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ー 盛夏の候 ①

夏の盛りになり、陽射しが容赦なく照りつけるようになった頃、領主の屋敷はにわかに騒がしかった。 今日は王都から客人がやってくる。 領主家にとっては賓客(ひんきゃく)で、いつも柔和な執事のグレンも迎えの準備で朝から殺気立っていた。 やって来るのはユリウス=エル=ノルマンテ。 王家に次ぐ権力を持つノルマンテ大公家の嫡男であり、イリアスの実兄だ。 話が出たのは三週間前の夕食時だった。 野菜の煮込みスープを飲んでいた伯爵がスプーンを片手に言った。 「ユリウス=ノルマンテ様が当家に滞在したいといってきた」   海人は食事をしていた手を止めた。 イリアスは誕生席に座っている伯爵に顔を向ける。 「兄上が? いつですか」 「都合がつけばすぐにでもとのことだ。おまえと話ができればいいので、気遣いなどは無用とあったが……」   伯爵は目を(すが)めた。 「リンデの守りに関することとあったぞ?」   鋭い目をイリアスに向ける。 リンデの街を含むサウスリー領を治める者には看過できないのだろう。海人は二人の顔を交互に見た。   イリアスは表情を変えなかったが、戸惑ったようだ。 「防御魔法のことで相談の手紙は出しました。守りといえばそうですが、結界の生成について尋ねただけです。手紙の返事を待ってはいましたが……」   イリアスも予想外といわんばかりである。伯爵は「ふむ」とうなずいた。 「魔法のことか。ならばよい。私にはわからんからな」   伯爵に魔力はない。海人もそうだが、この屋敷にいる者たちで魔力を持っているのはイリアスだけだ。 「まったく、兄君様も仰々しい書き方をなさる。何事かと思ったぞ」   伯爵は安堵したように言った。パンを千切り、口に入れる。 現代日本とは違い、電話などない世界だ。伝達は口頭か書面。ユリウスは伯爵に手紙を送ったようだ。 イリアスは膝に手を置いたまま訊いた。 「いつ迎える予定ですか」 伯爵はじっくりとパンを咀嚼(そしゃく)してから言った。 「おまえが相談するくらいだ。今はリンデの守りに問題はなくとも、気にかかることがあるのだろう?」   イリアスは一呼吸置いた。 「……ええ。私は結界を作るのを苦手としております。これまでは兄上の見様見真似で作っていましたが、カイトを守るには心もとない。手紙で構わないので、兄上に指南を受けたいと書きました」   伯爵はイリアスを一瞥(いちべつ)し、海人に目をやった。どきりとする。 この方は笑うと穏和で人好きのする顔なのだが、ひとたび笑顔を消すと途端に鋭い目をする。ルテアニア王国の四つの州のうちの一つを任されるくらいだ。甘い人であるわけがない。   海人が目を逸らせずにいると、伯爵は軽く笑った。 「そう固くなるな。そろそろ私にも慣れてくれんかな」 「あ……す、すみません」 海人はナイフとフォークを置いて、慌てて謝った。 イリアスや屋敷の人たちと同じように気軽に話したいと思ってはいるが、どうにもこの方の目が怖いのだ。理屈ではない。海人が恐縮すると伯爵は視線を外した。 「話は()れたが、カイトを守るということはリンデを守るということだ。兄君様には早々にお越しいただこう。あちらはすぐにでもということだから、二、三週間後になるか」 伯爵の言葉にイリアスが確認するように言った。 「その頃は夜に予定が入っていたと思いますが」 「ああ、そうだったな。まあ、気遣い無用とあったし、夜会は予定通り出席だ。こちらも約束を反故にはしたくないからな」   イリアスはそれを聞くと、再び食事に手を付けた。それが三週間前のことだった。 昼を過ぎた頃、屋敷に先触れがあり、まもなくユリウスが着くという。屋敷の外には使用人が出迎えのため、一同に並んでいた。 「カイト。兄上の気配を感じたら教えてくれるか」 海人がうなずいて四半刻。あ、と声を上げると、イリアスが近くにいた給仕係のマーシャに伯爵を呼びに行くように指示をした。 海人の胸の奥でユリウスの気配がする。 海人とユリウスはなぜかお互いを感じ取れる不思議な関係だった。 遠く淡く感じた感覚がしだいに近く濃くなっていく。 伯爵が玄関から出てきてまもなく、馬に乗った騎士を先頭に一台の馬車が敷地に入って来た。 海人が食い入るように見ていると、屋敷の前で馬車が止まる。 馭者(ぎょしゃ)が馬車の扉を開けると、真白のシャツを着た金髪のユリウスが出てきた。 洗練された立ち姿は誰の目も惹くかっこよさだ。 屋敷の者たちも、ノルマンテ大公の嫡男に息を飲んだのがわかった。 動じなかったのは面識のある伯爵とイリアスくらいだろう。伯爵はユリウスを出迎え、(うやうや)しく腰を折った。 「ようこそお越しくださいました」 「出迎えは不要と言ったが」 「私にも面子(めんつ)というものがございます」   伯爵は顔を上げてにやりと笑うと、ユリウスは苦笑した。 ユリウスは三十代前半。伯爵は我が子くらい年の離れた男に敬意を表した。 「世話になる」   ユリウスが伯爵との挨拶を終えると、「兄上」とイリアスが声をかけた。 「ああ、イリアス。わざわざすまんな」 「いえ、まさかお越し下さるとは。申し訳ありません」 「なんの。こういうことでもない限り、王都から離れられんからな。よい息抜きだ」   金髪の美形兄弟が並んでいる迫力はすごい。海人がうっとり二人を眺めていると、ユリウスがちらりと海人を見た。 はにかんで軽く頭を下げると、ユリウスは小さくうなずいた。その目はそのまま伯爵に向かった。 「さて、せっかく出迎えてもらったが、今回はイリアスの兄として遊びに来たようなものだ。ノルマンテ大公へのお願いごとは聞かんぞ」   伯爵は声を立てて笑った。 「では、私は弟君の養父として接しましょう。多少の無礼はお許し願えますか」 「気遣いは無用と言っているだろう」 二人は旧知の仲のように笑い合いながら屋敷に入った。 イリアスと海人も続く。その後ろで、皆がホッと肩の力を抜いていた。 階級社会がいまいちわかっていない海人は、屋敷の人たちにとってユリウスはとても緊張する高貴な人なのだと、改めて認識した。

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