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大股で一歩詰め寄り、硬い表情で立ち尽くすグレンの胸元を素早く掴みあげた。
「冗談だろう。あの皇帝がルトを、だと? ふざけてんじゃねぇぞ」
少しだけ目線の低いグレンを間近で威圧する。蜂蜜色の双眸が、厳しい色をにじませて睨んできた。窮屈に胸元を掴み上げる指を、それ以上の強さで引きはがされる。一本一本、思い知らせるように。
「本当だ。陛下は昨夜ルトを召した。しかも、今後も召すと……。俺たちは、目立ち過ぎたんだ」
たかが孕み腹ひとり。相応の扱いをしなければならなかった、特別な存在にしてはいけなかった。それなのに。
感情が先走り、自制できず。人間のルトを巻きこんで、ありえない事態を引き起こした。人間嫌いの皇帝陛下が、たかが孕み腹なんぞに興味を持つなどと。
「目立ち過ぎたんだ、ラシャド。皇族の親類を襲撃したのに鞭打ちだけで済んだ。陛下は、減刑のかわりに、ルトに責を問うと……」
常ならば、精鋭兵の身分を剥奪されてもおかしくない。だが高位のラシャドや側近のグレンに、重い処分を科すには外聞が悪い。対してルトは孕み腹だ。どう扱おうと気に留める必要はない。さらには重鎮といえる腹心を騒がせた使い腹。それだけでも皇帝の注意が向いてしまった。
人間に容赦しない、理不尽に虐げる皇帝を前にして、果たしてルトは従順でいられるか。
否だ。ルトは見かけこそはかなく見える。しかし小さいはずの芯は、年齢にそぐわないほど大人びている。実に賢く、揺るがない精神を持つ。どれほど辛い逆境にいても、状況を打破しようとする強い心の持ち主だ。自分よりも他人を優先する優しさも、敵わぬ相手に立ち向かう愚かさもある。
ルトは確実に、皇帝の不興を買うだろう。皇帝の命は絶対だ。死罪を言い渡されたら、そこで終わり。仮に命を奪われなくとも後宮から追放されてしまったら。
罰として王宮を追い出された人間は、それこそ色狂いの獣人どもの巣窟に放りこまれる。後宮に通える獣人よりもなお劣悪な、気狂いした野獣の餌だ。
そうなれば誰とも交流を持てず、生涯を狂ったなかで生きるだろう。そうしたらルトは……やはり、生きていないかもしれない。
グレンに引きはがされたラシャドの指先から力が抜ける。今さらながら、先ほどの魔術師の言葉を思い出した。『お召しがあった』と。
召すという単語を使う相手は王宮でたったひとり。自分の間抜けさに、短い嘲りが口をついた。
「……くそったれが」
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