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「食事は……、ちゃんととってます。ですが、最近よく吐いてしまい、身につかないだけです」  手を掴まれたまま、再び顔を伏せようとしたら止められる。仕方なく顔を上げて皇帝を見た。目の先の皇帝は不機嫌さを隠そうとしない。 「吐くだと?」 「はい。菖蒲殿にいたときに食事を受けつけなくなってしまい、それからあまり食べられません」  ルトの返答に、皇帝の顔つきがさらに険しくなった。言えというから言っただけなのに、なぜさらに苛立つのか。わからずにいたら叱責が飛んだ。 「今朝がた魔術師からそなたの報告を受けた。度重なる不摂生に、身体がずいぶん弱っているとな。今後魔術師の回復術でも効果が得られなくなれば、そなたはいずれ」 「死ぬのですか?」  ルトの澄んだ音が皇帝を遮った。恐れも不安もなく、ただ心静かな声で。本当は、どこかでうすうす感じていた。身体だけでなく、心が限界にきていることに。  エミルたちと寄り添っても、力強い鼓動のぬくもりに触れても。頑張ってみても、食事は喉をとおらず、羽のように軽かった足は重たいばかり。霞がかる思考が遠のくなか、ささやかな平穏にこの身をごまかしてみても、ルトの心がもう生きることをやめようとしているのだと。  けれどこうして迫りくる死を突きつけられても、ルトの内は穏やかだった。何でもないように漠然と思う。そうか、いずれ死ぬのか――死ねるのか。子を産み続ける苦痛から、ようやく解放されるのだ。  もしかしたら遠くない未来に、死が迎えに来てくれる。そのときまで、こうして待っていればいい。できれば次の子を孕む前に、早く迎えに来てくれたら。  これまで、自分から死を望んだことなんて一度もなかった。けれど遠くに感じた死が、目の前に迫っている。それを思うと、ルトの心が歓喜に震えた。ああそうか。いつの間にか、ルトは自分の生命を手放そうとしていたのだと、この瞬間に知った。  ともすれば微動さえしないルトの頬は、喜びのあまりかすかに緩んでいたかもしれない。皇帝とまっすぐ向き合っていたのがいけなかった。ルトがほのかに抱いた心情を、皇帝は俊敏に悟ったようだ。  ルトに目を向ける皇帝の顔つきが一気に変わる。それから、静かな怒号が鳴り響いた。 「死を選ぶか。許さぬぞ」  びりびりと、皇帝から放たれる怒気がルトを襲う。強すぎる皇帝の気がルトの身体中にまとわりついた。掴まれた手首から、痛みさえ感じるくらい強い痺れが駆け巡る。これが、帝王の覇気か。  毒々しい空気は呼吸を一つするだけで瞬時に全身をかけ回る。うまく息を吸えず、何もしていないのに息が苦しい。表情が抜けた、ルトの呼吸が乱れはじめた。  息を吸いこむたび、急激な猛毒に侵されるように全身の毛穴が開く。だらだらと汗がにじんだ。脳天まで痺れ、自分の身体も動かせない。瞬きすらままならなくなったルトを、皇帝はさらに封じこめた。 「そなたは生命力が強い。そうやすやすは死なぬはず。だがもしそなたが死ねば、次の伽はどの腹にするか。報告によればそなた、完成形となった孕み腹を気にかけておるようだな。なるほど、ふたなりも楽しめるやもしれぬ」

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