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第26話(番外編)
ある日の午後、東水春はとあるレコーディングスタジオに来ていた。
デビューして一年、その記念に同じ事務所の先輩とコラボしよう、と言い出したのは、水春のプロデューサーであり恋人の、鳥羽晶だ。
大抵は別で録音し、編集するレコーディングだが、それだと真洋の良さが活かせないと言うことで、真洋、晶、水春の三人ともスタジオにいる。
「ま、説明するよりやってみた方が早いな。水春、真洋、いけるか?」
ブースの外から晶の声が、ヘッドホンを通して聞こえてくる。
「おっけー」
「はい、大丈夫です」
水春は真洋をちらりと見た。
いつか晶が、真洋のセンスと技術は別格だと言っていた。仕事を見学した事もあったけれど、確かに上手いと思う。けれど、晶がそこまで言う理由が分からなかった。
今回の曲は晶と水春の合同作で、水春のアコースティックギターで、真洋と弾き語りするのだ。
(真洋さんも、曲は気に入ってくれたみたいだし)
今日のレコーディング、楽しみにしてるとメールを貰ったのは昨日だ。真洋とは、色々相談しているうちに仲良くなって、プライベートな会話もするようになっている。
「よし、じゃあ好きなタイミングで始めてくれ」
晶の合図があって、水春は真洋を見る。真洋も頷いたので、カウントを入れて前奏を弾き始めた。
「ちょっとストップ」
真洋が手を挙げてそれを止める。
「水春、チューニングした? 五弦だけ下がってる」
「え? もちろんしましたけど……確認しますね」
真洋に指摘されて、水春はチューナーで確認する。すると真洋の言う通り、第五弦だけ何かしらの理由で下がっていたのだ。しかも、素人の耳では、多分分からないんじゃないかと言うほどのズレだった。
「それ、結構年季もののギターだな」
真洋が楽しそうに聞いてくる。水春はこの一瞬で、真洋がピタリと音程のズレを言い当てた事に鳥肌が立った。
「ああ、お母さんに買って貰ったギターなんです。三人のコラボなら、これがピッタリだと思って」
水春がそう言うと、真洋はうんうん、と人好きな笑顔で頷いた。
「水春、もう良いか?」
晶の声がする。こころなしか声色に棘がある気がするけど、気にしている場合じゃない。
「あ、はい。直しました」
「じゃ、気を取り直して。まだテストだから気楽にいけよ」
「はいはいー」
真洋がふざけた様子で返事をした。
水春は再び前奏を弾き始める。今回の曲はバラードで、二人の良さを出すにはこれが良い、と晶は言っていた。
(ただ、サビのキーが高いんだけど)
真洋に合わせると言って、キーを上げたのは晶だ。それぞれ主旋律を交互に歌い、主旋律を歌っていない時はハモるという構成になっている。
テストが無事終わると、真洋は水春に話しかけてきた。
「なぁ、水春の伴奏、なんか力が抜けてすっげー歌いやすい。お前の声も良いし、やっぱ楽しみにしてて良かった」
笑顔で真洋に言われ、水春はその笑顔に不覚にもドキリとしてしまった。元アイドルは無自覚にそうやって人を虜にするのだろうと思ったら、恋人の和将の苦労が知れる。
「ちょっとだけ修正良いか? お前のハモりのところ……ココとか、ちょいピッチ上げ気味に、こっちは逆に下げ気味にするともっと良くなるぞ」
「はい」
言いながら、水春は楽譜にメモをする。勘がいいのはさっきの弦の件で分かっていたけれど、歌いながらそういう所も気にしているのは、見習うべきだなと思った。
「晶ー、後何かある?」
真洋はブース外の晶に聞く。彼は特にない、後は自由に歌えと任せてもらった。
「じゃ本番。好きに始めろ」
「よろしく水春」
「はい……スリー、フォー」
前奏が始まる。歌詞の全容はこうだ、友人と同じ人を好きになってしまった主人公。けれどお前になら譲れる、あの子を幸せにしてやれ、というものだ。
珍しく、晶が作詞したそれは、間違いなく、晶から見た真洋と和将の事だろう。そしてそれを真洋本人と、水春に歌わせる事によって、晶はその恋を昇華したのかな、と水春は考える。
真洋にアドバイスをもらった所を気にしながら弾き語っていくと、あっという間に後奏になった。真洋がアドリブを入れているから、それに合わせてギターの演奏も力が入る。
真洋がファルセットで高音を歌い上げる。その瞬間、水春はぞわりと全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。
(うわ……っ、すごく綺麗なファルセット……)
しかも真洋の表情は、無理をしてるでもなく、とてもリラックスした余裕の表情だ。水春はその顔に一瞬見とれてしまった。
最後はギターのアルペジオで締めくくりだ。水春は一音一音大事に弾くと、ブースの中は張り詰めた緊張感が一気に戻ってきた。
「OK」
晶の声がする。どっと疲れが出てきて、大きく息を吐いた。
「さすがだな。そっちで修正したい所があれば。無ければ終わりで」
「ないでーす」
「オレも無いです」
じゃあ解散、と晶は言って、水春たちはブースを出る。真洋は今しがた録った音源も聞かずに、「楽しかった、またやろうな」と去っていった。
水春はギターをケースにしまうとため息をつく。晶が言っていた、真洋のセンスと技術を間近で感じて、少し自分の現状に落ち込んだのだ。
「言っただろ、真洋は別格だって」
そんな水春を知ってか、晶が話しかけてくる。アドリブの良さももちろんだったけれど、一番印象的だったのは彼のファルセットだ。
「なんか、晶さんが真洋さんに惚れ込んだの、分かった気がします」
「そうか。……すっげー綺麗だろ、あいつのファルセット」
調子に乗せるとどこまでも高音出すから、あまり出させないようにしてるんだけどな、と晶は言う。なるほど、好きに歌えと言ったからああなった訳だ、と水春は納得した。
「お前もうっとりして聞いてたしな」
「ねぇ晶さん」
何だか今日は、晶の言葉に棘がある気がする。気のせいなら良いんですけど、と前置きして聞いてみた。
「何か怒ってます?」
「何で?」
「や、何か棘を感じるので……」
「……」
晶は黙った。顔を覗き込むとそっぽを向かれたので、多分図星だ。
「ちょっと、何なんですか? 教えてください」
「真洋がお前の事気にしてるから……」
ボソボソと話す晶はどうやら嫉妬していたようだ。水春は思わず、晶の小さな唇に吸い付いた。
「何してんだよっ」
「キスです」
水春はこの可愛い生き物をどうしてやろうか、と考える。
「晶さん、帰ったら……しましょ」
水春がそう言うと、晶の白い肌がみるみる赤くなっていった。分かりやすいなぁ、と思っているとニヤニヤが止まらない。
「…………手加減しろよ?」
否定せずそう言う晶。水春はもう一度、晶にキスをした。
「分かりました」
頬を撫でると晶が微笑む。その辺の女性より綺麗な晶は、それだけで水春の理性を壊しそうだった。
「後は家で作業する。ちょっと待っててくれ」
晶は背伸びをして、水春の顔をぐい、と引き寄せた。
頬にキスをされ、こういう可愛い事するんだからもう、と内心悶えたのだった。
綺麗で可愛いくて口が悪い恋人。大切にしますね、と水春は晶の後ろ姿を眺めた。
[完]
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