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第1話
3月に入り、初めての仕事が形になり始めると、煜瑾 が緊張しているのが隣にいる文維 にはよく分かった。
煜瑾が静安寺 地区の嘉里公寓 へと生活の基盤を据えたばかりの頃は、文維も自身のクリニックに近い、そのレジデンスに泊ることが当たり前のようになっていた。しかし、煜瑾の仕事が決まり、忙しくなると、煜瑾を集中させるために、夕食後には自分のアパートに帰ることも増えた文維である。
そして、週末の今日はクリニックから真っ直ぐ煜瑾の待つレジデンスに戻ると、文維の最愛のカワイイ恋人は久しぶりに明るい笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさい、文維」
この天使の微笑みだけで、文維はどんなに疲れていても癒されると思う。
「どうしました?今日はなんだか嬉しそうですね」
「はい!」
自分のちょっとした変化にも気付いてくれる聡明な恋人が、煜瑾には愛しい。
「今日でほとんど店舗の内装も終わって、あとは商品の搬入だけとなりました。私のお仕事は終わったのです。あとは前日のプレオープンと当日のオープニングセレモニーに顔を出すだけです」
肩の荷が下りて、煜瑾もやっとホッとしたようだ。
「おめでとう。じゃあ、今夜は2人でお祝いをしましょう」
「そんな…、まだ、早いです…」
照れて視線を逸らすが、それでも煜瑾が満足そうにしているのが文維には分かる。
「明日は私もお休みです。今から外で食事をしましょう」
「はい」
素直で明るい笑顔で煜瑾が言うと、文維は手を伸ばした。その手を掴み、煜瑾は文維に引き寄せられる。
「今夜は、私のアパートに来ませんか?」
耳元で文維に誘惑され、抗うことを知らない煜瑾だ。
「じゃあ、お着替えを持って行ってもいいですか?」
わざわざ訊く煜瑾を、文維は不思議に思った。
「いいですけれど…」
「これから、いつでも文維のところに泊まれるように、数日分のお着替えを文維のお部屋に置いてもいいですか?」
文維は煜瑾の意図を理解してハッとした。
そして一瞬で破顔し、煜瑾の、様子を窺うような瞳を覗き込む。
アメリカ留学時代、友人たちがよく言っていたことを文維は思い出した。自分の家の引き出しを1つ、恋人のために空けるということは、同棲を前提とした「本気」の関係だ、と。同棲はともかく、煜瑾は文維の恋人として自覚を深めたという、これは表れではないかと思う。
「もちろん、良いに決まっていますよ」
「そう言ってくれると思いました」
煜瑾もまた嬉しそうに文維に抱き付いて、そのままキスをねだる。
煜瑾の求めに文維も応え、2人は甘い口づけを堪能した。
それから簡単な荷造りをして、煜瑾は出かける支度を済ませ、2人は仲良く手を繋いで夕食に向かった。
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