340 / 367
27-(6)
はじめはトンミも、あれほど嫌がっていたのに。崩壊した精神は持ち直さないかもしれない。他のみんなにいたっては、怯えて後宮の寝室から出てこない少年もいるらしい。食堂さえ行こうとしないから、ラザたちが食事を運んであげるという。
ルトは表情を曇らせて、無意識に張り出た腹を撫でた。その仕草を、ユージンが目に止める。
「だいぶ大きくなったな。ルトの腹。あと数日で出産だろ? ルトと残りの奴が産んだら、俺たちは、国に帰れるんだよな……? 本当にか」
「うん。もう少しかかるかもだけど、シーデリウムの体制が整ったら、出発だって聞いてるよ」
半信半疑のユージンを安心させるようにルトが頷く。出産を控える孕み腹は、ルトを含めてあと十一人。別の宮殿を与えられたひとりは、明日が出産予定という。ルトはその数日後だ。
平和条約は成立し、両国ともが貢ぎものの解放を民衆へ公表したばかり。いまだにシーデリウムで反対する臣下も、正式な公約を守らざるを得ないところ。反故にしたら、事は両国問題に発展する。ラシャドもグレンも戦は起こさないと言った。時はかかっても、孕み腹は必ず解放されるだろう。
残すは完成間近の核種胎を仕上げ、迫る各族長の会合を待つ。朝廷が下した決定を説得できれば、族長らが強力な地位と権力で、特化した管轄の民衆を抑えてくれるらしい。獣人の違いがルトにはよくわからないが、各々の専門分野みたいなものだろうか。
協力を得られたら仮の閉鎖が本決まりだ。族長らを、皇帝がどれだけ迅速に説得できるかにかかる。一日でも早く、ツエルディング後宮が撤廃されるよう、身を粉にしてグレンたちも動いてくれている。
完全に足場が固まれば、誰もが待ち望んだ帰郷が訪れる――ようやく。人間の王族と引き換えに、孕み腹はひとり残らず解放される。
ヌプンタの王族とともに、ルトは皇帝と婚姻を結ぶだろう。皇帝が寵愛する孕み腹の生き証人として。それが本来の筋書きだ。だがそうなる前に、ルトは……。
ルトがひとり大それたことを考えているなんて、エミルたちは知らない。そもそもルトが、本当に、皇帝の妃にされそうだとは思っていないのかもしれない。
「あともう少しだな。それまでの辛抱だ」
「うん。そうだね」
感慨深げなユージンの一言にそれぞれの声が重なる。薄い唇をきゅっと結んだルトも、静かに頷いた。
***
「――ト、おい。ルト」
遠くから音が響く。静かで低い声だ。ゆらゆら、ゆらゆら。深い眠りから呼び戻され、ルトは重たい瞼を開けた。広い寝台で目が覚めたら、ぼやける視界を、心配そうな顔つきのラシャドが覗いた。
頭の芯がすっきりしない。やけにだるい。長く眠らされたんだろうか。確かルイスのときよりも、大掛かりな魔法陣だった。四人の魔術師に寝台を囲まれて、黒い人影の後ろをラシャドが落ち着きなくうろうろしていた。
寝台の周りを行ったり来たりするラシャドを見ていたら、だんだん眠りに誘われた……までは思い出した。とたん、うつろだったルトの思考が一気に晴れた。勢いをつけて起き上がる。ルトを覗くラシャドが、すかさず手を差し出してきた。
「ゆっくり起きろ。気分はどうだ」
「なんともない、です。少し、だるいだけ……」
薄い背を支えられ、きょろきょろと広い寝室を見渡す。腹の子は無事に生まれたんだろうか。ラシャド以外は誰もいなくて、赤子はどこにも見当たらない。
「ちゃんと生まれたの? どこにいるの?」
あちこち移動するルトの視界が、すぐ傍のラシャドを見つめる。不安をまじえた声に、ラシャドは頬を緩ませて、大きく頷いた。ルトを見返す漆黒の目に明らかな喜びが見える。体躯の隙間から、黒い尻尾がぶんぶんと揺れた。きっと、とってもうれしいのだ。
ともだちにシェアしよう!