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第56話 転調

時刻は夕方。 本谷(もとや)(めぐむ)は、繁華街に近いオフィスの事務所で、ある人物と面会をすることになっていた。 「――はじめまして。社会福祉法人・子どもセンター事務局の(みなみ)と申します。本日は宜しくお願いいたします」 本谷達と同年代くらいの若い男性職員が、ハキハキと告げた。 「事前にメールでご相談いただいた内容をもとに、我々でも独自に調査いたしました。やはり一刻も早くアプローチが必要ですね。早速お話し進めていきましょう」 「よ、宜しくお願いします!」 琥珀について、これまで本谷が頼ろうとした機関は、公的な施設から民間の企業まで多数あった。 ただし、毎回「(せん)グループ」の名前を出すと、何故か途端に話が進まなくなったのだ。 「柚木(ゆずき)という人物は正直かなり厄介ですね。行政にも通じているばかりか、法律の穴をかいくぐって自分達のビジネスを合法化する手腕がありますから」 「はい……」 「おまけに国内外問わず、国の上層部との個人的な繋がりも強いようで」 ヤクザである以上、そのビジネスがグレーであることを警察はもちろん承知していた。 けれど何かあれば、グループ専属の弁護士を立ててその正当性を主張してくるらしい。 「あまり良い話ではないですが、千グループの寄付金と称した多額の裏金や出資に助けられている公的機関も多いですからね。表向きは、優良企業の位置付けです」 「……」 その言葉を聞き、2人は複雑な表情を浮かべるしかなかった。 「それでも!困っている少年を見逃せません。助け出しましょう、琥珀君を」 「南さん……」 本谷は縋るような気持ちで南を見つめた。 唯一この男性だけが、その後の対応に乗り出してくれた人物だったからだ。 南の明るく前向きな声色に、本谷の表情が少しずつ(やわ)らいでいく。 「でさ、子どもセンターって一体なんなの?児童相談所とは違うの?」 恵が純粋な疑問を抱き、南はにこりと笑った。 「我々の仕事は、虐待や養育放棄などで居場所を失った子どもたちを避難させ、身の安全を確保することです。具体的に言うと、子どもシェルターの運営となります」 「子ども……シェルター?保護施設か?もとやんが調べたのって、それのこと?」 「はい……!」 聞き慣れない言葉に首を傾げる恵を見て、南が丁寧にフォローした。 「児童相談所では、児童福祉法と児童虐待防止法により、保護対象が18歳未満の子どもに限られます。ですが、子どもシェルターの場合は18歳・19歳でも申し込みが可能です」 「え、じゃあ琥珀ちゃんの年齢でも入れるの?」 「はい!性的虐待や心理的虐待などを受けているのは、実際のところ18歳や19歳の子どもも多いんです。我々の施設では、主に10代後半の青少年全般を支援しています」 「へえ〜!」 感嘆する恵の隣で、本谷の腹は決まっていた。 「私の前では気丈に振る舞っているけれど、琥珀はもう限界なんです。今後安全に暮らせるように……なんとか……ッ」 絞り出した言葉が震えていく。 「子どもたちがシェルターに滞在できるのは最大2ヶ月です。その間に福祉・医療はもちろん、教育等のケアを受けることができます。琥珀君の役に立てると思います」 「……!それはありがたいです。ただ、まずは琥珀をどうやって連れ出せば良いのか。あの子は家族を心配して自分からは逃げ出せないんです。父親は精神的に難ありで、母親は入院中ですし……」 不安な表情を浮かべる本谷を、南は力強く説得する。 「我々は、必要であればすぐに行政と連携を取ることができます。ただし、シェルターへ入るには本人の申し出と、弁護士2人の確認が必要です。弁護士は直ぐに手配可能なので、琥珀君さえ望めば、あとの心配は何も要らないんです!」 「もう一度、琥珀に会えれば……そしたら……、」 「もとやん?」 「琥珀……、私について来てくれますかね?」 それは、本谷が初めて人前で流した涙だった。 「大丈夫ですよ。我々は何があっても必ず最後までお立ち合いいたします」 「すいません……ッ、こんな、今……私が泣き事言ってる場合じゃないのに……」 「本谷さん。これまで、沢山沢山悩まれたんですね」 「……ッ!ううぅ……」 どうにもならない日々を、どうにか生きた。 本谷にとって自分の不幸よりも何よりも、琥珀が辛いことが1番悲しい。 そう思って積み上げてきた想いが溢れる。 「あきらめたくない、琥珀を……幸せな顔が、早く見たいんです。でも、私は無力で……何の力にも……なれなかった……ッ」 長い指で顔を覆った本谷が、悔しそうに自分を責めた。 「個人が組織に立ち向かうのに無理が生じるのは当たり前です。でも、あなたは一人じゃない。そして彼も、一人にしてはいけない」 「そうだよもとやん!俺も味方だぜ?南さんもこう言ってくれてるんだ、あと少し頑張ろうぜ!琥珀ちゃんと一緒に生きていきたいんだろ?!」 2人の言葉が、長く一人で葛藤を続けてきた本谷の心を(すく)い上げる。 感謝と決意を噛み締めるように、コクリと深く頷いた。 「その想いがあれば、きっと彼は外の世界を望むはずです。頑張りましょう」 「……あの、」 「?」 「南さんは、どうしてそんなに親身になって下さるんですか?仕事だからとはいえ、複雑な事案だし……警察も、役所も……その他も……結果的には動こうともしてくれなかったのに……」 涙を拭きながら、本谷が静かに問いかけた。 「たしかに仕事といえばそうなんですけど、信念……ですかね。私は人として困っている人を助けたいし、その人を助けたいと願う誰かを守りたいんです」 「すげぇな南さん。良かったな、もとやん!こんないい人、滅多に巡り会えないぞ!」 「あはは、ありがとうございます。私は本谷さんに相談されて思いましたよ?あなたにも信念がある。是非、力になりたいって」 その言葉を聞いて、本谷は目を見開いた。 「……!そうだ、そうです。弱気になってる場合じゃなかった。絶対あきらめない。ありがとうございます!!」 南に向けられる笑顔。 本谷は再び熱を取り戻した。 「――お〜い本谷!初日宜しくな!」 「はい!古河(ふるかわ)リーダー」 郊外にある美術館で新たな展示の搬入作業が終わり、本谷は開館時間を待った。 これから3ヶ月ほど、自社で運営する現代アートを中心とした企画展が始まる。 「本谷君、久しぶりね」 聞き慣れた女性の声で振り返った。 「西園寺(さいおんじ)先生!今朝は展示の最終チェックありがとうございます」 「もうすぐオープンね、楽しみだわ」 恵の祖母である西園寺先生とは、会社を通じて定期的な交流が続いていた。 「そういえばね、前に写真展で訊いてくれたあなたの疑問、写真家に回答が得られたのよ」 「え……?」 「ほら、あのオレンジのタイガーリリーの花の写真」 『この花に惹かれる心理がもしあるとしたら、それは一体どんなものでしょうか』 確かに、琥珀が唯一足を止めた花の写真に興味があって先生に質問した。 「わ、わざわざ確認してくださったんですか?!」 「ええ。若者の知的好奇心には正しく回答するのが私の義務ですもの」 先生は瞳を閉じて答えた。 「その写真家がね、メキシコへ訪れた際の1枚だそうよ。群生しないタイガーリリーが、孤高にも自分をアピールるする強い姿に感銘を受けて撮影したんですって」 「強い……姿……」 「タイガーリリーは別名が色々あって、オニユリやチグリジアとも呼ばれるわ。一般的な花言葉は、『華麗』、『私を愛して』」 「……はい」 「でもそれ以外の花言葉が、別にあるのよ」 「え……?」 静かに笑った先生が、本谷に言い聞かせた。 「『誇らしく思う』よ」 「……誇らしく、思う……?」 「あの写真は、自分をアピールするただの嘆きの一枚じゃない。内側から溢れる強さの美をとらえた一枚だったのね」 「――!!」 「花も人も同じね。誇り高いものは真っ直ぐで、強くて純粋で……。時に脆いのだけれど、目一杯輝いて美しい。命を燃やす姿はとても儚くて、尊いから美しいのかしらね」 優しい言葉を聞きながら、本谷にははっきりと琥珀の顔が浮かんでいた。 「……ありがとうございます!今のお話、聞かせたい人がいるんです。きっと伝えます!」 「あらあら嬉しそう。お役に立てて良かったわ。ホホホ。さぁ、開館よ」 「はい……!!」 「――ねぇー!樫原(カシハラ)さぁーん?ホントにここなんすかー?てか、オレたち明らか場違いじゃないっすかー」 「目立つんだから静かにしろよミヤビ!間違いねぇ。あれから探し回ったからな。あの兄ちゃんが絶対居るはずだ!」 「ハァァ、よく分かんないんすけど――

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