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ー 盛夏の候 ③

ユリウス滞在二日目の翌朝、海人が窓の外を見るとイリアスが庭にいた。 朝は大概、剣を振っているが、今日は違った。 何も持っていない代わりに指先を合わせていた。魔法を使っているようだった。   朝食を食べに食事の間に行くと、マーシャが配膳の準備をしているくらいで、誰もいなかった。海人はイリアスが座る椅子の隣に座った。 客人がいる間はここだと言われた。しばらくすると、執事のグレンと共にユリウスがやってきた。朝の挨拶を交わし、いつも海人が座っている席に着いた。その顔色が悪い気がする。 「ユリウスさん、疲れてますか?」   海人が心配して声を掛けると、ユリウスは口端を上げて大丈夫だと言った。 「早朝からイリアスが結界作りの練習をしていてな。霊脈が揺れるのが気になるだけだ」   昨日は平気のように見えたが、やはり疲れていたようだ。寝不足も加わったのかもしれない。 「視えるのも大変なんですね」   海人が言ったところで、イリアスが入ってきた。 「兄上、申し訳ありません。気になりましたか」   イリアスが椅子を引きながら言う。 「かまわん。私がいる間に形にはしろよ」 「はい。そのつもりで練習しています」   二人がまた魔法談義に入ってしまったので、海人は蚊帳の外だった。その間、ユリウスを見ていた。イリアスと違って表情があるので、面白い。兄弟でもこんなに違うのかと思っていると、伯爵が来たので、朝食が運ばれてきた。 「ノルマンテ様。本日はどのようにお過ごしになられますか」   伯爵が訊いた。 「せっかくだから、リンデの街を見て回りたいのだが……領主殿のお手を煩わすわけにはいかんし、イリアスは結界の練習が優先。となれば」   ユリウスは伯爵、イリアスと目を移し、海人を見る。 「カイトに頼もうか」   にこりと笑う。  急にお鉢が回ってきて、海人は内心慌てた。 「あ、はい。俺でよければ……」 「ああ、よろしくな」   ふと緩めた優しい瞳にどきりとした。イリアスと同じ微笑み方だったからだ。動揺したのがバレないように、蒸したキノコを食べた。どこを案内しようか考えを巡らせる。 「もうひとつ、お伝えしたいことが」   伯爵が言った。 「今夜は私もイリアスもそれぞれ先約があり、そちらに参りたいのですが」 「無理を言ってきたのはこちらだ。気にせず出掛けてくれ」   客人を置いて出かけるなど無礼千万だが、ユリウスは機嫌を損ねることもなく流した。 伯爵は丁重に礼を言う。 その後、朝食は和やかに続き、海人はユリウスと共に街に出て、リンデの街を案内をした。 といっても、案内できるほど詳しくもなく、商店が並ぶ街通りを歩き、イリアスが連れて行ってくれた教会や噴水のある広場を見て回った。 昼食はグレンがサンドイッチを持たせてくれたので、公園で食べた。なんかデートみたいだなとぼんやり思いつつ、充分に歩いたので、屋敷に帰ることにした。   庭で結界の練習をしているイリアスに顔を見せ、帰宅したことを知らせる。イリアスは汗をかいていた。ユリウスはしばし、その練習風景を見た後、敷地内を歩きたいと言い出した。   王宮ほどではないが、領主家の庭も広い。朝は顔色が悪かったし、疲れていないのか気になった。 「部屋で休まなくて大丈夫ですか?」   海人が訊くと、ユリウスは苦笑いした。 「屋敷の中だと、霊脈が揺れるのが気になってな。少し離れたところで休みたい」   そういうことなら、と海人は庭外れにあるお気に入りの場所にユリウスを連れて行った。 そこは緑が生い茂る一本の大きな樹があり、木陰になっている。夏でも涼しいので、海人はたまにここで本を読んだり、昼寝したりしていた。   ユリウスは木にもたれて座り、片足を伸ばした。ここなら休めそうだ。 「あの、ゆっくりしてください。おれは屋敷に戻ってるんで……」   海人が去ろうとすると、隣に座るように言われる。戸惑いがちに腰を下ろすと、ユリウスは静かに言った。 「なにか悩みがあるようだが」 「?」   海人はなんのことかな、と思った。 「ディーテに手紙を書いただろう?」   その一言に一気に顔が熱くなった。思い当たる節があった。 「読んだんですか⁉」   思わず声が大きくなる。ユリウスは小さく笑った。 「君たちの国の文字は読めんよ。ディーテから海人の悩みを訊いてこいと言われた」   ディーテとは王宮にいるもうひとりの異世界人、佐井賀翔のことだ。十六年前に海人と同じように日本からこの世界に跳ばされ、以来王宮で暮らしている。 この世界の人間に本名を明かさず『アフロディーテ』と名乗っていたため、彼と親しい者は佐井賀のことをディーテと呼んでいる。海人が唯一、日本語で文通できる相手だ。   ユリウスが横目で見てくる。 「あ、あの、他に人がいるし……」   海人は近衛兵をちらりと見た。街を散歩しているときも、今もだが、近くにユリウスの護衛がいる。邪魔をしないように距離をとってくれてはいるが、会話は届いてしまう。 すると、ユリウスは護衛に離れるように言った。一礼をして屋敷の方に去って行く。 海人は赤い顔で両膝に額をくっつけた。  人払いされたとはいえ、言えない。   あなたの弟が最後までセックスしてくれません、なんて言えるわけがない!   佐井賀に手紙を書いたのは一か月以上前のことだ。情事の意思表示をしたにも関わらず、相手にしてもらえなかった。 悲しかったが、次第に不満になっていき、誰かに聞いてもらいたかった。直接的なことは書いていない。ただ、竜の瞳はまだ見れておらず、本人もその気はないみたいです、というくらいで留めた。 こんなことを言える相手は佐井賀くらいだ。だが、勢いで書いて出してしまい、後で後悔した。なぜなら、イリアスに強引に抱いてもらえるほどの色気と魅力がないといっているようなものだったからだ。   海人がうずくまったままでいると「大方(おおかた)、察しはつくが」と言われ、察しないでほしいと胸中突っ込む。 「弟に女の影があるわけではないのだろう?」 それは感じたことはない。海人は顔を埋めたまま、うなずいた。 「それなら待ってやってくれ。あいつも思うところがあるのだろう」   それきりユリウスは黙ってしまった。彼はどこまで佐井賀から話を聞いているのだろうか。   海人がそっと顔を上げると、目を閉じていた。眠ってしまったようだ。海人は体を横にして寝転んだ。   ユリウスのそばにいると安心する。王宮にいたときは、彼がそばにいると落ち着かなかったが、いい人だと思ってから、途端、居心地が良くなった。 イリアスの隣にいるときも安心するが、好きという気持ちが先行してしまい、一挙一動に見惚れたり、胸が高鳴ったりする。触れてほしくなる。   (ひるがえ)って、ユリウスにそんな衝動は起きない。十年後のイリアスだと思うとドキドキするが、それ以外の感情はない。兄というのはこんな感じなのだろうか。   近くにいても苦にならず、自然な存在で頼りになる。弟の相談に駆け付けてくれ、周りへの気配りもする。海人はひとりっ子だったので、ユリウスのような兄はまさに理想だった。   イリアスに似たその横顔を見ながら、海人も目を(つむ)った。  ***  遠くで話し声が聞こえた。海人は覚醒する前のぼんやりした頭で会話を耳にしていた。 「……妬くなよ」  ユリウスの声だ。 「……カイトのそばは心地よいですか」   これはイリアスの声だ。近くにいるみたいだが、低い声音が気になった。 「妬くなと言っているだろう。おまえもディーテとよく一緒にいただろうが」   瞬間、頭がはっきりした。眠っていたようだ。完全に目が覚めたが、目は開けずに寝たふりをした。 「気づくといつも二人でいるのが気に喰わんかったが、やっとわかった。確かに居心地がいい。恋慕などなくてもな」   どきりとした。ユリウスのそばが心地いいのは、兄のようだからではないのか。   イリアスは何も言わなかった。佐井賀と共に過ごした日々は海人よりも長い。この感覚を佐井賀と共有していたのかと思ったら、胸が(うず)いた。 「我らは神の意志に背いているんだろうな」 ユリウスは厳かな声で言った。 「本来なら、ディーテの相手はおまえで、私の相手はこの子だ」   海人は目を開けられなかった。ユリウスは続けた。 「だが、私たちは神の思惑とは別の相手を選んだ。我々の心は自由だ。ゆえに不安もあろうから、よくよく話をしろ。おまえは言葉が少なすぎる」   ぽんと肩を叩かれ、驚いて目を開けた。起きるタイミングをくれたかのようだった。   地べたで寝こけていたので、体がガチガチに固まっている。起き上がろうとして、ハッとした。地に着いていたユリウスの指を握っていたからだ。 「すみません……!」   慌てて手を離した。海人に意識はなかった。寝ている間に無造作に握ったようだ。子供みたいなことをしていて、恥ずかしくなった。誤魔化したくて、イリアスに話しかける。 「もう練習はいいの?」 「……ああ。これから出かける」   立ち上がり、イリアスのそばによる。屋敷に向かって歩き出したので、海人もそのあとを付いていった。

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