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第12話

|榎本昇《えのもとのぼる》は誰そ彼時の道をひとりぽっちで帰っていた。日直当番が思いのほか長引き、下校時間が遅れたのだ。 等間隔に並ぶ通学路の標識に沿い、無個性な戸建てが続く住宅街を歩いてると、老朽化した団地に面した公園が見えてきた。 正式名称は知らない。入口の碑には「  公園」と彫られているが、悪質ないたずらで名前が削り取られていた。故に近隣の小学生はななし公園と呼び慣わす。 『気味悪いよねあそこ。団地の影になって暗いし』 『変な噂あるし』 ななし公園に伝わる奇妙な噂。 曰く、無人の砂場が無数の足跡で窪んでいた。 曰く、ジャングルジムのてっぺんにのっぺらぼうが座っていた。 曰く、一番のっぽの鉄棒に首吊り人形がぶらさがっていた。 曰く曰く曰く―…… ななし公園が忌避される最大の理由は、気味悪い現象が相次ぐせい。 「……」 帰りの会で寄り道禁止令を出さずともここで遊びたがる物好きはいない。子供たちはもうすこし先にできた、最新の遊具が充実した公園に行く。 ななし公園は最低限の遊具しかないし、それも全部錆び付いてみすぼらしくペンキが剥げている。 唇を噛んで俯き、平常心を装って通り過ぎざま、信じがたい光景が目の端にとまる。 キイ、キイ。 風もないのに右端のブランコだけ揺れている。 愕然と立ち止まり息を飲む。昇の視線の先、右端のブランコは一定のリズムで揺れ続けている。透明人間が漕いでいるように。 ありえない。 不可解な現象に直面した好奇心が恐怖を上回り、気付けば公園内に誘き寄せられていた。 やっぱり。見間違いじゃない。昇の眼前でブランコは揺れ続けている。 固い唾を喉に送り、訊く。 「誰?」 ブランコと相対し、震える手をのばす。 指が今まさに鎖に届く間際、クラスメイトの噂話が甦る。 『ななし公園の右端のブランコね、おばけブランコっていうんだよ』 『え~お父さんは人食いブランコって呼んでたよ』 『なんで人食い?』 『あのね……』 掛けたら最後、神隠しに遭うんだって。 思い出した時には手遅れだった。 「あっ!」 だしぬけに引っ張られる。 あせった拍子にブチリと音がし、ランドセルに吊ったお守りが宙を飛ぶ。 一瞬の出来事。 むなしくもがく手の先、赤いお守り袋がブランコの座板を乗り越え、消えた。 開いた口が塞がらない。 慌てて後ろに回り込み、座板の裏側を覗いて地面を手探りすれども見当たらず、パニックで涙がこみ上げてくる。 人食いブランコの噂は本当だった。お守りは昇の身代わりになったのだ。              「茶倉くんいる?」 待ちに待った昼休み、購買でゲットした焼きそばパンを頬張る寸前に待ったをかけられた。 「三組の榎本じゃね?」 「バスケ部の?」 クラスの連中が囁き交わす中、榎本は恥ずかしそうにもじもじしてた。 この展開はまさか。 「俺やけど」 「いきなりごめんね。話があるの、今いいかな」 「ええで」 他クラスの女子に呼び出された茶倉を見送り、居残り組がざわめきだす。 「告白?」 「今月何人目だよ」 「モテるね~茶倉くん」 「二年に上がってから話しやすくなったもんな」 「みんなふられてんでしょ」 「好きな人いんのかなあ。烏丸、アンタ知んない?」 「俺に振んな」 「だって友達っしょ」 そのはずだ一応。 だもんで机を挟み、向かい合って昼メシを食おうとしていたのだが……。 ほんの五分前、購買にひとっ走りし焼きそばパンとコーヒー牛乳を買ってきた。茶倉の注文はコロッケロールとお茶。じゃんけんに負けた方がパシるのがルールだが、七勝十五敗じゃいばれやしねえ。 ストローさしたまんま、放置プレイかまされた緑茶の紙パックを見下ろす。 「……アイツの本命ねえ」 頭の後ろで手を組み、相方が消えた机に足をのっける。 ういが巻き起こした騒動から早いもんで数か月、俺と茶倉は無事二年に上がった。進級時のクラス替えじゃ同じ一組になり、今じゃクラスメイトとしてよろしくやってる。 変化らしい変化を挙げんなら、茶倉はずいぶん取っ付きやすくなった。 一年の時は奇行が災いし遠巻きにされてたものの、始終俺と漫才してんのが良い方向に働いたのか、現在はクラスに溶け込んでいる。 とはいえ筋金入りのドケチは変わんねえ。二年になってからは怪しい副業で小銭を稼ぎ始め、危なっかしくて目が離せねえってのが本音。 「……遅え」 壁時計を一瞥、だらけきって頬杖付く。 早く帰ってこねえとメシを食べる時間がなくなるとお節介を焼き、貧乏揺すりで気を紛らわす。 「帰ってこねーなら飲んじまうぞ」 緑茶のストローを咥える間際、斜め後ろの席の女子が野次を飛ばす。 「やば、間接キスじゃん」 「ちげーし!!」 「冗談だって、キレんなし」 全否定の勢いにやや引き気味に女子が笑い、かえって恥をかく。これも全部茶倉のせいだ、アイツが除霊に託けて色々すっからこの手の話題にすっかり敏感になっちまった。 「よっしゃ」 まだ中身が残ったコーヒー牛乳のパックを引っ掴み、教室を飛び出す。 予感的中、茶倉と榎本は校舎裏にいた。ここは我が校一の告白スポットなのだ。 褒められた行為じゃねえなと反省する一方、ダチの色恋沙汰への不純な興味が先立ち、コーヒー牛乳をずこーと吸いながら覗き見としゃれこむ。 「……こんなこと茶倉くんにしか頼めない。オーケーして、ね?」 「安売りしてへんで俺は」 「お金とるの?」 「当たり前やん」 カノジョになりたきゃ貢げ?人間性終わりすぎ。 心ん中で突っ込む俺をよそに、榎本は思い詰めた様子で唇を引き結び、訥々と吐露する。 「いくら出せば受けてくれる?」 「一万」 「そんな持ってない」 「ほな五千円にまけたる」 茶倉がパーにした手を突き付け、榎本が鸚鵡返しに呟く。 「五千……」 「不満ならよそいけ」 オイオイオイ。 さすがに黙ってられず、怒りに任せて紙パックを握り潰す。 「ストップ!」 「理一。お前盗み聞き」 「惚れた弱味に付け込んで金巻き上げようなんて見損なったぜ、ダメならダメってばっさり断れ!」 「は?」 「え?」 榎本と茶倉が閉口する。 微妙な沈黙に拍子抜けし、コーヒーの噴水をY字に上げるパックを引っ込める。 「何その反応。告白じゃねーの」 「アホ」 茶倉があきれ顔で吐き捨て、榎本がおずおず付け足す。 「厄介なトラブルに巻き込まれちゃって」 「心霊系?」 「まあね」 言葉を濁す榎本と鈍感な俺を見比べ、茶倉が手を振る。 「で、払うんか」 「わかった」 「交渉成立」 今度は俺があきれる番。 去年の夏、俺と茶倉は篠塚高校を祟る怨霊を倒すため奔走した。 月日は流れ現在。 茶倉は全国に名前の売れた拝み屋の祖母を手伝うかたわら、副業で心霊トラブルを解決している。 依頼人は篠塚高の生徒が主だが、噂をあてこんだ他校の学生や地元の人間が押しかけるケースも増えてきた。 実のところ持ち込まれる依頼の大半は心霊と無関係、思い込みや錯覚オチ。コイツがやってることはぶっちゃけ詐欺だ。 「今度は何?心霊写真鑑定?前回はコックリさんにお帰りいただく前にうっかり指離しちまった子のお祓い受けたよな」 「よお覚えとるな」 「ぱらぱら塩ふって除霊ヨシは手え抜きすぎだろ、しかも切れてたから味の素で代用」 「肩軽うなったて喜んどったで。自己暗示かかりやすいタイプやな」 世知辛え話、依頼人の大半はコイツ狙いの女子である。 茶倉が小分けに包んで配った味の素を浄めの塩と信じて持ち帰ったミーハーJKを思い返し、詐欺師が儲かる世の中の不条理に義憤を燃やす。 「あの……あなたは?」 名乗りが遅れた。親指を立て自己紹介する。 「助手の烏丸理一。よろしく」 「三組の|榎本未来《えのもとみらい》です」 「榎本さんね了解。悪いこた言わねえ、心霊写真の真贋判定なら信用できるプロ頼れ。コイツに相談した日にゃ無理矢理悪霊憑いてることにされてお祓い料がっぽりぶんどられるぜ。シミクラクラ現象て知ってる?人間の目って割といい加減でさ、点が三ツありゃ脳内で勝手に線結んで顔認証しちまうんだ。壁の突起やシミ、レンズの汚れが顔っぽく見えただけ」 「シミュラクラ現象な」 付け焼刃の素人分析を茶倉が訂正し、榎本が苦笑いする。 「今日お願いしたのは弟のこと。詳しい話は後で本人から聞いて」 放課後になるのを待ち、榎本と同じバスに乗り込んで隣町に訪れる。 「ただいま」 家の扉を開けるや、小学生の男の子が玄関先に迎えにでた。 「おかえり。後ろの人たちは?」 「うちのガッコの有名人。右が拝み屋の孫で霊能者の茶倉くん、左が助手の」 「ういす。烏丸理一っす」 「はじめまして」 先手を取って自己紹介をすます。男の子がはにかんでお辞儀する。 「弟の昇。小四」 榎本が簡潔に捕捉し階段を上がってく。 「親御さんは?」 「仕事。当分帰んない」 二階の廊下に立ち、「MIRAI」のプレートが掛かった扉を見詰める。 「女子の部屋入んの緊張する」 「童貞くさ」 足を踏んだら踏み返された。榎本がドアを開き、仲良く喧嘩する俺たちを招く。 ローテーブル前にはクッションが二個敷かれ、当然の特権の如く榎本が片っぽに座る。客に出せよ。 「ほら、さっさと話す」 「うん……」 残り一個は茶倉に奪、譲った。姉貴に催促され、昇くんがのろのろ口を開く。 遡ること数日前。 古い公園にさしかかった際ひとりでに揺れるブランコを目撃した昇くんは、不可思議な光景に好奇心を禁じ得ず近付いて、お守りを落としちまったそうだ。 「落としたんじゃないよ。勝手に切れたんだ、すぱって」 ランドセルを抱っこして紐の切れ端をさらす。証言通り、断面は刃物で斬られたみたいに鋭くなめらかだ。 これはまだ序の口。 ランドセルから切り離されたお守りは、ブランコの向こうに吸い込まれるように消えちまったというのだ。 話の終わりを見計らい、榎本にこっそり耳打ちする。 「昇くんが嘘吐いてる可能性は」 「それはない。だって」 「死んだおばあちゃんの入学祝いなんだ」 膝の上の拳を握り締める。 「それでランドセルに付けてたんだ、ずっと」 榎本きょうだいの祖母は昇くんが入学した年に亡くなっている。いわば形見なのだ。 「疑ってごめん」 「いいよ」 許してもらえて一安心。隣の茶倉は紐の断面をなで、真顔で考え込んでいる。 榎本が言いにくそうに続ける。 「その公園すごい古くて色々変な噂があるの。近所の子たちはななし公園って呼んでる」 「人食いブランコの由来は」 「座った子が神隠しに遭うから。ホントかどうか知んない、みんな気味悪がって近寄らないもん」 ローテーブルに身を乗り出し、切実に懇願する。 「無茶振りはわかってる。けどお願い、どうしても取り戻したいの」 「僕からもお願いです、お年玉全部あげます。おばあちゃんのお守り取り返してください」 思い出が詰まったお守りの値打ちは計り知れない。 俺が昇くんの立場なら、やっぱり同じ行動をとるだろうと思った。 「茶倉……」 揃って頭を下げるきょうだいに同情し、思考に沈むダチの横顔を見詰める。 「案内せい」 十分後、俺たちはななし公園にいた。噂通り、いや、噂以上に寂れている。 「全然人いねえ」 「行きに見た公園とえらい差やな」 現に小学生が素通りしてく。避けられてる節さえあった。 茶倉が窓枠の埃チェックをする鬼姑の如くジャングルジムの鉄棒をなぞり、指に付着した錆を吹く。 「問題のブランコは」 「あそこ。右端」 「見たとこ何の変哲もねえただのブランコだな」 「油断すな」 しゃがんで座板を調べる茶倉に謎の対抗心を燃やし、前と後ろ、右と左を行き来して観察する。 「なんか感じる?」 「黙っとれ」 両手で狐の頭部を作り、クロスして耳を合わせ、器用に指を開く。 「何それ」 「狐の窓。幻の正体を暴くまじない」 「どうやんの、教えて」 「邪魔すな」 「ケチ」 「技は盗んで覚えろ。俺はそうした」 ドヤ顔されんのは癪。茶倉を手本に指を捏ね回し、綾取りのように組んじゃほどき組んじゃほどき、結んで開いて菱形をこしらえる。 「どんなもんだ」 狐の窓を完成させドヤり返した瞬間、座板が弧を描いて後ろに泳ぐ。 「!危ね、」 ほっときゃ茶倉の顔面に激突する。咄嗟に体が動き、鎖を掴んで止めた。 「アホ!」 世界が裏返る。 混乱の渦中で目を瞑り、再び開け、茜色に染まった視界に戸惑った。 「夕焼け……」 目を閉じるまでは明るかった。スマホで時間を確認し、アンテナが立ってないのに当惑。 まさかと思ってメールを開きゃ案の定文字化けしてた。 「またこのパターンか」 「どうしたの烏丸くん、大丈夫?」 榎本と昇くんが心配そうに駆けてくる。 スマホを尻ポケットに突っ込み、笑顔でごまかす。 「大丈夫。そっちは?」 「なんともないけど」 茶倉は無事か?物凄い勢いで振り返りゃ本人が目の前にいた。 「人騒がせなやっちゃな」 「んだよ~ブランコとゴッツンコするとこ助けてやったんだから礼位言ってもバチあたらねーぞ」 憤慨する俺に構わず、ズボンの埃を払って宣言する。 「ぼちぼち引き上げよか」 「え、帰っちゃうの?」 「明日出直せばええ」 「それもそっか」 幽霊が暴れだすのは大概夜、日が暮れちゃ分が悪い。さっさと調査を打ち切り、公園を辞す茶倉を追いかける。榎本たちも大人しく付いてきた。 「お守りの行方わかったの」 「まあな」 「もったいぶらず教えろ。やっぱ幽霊がパクったの?てかお守りさわれんの」 「少しは自分の頭で考えんかい」 「考えてもわかんねーから専門家に聞いてんじゃん、なあ?」 榎本たちに同意を求めた矢先、猛烈な違和感が殺到した。 何か変だ。 おかしい。 ブランコのそばに立ってぐるりを見回し、思い過ごしじゃすまされねえ決定的変化に気付く。 ジャングルジムのてっぺんに誰かが座ってる。背丈からして小学校低学年の子供。 来た時はたしかに無人だった。後から増えた?俺たちの方が入口に近えから新しい奴が来りゃ気付くはず。 「んなとこ座ってたらあぶねーぞ。下りてこい」 口の横に手をあて叫ぶ。影は動かない。不審に思って歩み寄り、下段の横棒を掴む。 「シカトすんなっての」 てっぺんからか細い嗚咽が漏れる。泣き声を聞いてホッとした、あそこにいるのは無害な子供だと確信を持てたから。 「じっとしてろ。今助けに行く」 鉄棒に手をかける。足をかける。真っ赤な夕日を背負い、逆光に塗り潰された子供が振り向く。 こっちを覗き込む顔は目鼻の凹凸がなくまっ平ら、首から上には真っ黒な球が|凝《こご》ってる。 手が滑った。 「いっで!」 尻餅付いた俺の横で榎本きょうだいが抱き合い、茶倉が舌打ちする。 「まずいで」 くすくす、くすくす、くすくすくすくすくす。 不気味な笑いの出所は全方位。 ジャングルジムの上にゃのっぺらぼうが居座り、砂場一面を夥しい足跡が埋め尽くし、ずたぼろの人形が鉄棒で首を吊る。 「強行突破だ!」 腹の底から怒号を発し、猛スピードで突破口を開く。 「みんないるな。はぐれんなよ」 途中で振り返り、全員そろってるか確認する。冷静沈着に構えた茶倉と裏腹に榎本たちは泣きじゃくっていた。 「なにこれ意味わかんない」 「姉ちゃん怖いよお、うち帰りたい」 「あれこれ調べたんが裏目にでた、霊を刺激してもた」 「どうすりゃいいんだ」 「逃げるが勝ち」 ひとまず指示を信じる。目指すは榎本んち、除霊にチャンレジするか否かはふたりを送り届けたあと考えりゃいい。 「はっ、はっ、はっ」 来る時見た景色と微妙に異なる。坂じゃない場所が急傾斜して坂と化し、一本道が分かれる。 ふと道端の標識に目が行く。 手を繋いで歩く男の子と女の子の絵が、パラパラ漫画じみためまぐるしさで方向転換していた。 右。左。右。左。右右左上右右左下左左右右左上上下下右右左。 でたらめなコマンド入力。早送りの紙芝居。 加速に次ぐ加速が残像を生み、アニメーションが動く。 「嘘だろ」 少年少女の首がもげ、遠心力で投げ飛ばされる。 標識の平面から生み落とされ、てんてんとはねる頭部を轢き潰し、ベルの音も涼やかに去ってくママチャリ。 自転車をこぐ主婦の首から上はどす黒い渦を巻き、後部シートの幼児の顔面にゃ穴が穿たれ、グロい血管が脈動する反対の塀が丸見え。 犬のリードを持って散歩させる爺さん。買い物帰りの主婦。外回り中のサラリーマン。 顔がない。 歪んでる。 溶けてる。 それは擬態に失敗した化け物、進化過程を間違えた異形の群れ。 鉄球、金魚鉢、三角コーン。 首から上を無機質な人工物にすげ替えられた人もどきが、アスファルトに投じた影を捏ねるみてえに伸び縮みさせ、永遠に暮れなずむ町を行進する。 「うわあああああああ!」 肩を叩かれた。 「大丈夫?」 「榎本……でけえ声出してごめん」 心底安堵して息を吐き、曲がり角のカーブミラーが暴いた真実に慄く。 真後ろに張り付いた榎本きょうだいの輪郭がぶれ、寸尺の狂った顔がぐんにゃり歪む。 「………ッ……」 肩を掴む手に圧が加わる。ミラーに映る顔が渦巻く。これ以上見たらやばいと直感し目を瞑る。 「行くで」 暗闇にいる俺を力強く引っ張り、茶倉が走りだす。 目に映る光景、耳に入る音に惑わされず走り抜け、どうにかこうにか公園まで引き返す。 「どうなっちまったんだよ、この世界」 家族や友達は無事なのか。 俺たちが余計なことしたせいで悪霊があふれたのか。 絶望と後悔に打ちのめされてよろめき、ブランコの柵に凭れる。 化け物だらけの町で迷子になるよか、スタート地点で待ちぼうけたほうがまだマシだ。 「大丈夫。俺がおる」 「優しいじゃん」 目をこすって腰を上げ、地べたに落ちたお守りを見付ける。 昇くんが無事なら素直に喜べたのに。 表面の汚れを払い、丁寧にしまいこむ。 「ん」 茶倉が自信に満ちた笑顔で手をのばす。 身を起こす寸前、右端のブランコに異変が起きた。 「来い」 鎖と支柱に囲われた空間が歪み、開闢し、白シャツに包まれた片腕が突き出す。 手首には黒い数珠。響くのは懐かしい声。 「だまされんな、本物は俺や」 「はよ来い」 どっちを信じりゃいい? 寸分違わず同じ声にかわるがわる急かされ、右端のブランコまで下がる。 「耳貸すな理一!」 「俺がホンモンや!」 幻を見破る切り札があった。 数珠が帯びた熱と指の疼きが脳に閃きを伝え、最速で狐の窓を組む。 窓越しに見通すブランコにゃ茶倉と榎本と昇くんが群がり、それぞれの肩越しに寂れた公園の風景が開けていた。 茶倉の右手に首ねっこを掴まれ、ぐったり突っ伏してんのは…… 「もうすこしだったのに」 致死量の悪意を孕む舌打ち。 死角から放たれた攻撃を間一髪屈んで躱し、本物の腕を掴んで座板を跨ぐ。 「茶倉!!」 スニーカーの靴裏が地面を叩く。 トンネルを抜けた錯覚と共に世界が表返り、昼下がりの空が眩しい日常に回帰する。 「は、はは」 「はよどけ」 巻き添えで押し倒された茶倉がぼやき、榎本きょうだいが手を取り合って喜ぶ。 「急に崩れ落ちてびっくりした~」 「金縛りにあった人はじめて見た」 俺は鎖を掴んだまんま、三十秒ほど気絶してたそうだ。 「体感じゃ一時間経ってたぜ」 「時間の流れちゃうんやろ。浦島太郎にならんでよかったな」 「玉手箱なくてがっかりした?」 「煙しかでんハリボテいらんわ」 茶倉が雑にまとめる。 「早い話が幽体離脱。魂がふら~っとぬけて向こうに行ってもた」 「向こうって……」 「あの世とこの世のはざま。異次元。裏面。好きに呼べ」 人さし指を立て、公園を斜めに区切る線を引く。 「あっちからこっちに霊道通っとんねん。右端のブランコはもろかぶりで特にやばい」 「霊道て?」 「呼んで字の如く霊が通る道。浮遊霊や動物霊、不浄霊の吹き溜まりていわれとる。霊が成仏するために通る道て説もある」 両手の指で綺麗な菱形を作る。 「察するにブランコの枠が扉の役目はたしたんやろ。五芒星しかり籠目模様しかり、結界や封印に用いる図形は外郭繋がっとんのが条件。一筆書きはまじない、囲むんは区切ること、転じて彼岸と此岸を分け隔てること」 「神隠しの噂は……」 「ホンマかもな」 霊道の延長線上にブランコがあり、その枠組みが異界の扉の役目をはたしちまったら。 俺をおちょくったジャングルジムのぬしは、神隠しに遭った子供のなれのはて? 「生還おめでとさん。悪運強いな」 「狐の窓のおかげ」 「所詮まねごとの世界、完璧に複製するんは難しい。劣化コピーに成り下がるんがオチや」 死者は生者に執着し仲間を求める。 公園の裏面をさまよってたのは人に化けそこねた亡者の群れ、生前の日常をトレースする幽体の残り滓。 「思い出した」 ポケットをまさぐりお守りを取り出しゃ昇くんの顔が輝く。 「おばあちゃんのお守りだ!」 「本当に見付けてくれたんだ、ありがと」 「どういたしまして」 幽体の状態で回収できたのは奇跡だが……いや、幽体だから異界に取り込まれた物質に干渉できたのか? 榎本たちの感謝もどこ吹く風と受け流し、ブランコの鎖を絡めて巻き上げる茶倉。 「公園ごと潰してまうんが最善策やねんけど、行政の管轄さかい税金もってかれるんが痛い」 金輪際誰も座んねえように鎖を雑巾絞りしたダチの肩を叩き、榎本から預かった紙幣を渡す。 表情が消えた。 「千円?」 「うん」 「残りは」 「まけた」 膝裏に見事なローキック。痛え。 「勝手に値引くなボケカス千円なんぞ往復の足代で消し飛ぶわ!」 「五千円はボリすぎだろ高校生にゃ大金だぞ!」 「今から追っかけて不足分巻き上げてこい、それでチャラにしたる」 「人の心ねえのか!」 コイツにゃ何言っても無駄だ。両手を挙げて降参する。 「明日の昼メシおごる」 「だけ?」 「~デザートにヨーグルト!」 「フルーツサンド」 漸くご機嫌を直し、身を翻す茶倉に小走りに追い付く。 「あのお守りさ、やっぱ身代わりになったのかな?」 「なんでそうおもうんや」 「中の板割れてたから」 「見たんか」 「さわった感触でわかっちまったんだよ」 向こうの住人が昇くんを連れて行こうとしたのを察し、ばあちゃんの形見のお守りが身代わりになったんなら、ちょっといい話かもしんねえ。 「俺があっち行ったのって」 「鎖を掴んだ瞬間」 「すっかりだまされた」 「いきなり石んなるさかいびびった」 「戻してくれてサンキュ」 「パシリがおらな不便やし」 「待て」 飄々と歩く茶倉の背後、指を組んで狐の窓を作り、目の位置に移しかけて静かに下ろす。 そんなことしなくても、コイツは俺の友達だ。 たぶんずっと友達だ。 「お前は未来永劫パシリやけど」 冷たく放たれた一言にぎくりとし、行く手に回り込んで通せんぼする。 「わかんねーぞ、あさってはじゃんけん圧勝かもしんねーじゃん」 「グーの後に必ずチョキだす癖直せ」 「な」 「気付いてへんかったんか」 「知ってて知らんぷりかよ!」 「敵に塩送るほど優しゅうないで」 茶倉がリズミカルにグーチョキを連発し、悪霊より余っ程あくどい笑顔を浮かべる。 「パチンコと同じで時々わざと負けたるんが射幸心煽るコツ。勉強なったな」 やっぱり絶交だ。

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