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 もっと早くに、真相を告げていたら。ルトが勇気を出せば、伝える機会はいくらでもあったのに。たったひとりで苦しませずに済んだのに。  エミルを見返す、紫水の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。自責の念に駆られる。細い、エミルの手を握り締めた。ルトの心からの懺悔にエミルは何度も首を振った。 「僕、ずっと怖かったけど、ルトがいつもいてくれたから。ルトと一緒にいられてすごく嬉しいと思ったんだ。死ななくて、本当によかったって思えたんだよ。だって、僕は今、生きてみんなと笑えるもの。だからね、ルトは自分を責めないで」  生きる喜びに触れられた。だからどうか、ルトの傍で生きていきたい。そのほうがルトも寂しくないと思うから。小さな胸を気丈に張って告げてくる。泣き虫だったエミルが。  ずっと、ルトが守ってあげたいと思っていた。これから先も。けれどエミルは、心根の強い少年になっていた。ルトを逆に、優しく守ってくれるほどに。縋りつく、エミルの手を突き放せなかった。どうしても。  動きを止めたルトたちに、隊長たちも動けずにいる。馬車の扉を掴んだ格好で戸惑いを見せた。いかつい虎が、険しい眉根をさらにしかめる。向かうラシャドへ低く耳打ちした。 「おい。この場合どうするんだ? 馬車から逃亡……には、ならねぇよな」 「俺に聞くなよ、隊長」  同じく、馬車の扉を手にラシャドが肩を竦める。落ち着きを取り戻したルトは、しがみつくエミルの背を抱き返し、周囲を見渡した。  考えもしない事態だ。困惑する紫水の瞳は蜂蜜色の瞳に受け止められる。ルトと目があうと、離れた場所から琥珀の豹がしっかりと顎を引いた。  ルトたちのやり取りを静かに見守っていたらしい。優しく、けれど真剣な表情をして、馬を置いたグレンが確かな足取りで近寄ってきた。  長い腕がエミルに伸びて細い肩に添えられる。エミルを振り向かせ、腰を落とすと、目線を合わせたグレンは真摯に向き合った。 「エミル。このまま残れば、二度とヌプンタへは帰れない。死ぬまでだ。それでも本気で、ルトの傍に残るのか? 一生だ。この国で、生き抜く覚悟がないのなら、みんなと一緒に祖国へ。だがもしも……エミルの、本心からの言葉なら、俺が陛下にかけ合おう」 「グレンさん……!」  ルトが驚きに目を見開く。咄嗟に出たルトの声を打ち消す強さで、エミルの声がかぶさった。 「僕も残る。ルトと一緒に」  エミルは堂々と顔を上げる。大きく頷くエミルの意思に、三人の屈強な獣人が互いの顔を見合わせた。  エミルを真摯に見返すグレンの、優しい口元が力強く弧を描く。ラシャドは愉快そうに両腕を組んだ。強面の虎は、三白眼をぱちくりとさせた。  次第に隊長がくくくと肩を揺らす。グレンの甘い瞳はゆっくり瞬き、エミルから目線をあげた。にやつくラシャドに向かい、声を張った。 「出立を」 「了解」  指示を受けた隊長たちが一つ頷く。ラシャドの手が今度こそ、馬車の扉をしっかりと握りなおした。ルトとエミルを残し、扉がゆっくりと、確実に閉じられていく。馬車のなかで騒然とする声がした。 「エミル……!?」 「出発だ!」  隊長の合図を受けて、少年たちを乗せた馬車が動き出す。だんだん遠ざかる馬車を、ルトとエミルが二人並んで見つめていた。  ルトを握る、エミルの手が微かに震える。応えるようにルトはしっかりと、小さな手を握り返した。様々な葛藤を、胸の内に沸き上がらせて。  思い起こせば不安と覚悟を乗せて、獣人の地へ来たときも、去り行く故郷の馬車をこうして眺めた。  何が起こるかわからずに、その日に激しい蹂躙にあい三人の少年の命が消えた。核種胎の影響で六人が。暴虐の日々に耐えられなかった少年が四人だ。  生き残ったのは、ルトを含めて三十七人。シーデリウムに残るのはルトとエミル、そしてトンミだ。  二度と故郷の地を踏めないと悲嘆した少年たちは、今、記憶をまっさらにして国へ帰る。絶望の日々を超えて。知らずルトの丸い頬に、いくつもの涙が流れ落ちた。  バーラ狩りにあったヌプンタの少年たちは、祖国の地へ生還を果たす、初めての生き残りになるだろう。この先、哀れな貢ぎものが献上される日は二度とこない。  グレンたちが孕み腹の撤廃を唱えはじめてから、時は、五ヵ月もの月日が経とうとしていた。

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