はしたない」と咎める祖母も、寄席の最中は楽しげに笑っていた。
『最初の演目は三遊亭圓朝の十八番だった怪談噺、死神だよ。これを見せたかったんだ』
落語を聴いてる間だけは普通の子供に戻り、祖母の隣で笑うことが許された。
世司には沢山の事を教わった。知りたいことも知りたくなかったことも沢山。
練が霊能者として高収入を稼げているのは、一流の拝み屋である祖母の薫陶をうけたからこそ。
世間体が悪いからと左利きを矯正された。関西弁だけは最後まで直さず、意地で使い続けた。
おとんが使うとった言葉が下品なわけあるかい。
世司が執拗に直させようとしなければ、小学生の時分に関東圏に移住した練は、自然に関西弁を忘れていたはずだ。
関西弁を日常会話に用いるのは、練が祖母に対して出来た、唯一の反抗だった。
拍手。笑い声。琴と三味線の音曲。心が落ち着いて顔が安らぐ。きゅうせん様も今は大人しい。
瞼裏の闇が朧な火をともす。
ポツンポツン、相次いで炎が生じる。
どことも知れない広い空間を蝋燭が埋め尽くし、燐を孕んだ人魂の如く、青い炎が揺れる。
どこやねん。えらい広い。大小無数の蝋燭が犇めく闇に、胡乱な人影が像を結ぶ。
『ようきたな』
蝋燭を背に胡坐をかいていたのは、十二連の遊輪さざめく錫杖を携え、抹香臭い袈裟を纏った法師だった。
年の頃は同じ位。鴉の濡れ羽色の髪を一ツに括り、怜悧な切れ長の双眸をひたとこちらに据えている。秀麗な面差しは練と鏡写しだ。
『まあ座れ』
『誰やアンタ。同じ顔やん、きしょ』
『きしょて』
がくんと首をうなだれた法師に対し、ずけずけ切り込む。
『わかった、ご先祖様や。当たり?』
『話が早ぅて助かる』
『てことは、コレ夢か。熱出した時に見るしょうもない悪夢』
自分と同じ顔の法師の前に胡坐をかき、憮然と腕を組む。
『ずけずけ上がり込まれるんは好かん。てかここ何?けったいな場所やな、アンタの趣味か。ぎょうさん蝋燭たてよってからに、消防法違反で捕まるで』
それにしてもよく似ている。母親似とばかり思っていたが、練の風貌は先祖返りか。何故か法師も感心していた。
『男前やな、自分』
『どうも』
『俺のが勝ってるけど』
『アホぬかせ、俺のがイケメンやろ』
『食えへんヤツ』
『お互い様。漫才しとうて呼んだんか、相方さがすなら他あたれ』
しゃんと錫杖が鳴り、風もないのに一本、蝋燭の炎が吹き消える。
『苗床』
心臓を冷たい手でなでられた気がした。法師が真顔で呟き、錫杖の切っ先で練を指す。
『なんや驚いた顔して。自分が陰でなんて言われとるか知ってたくせに』
『……正面切って言われたんは片手で足りる回数や』
片方の口端を吊り上げ、法師が語る。
『お前ん中におる化けもん、きゅうせん様て呼ばれとるヤツ。それ、俺が連れてきたんや』
『は?』
頭が真っ白になる。
練の反応を意に介さず、続ける。
『日水村を荒らしとった祟り神の片割れ。半分に裂いて、おどれの体に封じ込めた』
法師の言葉を理解した瞬間、視界が真っ赤に爆ぜ、憎しみと殺意に駆り立てられる。
『―――アンタが元凶か』
てのひらに爪が食い込んで新鮮な痛みを生む。心臓が早鐘を打ち、胎内のきゅうさん様が蠢く。
思わず立ち上がり詰め寄る練に対し、法師は掴み所ない笑みを浮かべたまま、のらくらとはぐらかす。
『それは八ツ当たりっちゅーもんや。俺かてあない厄種、子孫末代まで継がす気は毛頭なかった』
『じゃあなんで』
『共生』
錫杖がしゃんと音を奏で、蝋燭が二本同時に消える。
『化けもんを封じられるんは化けもんだけ。多分俺にも化けもんの血がまじっとる。ご当主はんは始祖の血がどこかで分かれたんかもしれんて言うとった。せやけどなあ、きゅうせん様は思いのほかしぶとうて俺と一緒に死んでくれんかったねん。殺せんかったらしゃあない、上手いこと利用したろて代々の当主は思うたんやな』
『回りくどい。結論は』
『化けもん引っぺがす方法、知りたいか』
拳を強く握り込む。
『当たり前やろ』
『なんで?』
『なんでて』
『拝み屋やるなら主従の契約結んだほうが便利やんけ』
『本気で言うとるんか』
『精気を食わしてやるだけでなんでもいうこと聞く可愛え使い魔やで、きゅうせん様は』
胡坐の上に頬杖付いて愉快げに含み笑い、嘯く。
『さすがうちの先祖。イカレとる』
法師の目が据わる。
『自分だけええ子ぶんな。楽しんどったくせに』
真っ暗な座敷牢。目隠し。四肢に絡み付き、吊り下げる組紐。無数の触手が幼い肉を苗床に作り変え、みちみちと夥しいミミズを産み落とし―
限界だ。
衝動的に掴みかかるも、不可視の波動ですかさず弾かれ、蝋燭の炎が凄まじい勢いで膨らむ。
『俺、は、楽しんでへん。無茶苦茶されて、死ぬほど苦しかった』
『化け物でなきゃ物足りん体にされてもうたんか。可哀想に』
法師がふてぶてしく唇を曲げ、片手に預けた錫杖を回す。
『ええか、よお聞け。きゅうせん様はお前の肉に根付いとる、下手に引っこ抜けば命を縮める。お前は一生死ぬまで、その体できゅうせん様を飼い続けるしかないんやで』
『嘘や』
『まだわからんのかい。お前は茶倉一族の集大成、九泉呪牢なんや』
それは呪い。
『世を司る環を練る』
法師袖をたらし、指で宙に字を書く。ボッボッと炎が爆ぜ、青い火が名を形作る。
『茶倉一族の名前はそれ自体が呪で言霊。世を司る環を練る、それがお前の役目。環はきゅうせん様のこっちゃ』
『待てや、それって』
『世司は三代かけてきゅうせんを封じる最強の牢を練り上げた。執念深い女や』
練ときゅうせんは分かちがたく結び付いている。
無理に引き剥がせば、両方とも死ぬ。
『いくら強い術者かて、体ん中で化け物飼いならすなんてようできん。せやから茶倉の当主はみんな短命なんや。お前は特別』
耳の奥で鼓動が膨らむ。
体内に巣食った化け物が暴れ狂い、喉が急激に干上がっていく。
『俺が死ねば、きゅうせんは解き放たれるんか』
この肉が、体が牢なら。
自殺すればあるいは。
『さあなあ、そこまでは』
『子供ができたらそっちに行くんか。ずっとずっと、永遠に終わらへんのか』
二の腕に爪を立て、その痛みで辛うじて自我を保ち、呟く。
『……ホンマに縁切りたいか。方法ならあるで?』
前髪に表情を隠す練の方へ身を乗り出し、錫杖の先端で顎を上げさせる。
『お前のそばにけったいなんがおるやろ。悪霊や化け物と感応しやすい、突然変異が』
理一。
『ソイツに全部おっかぶせてしもたらええねん』
法師が邪悪に笑む。
『わけわからん』
『わからんふりしとるだけ。ホンマは気付いてはるくせに』
『理一は関係ない、アイツはただのしょうもないお人好しで』
『お前と同じ血を引いとる、同じ肉でできとる。思い出せよ練、ういは鳥葬の巫女やった。もともと死霊と交わり、神さんに嫁ぐはずやった。ほならアイツかて同じ器の素質がある』
『やめろ』
『霊姦体質は化けもんにも有効、日水村では見事ミミズを引き付けた。お前ん中におるきゅうせん様も移植したらええ。理論的にはできるはずや、肉と肉を繋げて憑かすんや。押し付けたら殺してさいなら―』
『やめろいうとるやろド腐れ外道!!』
全身の血が逆流し、足元の地面が割れ、巨大な触手が蝋燭を薙ぎ倒す。
錫杖を構えて飛び退った法師が哄笑を上げ、闇の奥へと消えていく。
『理一はそんなんちゃうわ、アイツは霊に好かれやすいだけのヘタレで』
『足元見ィ』
どこからか聞こえた法師の指摘で我に返り、今しがた靴が蹴飛ばした蝋燭を見下ろす。
『それな、お前の相棒の寿命やで』
怪談落語「死神」では、人間の寿命が蝋燭にたとえられていた。足元に転がる蝋燭は短く縮み、火は既に尽きかけている。
『たった今、お前が暴れて消したんや』
絶叫。
濡れてへばり付いたシャツの下で、茹だった心臓が跳ね回る。イヤホンは片方外れ、そこから「死神」の続きが流れていた。
「夢……?」
あかん、どっちや。わからん。ただの夢にしちゃ生々しい。アレは誰や、ホンマにご先祖様か。こんなん聞きながら寝オチするからうなされるんや。
苛立ち紛れにイヤホンを引っこ抜き、体を横に向けて縮こまり、右手のひらに左手で「人」と記す。
大丈夫、まだイケる。
俺は正気や。
憑かれたように「人」と書いて飲み込み、五回目で「ノ」と払い、片手で顔を覆う。
「……アジャラカモクレン テケレッツのパー」
着メロが鳴る。小窓には理一の名前。即座に切ろうとし、指が滑って出てしまった。
『茶倉?今どうしてる』
「落語聞いとった」
続く言葉は激しい咳にかき消された。
『風邪?具合悪ィのか』
「痰が絡んだだけや」
理一は何も知らず、能天気に練を心配している。震える手で通話を切り、スマホを投げて布団をかぶる。悪寒と快感が錯綜して背筋を駆け、ズボンの前が窮屈に突っ張る。
「ッ、ぐ、ふうっ」
ただ寝かせてほしいだけなのにそれすら叶わず、片腕で体を支え、片手で前をしごきたてる。
練には視える。巨大な土ミミズが背中にのしかかり、醜い肉瘤が出来た触手を尻に抜き差ししている。
コイツを理一に押し付ける?
「冗談、キッツイで」
どれ位そうして耐えたのか。遠のいてはまた覚める意識の彼方でピンポンがうるさく鳴り、誰かが合鍵を使い、部屋に駆け込んできた。
「大丈夫か!?」
お節介な声がする。
「声の調子変だったからもしかしてって思って来てみりゃ……すっげー汗。病院は?医者に診せた?着替えた方がいいぜ、びしょびしょじゃん」
「やかまし」
「どうせ何も食ってねえんだろ?これ、来る途中のコンビニで買ってきた。台所借りるぜ、パパッと粥でも作っから」
片手に持ったビニール袋を掲げ、台所に引っ込もうとする背中を目で追い、壮絶な不安に駆られる。
「行くな」
理一が振り向きざま目を見開く。その肘を掴んで引っ張り、力ずくでベッドに押し倒す。
「誰と寝たん」
「なんでわかんの」
「匂い」
理一から他の男の匂いがする。きゅうせん様が活性化した影響で、五感が異様に鋭くなっている。
嗅覚を刺激する安物のボディソープの匂いとそれでも誤魔化せない他人の体臭に苛立ち、嫉妬に狂ってシャツを脱がす。
「ちょ、たんま、今ここでヤんの!?」
「数珠、黒くなりかけとるで」
「無茶すんな、具合悪いんだろ」
「かまへん。したい気分なんや」
「変だぞお前、熱あんだからじっとしてろ。せめて粥食って薬飲んでから」
続く言葉を唇で塞ぎ、鬱陶しげにシャツを脱ぎ、同じく剥かれた上半身を性急に愛撫する。
「ふぁっ、ンっぐ、よせってば」
理一がじたばた暴れ、片手で押しのけようとするのを制し、弱いとわかっている乳首を噛む。
「ひッ!」
甘噛み、吸い転がし、根元から搾り立てる。
案の定抵抗が緩んだ隙にズボンをずらし、ペニスをゆるゆるさすって育て、アナルへ指を突き立てる。
「……ド淫乱が。がばがばやん」
「よせよ、今日のお前なんか怖いよ。ヤりたくねえ」
理一が涙目で怯む。
練は微笑む。
「やっぱ優しいな、お前。病人さかい、手加減してくれとんねんやろ」
「!違、」
「いらんお世話じゃボケ」
きゅうせん様は飢えている。目の前にうまそうな餌がある。嫌がる理一を無理矢理組み敷き、両脚をこじ開けて体を繋げる。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッぁあ」
容赦なく揺り動かす。
「ッ、よお締まる」
「なん、ちゃくら、やだ、痛ッぐ」
「ちゃんと掻きだしてきて偉いな。生でええやろ」
化け物に犯されながら理一を犯す。本当なら喋るのも辛い状態で虚勢を張り、平気なふりをし、前立腺を突きまくる。
「あっ、んっあ、茶倉ぁそこっ、すごっでかっ、ぁあっあンあッ」
自分ときゅうせん様、どちらが理一を犯してるのかわからない。練のペニスは雄々しくいきりたち、鼓動に合わせて脈打って、抜き差しの都度太さと固さを増していく。
「なんッ、か変っ、俺ん中、腹ん奥、何かいる!ぐちゅぐちゅ動いて、ッぁは、やッ、ふあぁあっ」
無造作に裏返され、メス犬のように尻を突き上げた理一が潮を吹く。練は理一の背に密着し、悩ましい疼きを刺激に代えて剛直を支え、理一の奥深くに霊体ミミズを植え付ける。
「も、そのへんで、茶倉もうむり苦しっ、はッあ、頼む許して」
「生でガツガツ突かれんの大好きやろ、ケツん中うねっとる」
「根っこみてえのが俺ん中暴れ回って、なんかおかしっ、ぁっあッ、小便する孔塞いで、イけねっやだ」
射精を封じられた掻痒と苦しみに泣き狂い、尻の奥に詰まったミミズが敏感な肉襞を絶えず巻き返す。
「やだ、喰われるッ」
異物に浸蝕される嫌悪と恐怖にパニックを起こす理一の首をねじり、振り返らせて舌を絡める。
「ひゃうっ、あっ、あぁっあふぁっ」
汗と涙と涎に蕩けた顔が理性を散らす。理一が不規則に痙攣し、小刻みに中イキを繰り返す。
今この瞬間、身も心も無防備な理一にきゅうせん様を移し替えたら、練は自由の身になれる。
一瞬だけ脳裏を過ぎった誘惑を振り払い、怒りを込めて叩き潰す。
「誰にもやらん」
耳元で優しく囁き、短く刈り込んだ後ろ髪を摘まむ。
「お前は渡さん」
他の男にも、きゅうせん様にも。心の中で力強く宣言し、一際深く突き上げる。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
長い苦しみの末漸く射精を許されて仰け反り、濃厚な白濁を撒き散らす。
理一の奥に精を注ぎ込む練の胎内に脈々と根を張り、異形が種を注ぐ。
「あッ、あぁっ」
ぱたぱたシーツに滴る雫。射精に至れどまだ快感が止まらず、涎をたらしてビク付く理一を深く繋がったまま抱き締め、彼が今感じているのと同じ快感に耐え抜く。
「ちゃく、らぁ。なんだよも~……お前きらい」
呂律の回らない憎まれ口に安心して瞼が重くなる。心地よい虚脱感に包まれ、背中に凭れてずり落ちていく。きゅうせん様も暴れて気が済んだのか、束の間の眠りに就いた。
「起きたか絶倫野郎」
台所から出てきた理一。両手に持ったトレイの上には、土鍋とレンゲが乗っていた。
「覚えてねえの?あれから二時間ぶっ続けで寝てたんだぜ」
「なんで無茶苦茶されたのに帰ってへんの」
「骨折り損の切れ痔儲けはごめんだね。せっかく持ってきた食材無駄にすんのやだし。あ、冷蔵庫のネギ使ったぞ。首に巻いた方がよかった?」
「民間療法は信じん」
上体を起こした拍子に額からタオルが落ちる。頭の下には氷枕。
「どこにあるかわかんねーから探すの手間取った。洗面所の戸棚の二段目な、覚えた」
「人が寝てる間にガサ入れすな」
「大目に見ろ。あとでゆず茶作ってやる、今ハマってんだ」
「余計なもん買い込みすぎ。領収書切らんからな」
膝の上にトレイを置いてふたを取れば、湯気に乗じて懐かしい匂いが広がる。
「お粥とおじやで迷っておじやにした。具沢山で栄養ありそうだし、うちは風邪ひくと決まってこれ」
「手作りか。しょっぱ」
「塩分控えめだぞ」
「関西人は薄味が好きやねん。うどんだしは限りなく透明に近い澄まし汁しか認めん」
「へーへー」
理一のお手製おじやはかき玉で米をとじ、みじん切りにした長ネギとしらすを散らしていた。
「猫舌だっけ、お前」
「そこそこ」
「了解。ふーふーしてやる」
「きしょ」
「風邪っぴきじゃなきゃぶっとばすぞ」
レンゲですくったおじやを吐息で冷まし、「ん」と突き出し理一の顔をまじまじ見詰める。
仕方なく口を開け、食べる。
「ご感想は?」
「……料理できたんやな、お前」
「うまいって褒めろ」
「フリーズドライの雑炊のがイケる」
「そうこなくっちゃ」
レンゲにおじやをよそい、嬉しげに続ける。
「素直でしおらしい茶倉なんて歯ごたえねースルメみてえなもんだろ」
「微妙すぎるたとえで突っ込む気失せたわ」
練はゆっくり時間をかけ、理一が手作りしたおじやをたいらげた。
「さっきはどうしたの」
「どうもせん。熱が上がってムラムラしただけ」
「風邪ひいてんのに襲うとかありえねー、下半身だけ元気すぎ」
「お前に|伝染《うつ》したろ思たんや、馬鹿は風邪ひかん言うやろ」
「ひくわ普通に」
そのあと理一の手を借りて清潔なシャツに着替えた。お互い裸は見慣れてるくせに、妙に気恥ずかしいのが不思議だ。
「打ち合わせはキャンセルした?」
「ん」
「うし。病院行くぞ」
「市販の薬飲んで寝とれば治る」
「客商売は笑顔と体が資本。ちゃんと診てもらえ」
主導権を握られたのが癪だ。平素とは立場が逆転した。理一の目が枕元に放り出されたイヤホンに移る。
「落語聞いてたってマジか」
「笑うな」
「笑ってねえ」
「目元がにやけとる」
「好きな噺は?」
他愛ない質問に一呼吸だけ沈黙し、答える。
「……『死神』」
夢に現われた法師は練を唆す死神だったのか。考えても答えは出ない。
目を閉じれば瞼の裏に、青い蝋燭が無数に犇めく闇と、その中心に座す法師が浮かぶ。
「って、何しとんねん」
「『死神』の再生。おすすめ聞きたくて」
舌打ちがでた。
「そういうとこやぞ」
ベッドに掛けた理一が動画を再生し、今度はふたりで『死神』を聞くはめになる。
理一はふんふん頷き、時折楽しげに笑い、在りし日の練を思わせる横顔で初見の落語に聞き入っていた。
「結構面白えじゃん。なめてたわ」
「睡眠導入にうってつけ」
「残り寿命が一目でわかっちまうろうそくとか、ホントにあったらおっかねえよな」
「お前のは長くて固くてぶっといし、当分消えへんよ」
「下ネタ?」
「死ね」
辛辣な毒を吐く練に手を翳し、コツンと額を合わせ、伏し目がちに呪文を紡ぐ。
「アジャラカモクレン、テケレッツのパー」
あっけにとられた練に向き合い、眩しいくらい笑って。
「落語のうけうり。こうすりゃ死神追い払えんだよな」
「……アホくさ」
結局理一は夜になるまで付き添い、氷枕やタオルを変え、練の体を拭いて看病した。
「挙句がこれか」
日付が変わった頃、床に座った姿勢からベッドに顔だけのせ、理一が鼾をかいている。
近くの床には氷を砕いて浮かべたプラスチック桶や乾いたタオル、体温計が散らばっていた。
友人の看病の甲斐あり体調は大分よくなった。二人分の精気を吸い上げ満足したのか、きゅうせん様も凪いでいる。
あえて下世話な言い方をすれば、出すもの出してスッキリした。熟睡できたので体力も回復している。
キッチンに歩いて行き、理一が買ってきたゆずジャムの瓶を開け、ゆず茶を作る。
不意打ちでスマホが鳴り、通話ボタンを押す。
「茶倉ですが」
『……怒ってる?』
「とんでもない。もとはといえば僕が悪いんですよ、ミズキさんのせいじゃありません、気にしないでください」
『アタシも頭が冷えた。アレはさすがにやりすぎたよ、ごめんね。いくらムカツいたからって真夜中にパンツいっちょで放り出すなんて、漫画みたいなテンプレじゃん。風邪ひかなかった?』
「人より丈夫なのが取り柄なんで」
『そっか、よかった~』
微妙な空白。
『で、「りい」って誰?』
鉄壁の笑顔で切り返す。
「年中発情してるうちの駄犬の名前です」
昨晩、お楽しみの最中に名前を呼び間違えた。本名に一文字もかすってない名前を呼ばれたセフレはブチギレ、まだ下着しか穿いておらず、けんけんぱしている練を家から叩き出した。
『へ~、練は家で飼ってる犬に愛してるって言うんだあ~』
「熱狂的犬派なんで」
拗ねる女を口先三寸で丸め込み、どうにか仲直りしてから寝室に戻り、看病疲れで爆睡している腐れ縁の顔を覗き込む。
「……聞いとるかきゅうせん様。俺はもうええ、苗床でかまへん。なんぼでも産んだるさかい、気ィ済むまで耕して孕ませろや」
母も祖母も夢の法師も一族郎党が苗床の宿命を背負ってきた以上、自分はそこから逃げられない。
「!ッ、ぐ」
下っ腹が切なく疼く。胎動を感じる。
陣痛。
耐え切れず落ちた膝を意志の力だけで支え、奥歯を噛む。
「ふッぐ、うぐ」
ズボンの裾を通し赤い肉色のミミズを産み落とす。何匹も何匹も粘液に塗れて降り注ぎ、床でぴちゃぴちゃ這い回る。
ベッドの縁を掴んで息み、片腕で腹を抱え、必死の形相で凄む。
「せやから、コイツには手出しすな」
犯されてはまた孕み、孕んではまた犯され、そうして受肉した仔たちが何匹もひりだされ、身をくねらせて尿道に入っていく。
「はあッ、ぅうっ」
理一を抱いてる最中に種付けされた仔たちが続々孵り、産道代わりの腸襞を押し広げみちみち這い出す。
「あ゛ぁ゛ッ、ぐ」
全身脂汗にまみれてティッシュを引っこ抜き、床でのたくるミミズを掴む。
目が霞む。息が切れる。すぐそこの洗面所がはてしない距離に感じられる。
幻聴が鼓膜を毒す。
『また漏らしたのか。下の緩い子だね』
『化け物でなきゃ物足りん体にされてもうたんか。可哀想に』
瞼の裏に巡る面影を打ち消し、代わりに理一の顔を呼び出す。
拳で床を叩いて体をもたげ、破水に似て滴る粘液の筋を曳き、もうすこしで着くと気力を振り絞り、息も絶え絶えに死神退散の呪文を唱える。
「アジャラカモクレン、っは、テケレッツのパー」
ざわめく肌を伝い、慄く脚を伝い、ズボンの裾からばらばら落ちたミミズをかき集め、瀕死の想いで辿り着いたトイレに叩き込む。
すぐさまレバーを押して水を流し、渦に巻かれるミミズを冷たく見届け、吐き捨てる。
「……共食い上等。理一にちょっかいかけたら、殺すで」
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