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【SIDE:恢斗】回想

 寝入ってしまった紫樹の体を清めてから、俺は華奢な紫樹の体を寝室へと運び、ゆっくりとベッドに横たえた。本当に好きでならない。  安らかな寝顔を見ながら、紫樹の絹のような髪を、俺は手で梳いた。そして白磁の頬に口付ける。淡い桃色の唇に目が釘付けになったから、今度はそちらも奪ってから、シャワーを浴びる事にした。  紫樹に出会うまでの間、俺は誰かに気圧された事は一度も無かった。  あれは――中等部一年の秋の事だった。  祖父の呼び出しで、俺は帰省し、桐緋堂家に挨拶へと行く事になったのだ。  桐緋堂家――それは、名門中の名門、旧華族である。古には何度も帝と縁組があったというほどの家柄であり、その高貴な血筋には、いくつかの伝承さえある。  例えば、桐緋堂の者を家に迎えれば、その家は栄華を誇り、当代一になるといった逸話もあるし、桐緋堂の血を持つ者を悲しませ恨みを買ったならば没落するといった伝承もある。少なくとも、俺は伝承だと思っていたし、馬鹿げた話だと思いながら、祖父に連れられて桐緋堂家の門をくぐった。桐緋堂の者に認められなければ、真に当主とするには立ち位置が弱いというような事を言われ、それだけの威光がある存在とはどのような者なのかと思ったのだが――初めて桐緋堂紫樹という存在を目にした瞬間、俺は気圧されたのだ。  まずはその、圧倒的な美に。  まだ二次性徴を迎えていなかった紫樹であるが、同じ歳であるというのに、そこに少年特有の繊細な美を感じた。圧倒的な存在感があって、整いすぎた顔立ちと、そのかんばせに浮かんでいる人形のように冷ややかな瞳を見た瞬間、心臓を締め付けられたようになった。目が離せなくなりそうだったが、祖父に机の下で袖を引かれたため、俺は努めて皿を見ていた。それでも気になり、何度か様子を伺ってしまった。  そして――庭で微笑を面した瞬間には、理性が焼き切れた。どうしても、欲しい。そんな衝動に突き動かされ、俺は気づけば、紫樹のうなじを舐めていた。紫樹がΩなのだろうという事には気づいていたが、普段学園でΩを見ても、それが発情中の相手であっても、このような感覚になった事は無かった。  ――欲しい。  ――俺だけのものにしたい。  ――この綺麗な生き物が、俺以外のものになるのは認めがたい。  俺は本能に従った。  そこに、一切の後悔は無かった。仮に恨まれても良い。永劫、紫樹を離す気はない。例え宝灘が没落する事になろうとも、何の問題もない。紫樹が、俺の腕の中にいるのならば。  その後は、親しくなりたくて、俺は何度も紫樹に連絡をした。しかし全然、返信は無い。この頃になると、嫌われているのだろうと考えるようになり、連絡が迷惑である可能性を考えて、頻度を抑える事にした。  憂鬱な気分で、俺は勧誘された生徒会の仕事をこなしつつ、学園でもかなりの時間、紫樹についてばかり考えていた。会いたい。会いたくてたまらない。そして、好かれたい。紫樹の心が欲しい。どうすれば良い?  必死で考えていた。次に会った時は、会話もほとんど無かったため、俺は苛立っていた。別に周囲に八つ当たりをしたわけではないが、俺は紫樹の事で必死だったため、様々な事を即決し、仕事の処理をしていった。するといつしか、『俺様』と呼ばれるようになっていた。別に良いが。実際、宝灘の帝王学として、唯我独尊という語も習う。俺は正しく、宝灘財閥の後継者でもある。  次に顔を合わせるまでの間、俺はいかにして仲良くなるかだけを考えて、そうして、別荘で親睦を深める事とした。結果――紫樹が、俺の前で初めて赤面した。表情が変わらない紫樹の艶っぽすぎる姿に、俺は抑制が効かなくなり、その夜も体を繋いだ。紫樹の中は熱く絡み付いてくる。少し大人っぽくなっていて、それがより俺の体を高ぶらせた。  ――少しは、紫樹も俺を好きになってくれたのだろうか。  連絡頻度も、少し増えた。  俺は上機嫌になった。そんな中で――俺は、学園の出来事に気を回す余裕が少しずつ出来ていった。そして、それまでは漠然と、同等の能力を持つと感じていた二階堂に着目するに至った。いつも俺か二階堂が、テストで一位争いをしている。体力測定でも同等で、βの数が圧倒的に多いこの学園においても、α同士という事もあり、何かと俺達は比較されていたのだが……その二階堂が、風紀委員として俺に注意をしだしたのが契機だった。  紫樹は、俺から見ると完璧だ。  優雅で、美麗で。  そんな紫樹と対等でいるためには、二階堂ごときに負けるわけにはいかない。  最初はそう思っただけだったのだが――本気を出しても、圧勝出来ない。こうして俺は、生徒会活動の傍ら、必死で勉学や体力作りに取り組んだ。いつしか俺の中では、打倒二階堂という思いが巻き起こった。紫樹に誰よりも相応しくいるためにも、俺は他者に負けるわけにはいかない。  このようにして、俺の中等部時代は流れていったのだ。本当は、休暇の度に紫樹に会いに行きたかったが、そうしてしまったら、もう押し倒さない自信が無い。会ったら最後、ずっと一緒にいたくなってしまうと確信していた。だから受験を理由に、俺はそんな自分を抑える事に決めたのである。 「それがまさか……紫樹から、俺様の所に来てくれるなんてな」  懐かしい記憶を思い出しながら、俺は微笑しつつ、シャワーから出た。  そしてタオルで髪を拭きながら、幸せを噛みしめる。  一緒にいられる事が幸せだ。 「が――……さすがに入学式では、俺様も心臓が止まるかと思ったぞ」  俺は、ダイニングキッチンへと向かい、冷蔵庫から水のペットボトルを取り出してグラスに注ぎながら、入学式の事を思い出した。あの日も俺は、好敵手である二階堂を睨めつけていた。俺が生徒会と風紀は伝統的に仲が険悪であるが、そのそれぞれのTOPにいつも競っている俺達が立つ事になったのだ。絶対に、負けられない。  そうは考えつつ、俺が挨拶をする番になった。俺は、俺様生徒会長と呼ばれているわけではあるが、これでも全校生徒の事を、俺なりには思っているつもりだ。そこで皆を見回し、更にはこれから新しく加わる仲間を見る事に決め――外部入学生の席を見て、俺は硬直した。  見間違えるはずも無かった。髪を染め、眼鏡をかけていて、苗字は変えていたが――それでも隠しきれない圧倒的な美と気配が、そこにはあった。周囲も時折視線を向けている。誰もが釘付けになってしまうような、独特の雰囲気、気配。  俺が見つけた紫樹は、最後に顔を合わせた時よりもずっと大人びていて、凄艶だった。いいや、清艶とした方が正しいかも知れない。気品に溢れていて、見る者を惹きつけている。ああ、俺の運命の――唯一の存在が、そこにいる。会えた事がまず嬉しかった。が、俺は、皆に言っておかなければならないと理解した。 「非常に大切な事を一点付け加える。一年S組深凪紫樹こと『桐緋堂紫樹』は俺様の許婚であり、運命だ。手を出したら、俺様を敵に回したと思え。以上だ」  紫樹が、自分から俺の元へと来てくれたこの日、俺はもう――我慢する事など出来ないと悟った。俺の頭は、紫樹で染め上げられた。紫樹の事しか、視界に入らない。  水を飲み干してから、俺は寝室の扉へと視線を向けた。  俺は、どうしようもなく、紫樹が好きだ。

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