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【六】昼休み

 この学園では、学年によってネクタイピンについている飾りの色が異なる。僕は知識をフル動員し、多分御子柴さんと相良さんは、一つ上の学年の先輩だと判断した。  僕が連れて行かれたのは第三図書館で、中に入ると人気は無かった。しっかりと扉を閉めた御子柴先輩は窓の前へと向かう。相良先輩は扉の前に立っていて、そこに背を預けていた。三人きりの室内で、僕は二人の用件が何だろうかと考えていた。 「紫樹様、と、お呼びしても?」 「え……いえ、僕は下級生ですし、『様』なんて……」  尤も、中等部に通っていた頃から、桐緋堂家出自の僕は、大体の場合『様』と呼ばれては来たが――今回の学園生活では、そういう事にならないと良いなと思っていたから焦ってしまう。  僕の言葉に、御子柴先輩と相良先輩が、チラリと視線を交わした気配がした。 「さすがは、恢斗様の『正妻』ですね。お心が広い」  御子柴先輩が僕に向き直り、唇の両端を持ち上げた。一見柔和に思えたが、僕は気づいてしまった。その瞳が、笑っていない……。 「外部生ですし、この学園の制度に馴染みが無いと考えていますが、『親衛隊』をご存知ですか?」  続いて響いた声に対し、僕は回答に詰まった。  僕は、趣味の王道学園小説を読む事から、親衛隊という存在について、熟知している自信がある。その上で、他の学園にはこういった制度が無い事も理解している。 「生徒会長親衛隊は、『恢斗様を慕う者』の集まりです。『抜けがけ』は許されない」  御子柴先輩がすっと目を細めた。知っている――抜けがけをしたら、『制裁』を行う存在で、そんな時、風紀委員は取り締まるはずである。そうだ! 僕は二階堂風紀委員長と、親衛隊萌えについて語り合った事がある。つまり、『二階堂から聞いた事がある』ではないか! 「――風紀委員長から、聞いています」  嘘ではないが事実には語弊がある事を、僕は述べた。すると御子柴先輩が顎で頷いた。 「でしたらお話は早いですね。生徒会長親衛隊の隊長としてお伝えしますが、現在、隊内は非常に荒れております。様々な意見があるとはいえ、生徒会長親衛隊は、素直には応援していないのが実情です」  実際、その言葉は八割くらい、僕も正しい気がした。  ここ数日、僕は恢斗に愛を囁かれていて、多分かなり喜んでいる自信はある。  だが、過去の事を思い出すと……それらもまた、リップサービスではない保証は無い……。 「現在は、恢斗様は紫樹様にご執心のご様子ですが、調子に乗らない事です。いくら『正妻』といえど、親衛隊長として、抜けがけじみた行動は認めません。我々の方が、恢斗様を愛している自信がありますので」  率直に言われて牽制された僕は、鬱屈とした気持ちになった。 「それも、恢斗様がいるにも関わらず、恢斗様の宿敵である二階堂委員長まで篭絡するような人物ですからね――恢斗様を毒牙にかけているのだと、親衛隊では判断しています」  御子柴先輩はそう述べると、腕を組んで、僕を見上げて睨めつけた。 「そもそも恢斗様がご入学なさってすぐ、僕が先に好きになりました」 「――っ」  つまり、僕よりも恢斗との出会いが早かったという事か。 「一目見て、僕は恢斗様が『運命の方』だと確信しました」 「!」 「御子柴グループは、宝灘財閥には劣りますが、相応の資産を持ちます」  それを聞いて、僕は驚いた。桐緋堂家は家格こそあるが、僕は収入面に関しては全く知らない。ただ、御子柴グループの名前も知らなかった。初めて聞いた。 「これまで桐緋堂家という名前など、聞いた事もありませんでした。少し調査しましたが、家格だけが高い――即ち無駄に歴史だけがある過去の栄光にしがみついている古びたお家のようですね?」  御子柴先輩の顔に、歪んだ笑みが浮かんでいる。  ――なお、多分先輩の言葉は正しい。桐緋堂家の名前を知る者は、家格が高いごく一部の超上流階級とされる家柄だと聞いた事があるから、僕が御子柴グループという僕の家よりは歴史が浅いのだろう家を知らないように、あちらも古い化石のような僕の家を知らないのだろう。 「紫樹様よりも、僕こそが恢斗様には釣合います。実際、縁談話を勧めてもらっていたというのに――突然、『既に許婚がいる』として潰えました。そのお相手が、貴方だったというわけですね。聞いています、無理にヒートで、恢斗様を僕から奪ったと」  頭痛がしてきた。僕はそれを否定出来ない。恢斗は違うと言ってくれたが、恢斗のここ数日の優しさを見る限り、恢斗は僕に気を遣っていたとも話していたし……。  実際、当初宝灘総帥だって『然るべき相手との関係を考えていた』と話していた。僕より先に出会っていて、僕よりも相応しい家柄――これが事実ならば、僕は奪ったと言われても言い返せない。もしかしたら、御子柴先輩が、僕の前に許婚関係になるはずだった相手なのかもしれない。  結局の所、『運命』なんていう漠然とした概念は、一目惚れと似たようなものであるし、錯覚の可能性もある。  僕は改めて御子柴先輩を見た。本当に可憐なチワワである。 「なんとか言ったらどうですか?」 「……」  さて――何を言おうか、何を言うべきか。  僕は咄嗟に思考を巡らせた。  無論、仮に御子柴先輩の言葉が全て事実だとしても――だ。僕は桐緋堂の人間であるから侮られたまま終わるわけにはいかないし、何より現在、恢斗の許婚は僕なのである。正直御子柴先輩は怖いが、弱味を見せるのは、得策ではない。  そこで僕は――……スキル、作り笑いを発動する事に決めた。 「ご助言感謝致します。弁えて行動し、そして将来宝灘の隣に立つ者としての振る舞いを、自ら見せられるよう心がける事と致します」  正直、指先が震えそうだったし、怖かった。が、仕方がない。 「それが、桐緋堂の人間の矜持。無論、恢斗様が御子柴先輩を選ばれる事があれば、潔く身を引く覚悟もございます。僕と恢斗……さんは、あくまでも許婚であり、恋愛関係では――」  と、僕が言いた時だった。勢いよく扉が開き、相良先輩が驚いたように距離をとった。 「紫樹!」  駆け込んできたのは、恢斗だった。御子柴先輩が目を見開いている。 「な――恢斗様……本日の昼休みは、中等部の校舎でオリエンテーションの打ち合わせのはずでは……」 「どういうつもりだ御子柴。親衛隊が紫樹を連れ去ったと聞いて走ってきた。紫樹に何を言った?」  険しい顔で僕に歩み寄ってきた恢斗は、後ろから僕を抱きしめた。それを見た瞬間、あからさまに御子柴先輩の顔が歪んだが、それからすぐに無表情に変わった。 「別に。恢斗様の『正妻』に、少々親衛隊長としてご挨拶を――」 「正妻だと? 紫樹以外に妻を迎える予定など無い。紫樹が俺の、最愛にして唯一だ」  Ωの場合も、『妻』と呼ばれる事となる。僕は抱きしめられたままで、二人の様子を伺った。 「……っ」 「紫樹に手を出したら、俺様の敵と看做すと伝えたな? それは巡って、宝灘財閥を御子柴グループが敵に回したという事でもある。覚悟しておけ。いいや、家の力関係など抜きにして、俺様は御子柴を許さない」 「ぼ、僕は――た、ただ少し、本当に紫樹様が恢斗様に相応しいのか知りたくて――」 「何を言っている。逆だ。俺様こそが、紫樹に相応しくなるべく努力をしているんだ。邪魔をするな、消えろ」  恢斗が一喝すると、泣きそうな顔をして、御子柴先輩が走り去った。相良先輩はこちらを一瞥してから、その後を追いかけていく。二人きりになった図書館で、恢斗がより強く僕を抱きしめた。 「無事で良かった……悪かったな、まさか親衛隊がこんな風に、それも普段は温厚な御子柴がこういった動きを直接するとは……」 「恢斗……あ、あの? オリエンテーションの打ち合わせ中だったって――」 「既にほぼ終わっていた所で報せを受けた。正直、俺は紫樹が一番大切だ」  それを聞いて、僕は複雑な気持ちになった。来てくれたのは嬉しいし、今も腕のぬくもりに安心していて、全身から緊張が解けていく所ではあるが――生徒会のお仕事は大切だと思うのだ。迷惑をかけてしまったのは、僕だ。 「ごめんなさい」 「――迂闊に知らない相手について言ってはダメだ。でもな、紫樹が悪いわけじゃない。親衛隊をきちんと統率しておかなかった俺様の過失だ。過去の言動から信用しきっていた、俺のミスだ」  そう言うと恢斗は僕の体を反転させ、今度は正面から抱きしめた。僕は無意識にその背中に腕を回し返しながら、ポツリと聞いた。 「誰が報せを?」 「――相良だ。あいつは御子柴に従ってはいるが、優秀な副隊長であり、俺様を第一に行動してくれる」 「え」 「今あそこにいたのも、万が一に備えて見張っていたんだろう。だが、まさかあの御子柴が……――容赦はしない」  恢斗の声が低くなった。僕は言葉を探す。今となっては、僕もまた恢斗が好きだから、逆の立場だったならばと思うと、御子柴先輩の気持ちも分かる気がしたのだ。しかし何か言おうと口を開いた時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。 「教室まで送る」  こうして、僕の昼休みは終わりを告げたのだった。この日の昼食は抜きとなった。

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