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「お待たせ」  いきなり背後から声を掛けられ桐野はどきっとして振り返った。存在を消すのが得意なのか、瞬間移動でもできるのか、桐野の真後ろには芹沢が静かに立っている。ややくすんだエメラルド色のカーディガンを羽織った芹沢はそれがとても良く似合っていて、桐野は思わず数秒間見惚れてしまった。 「……あ、ああ、い、行こうか」  桐野はどぎまぎしながらそう言うと、芹沢の前を歩いた。  桐野の行きつけの店は、大衆向けの普通の居酒屋だ。安い酒とありきたりな料理が並ぶ店。でも桐野はそれが好きだ。ゴミゴミした雰囲気とガヤガヤした賑わいが、桐野の心を上手に癒してくれる。  たまにある家族の食事会で良く行く店は、日本料理界の重鎮が作る創作料理を出す店だが、桐野はそこの料理を心から上手いと思ったことがない。この居酒屋で食べる、一皿五百円からのリーズナブルな料理の方が、桐野の胃袋を上手に満たしてくれる。  平日のこの時間はサラーリーマンで混んでいる。桐野と芹沢は居酒屋の外に建てられた簡易テントに入りそこで飲むことにした。 「何飲む? 俺は瓶ビールが飲みたい」 「……ああ、俺も同じでいいよ」  芹沢はメニュー表を興味なく眺めると、桐野を見つめそう言った。 「つまみは? 何がいい? 俺は揚げ出し豆腐が好きなんだ。頼んでいい?」 「ああ、何でも好きな物頼めよ。俺、好き嫌いないから」  芹沢はそうさらっと言うと、バッグからスマホを取り出し画面をタップし始めた。 (はっ、かっこいいな。)  桐野は芹沢の台詞に心を掴まれてしまい、胸がぎゅっと苦しくなった。 「あのさ、俺今、気になってることがあるんだ」  酒とつまみが運ばれ、それを飲み食べ始めた頃芹沢が言った。 「ん? 何をだ?」 「桐野先生のクラスのあの男の子、最近元気がないと思わないか? 誰のことだか分かる?」  芹沢はビールを一口飲むと、桐野を探るように見つめた。桐野は突然の質問に動揺しながら、必死に頭の中で該当しそうな男子生徒を探した。 「誰だろう……俺には思い当たらないんだけど」  桐野は観念したようにそう言った。担任の自分が生徒の変化に気づかないなんて情けなさ過ぎる。やっぱりアルファの人間は人の心の機微に気づけるような繊細さが足りないのかもしれない。世界は自分中心に回っていると思っているような、高慢な自信家で溢れているから。自分もそうだろうか? 自分もそんなアルファの人間たちと同じだろうか?  桐野は急に嫌な気持ちに包まれてしまい、それを逃がすようにグラスをぎゅっと握りしめた。  桐野はアルファだ。でも、自分がアルファに生まれたことを特別だとは思ってはいない。それはただの偶然であって、自分自身が何も特別な人間ではないからだ。選民意識など大嫌いだ。そんな差別的な意識を持つ人間の気が知れない。でもそれは、自分が運よくアルファというこの世界の階級のトップにいるからこそ持てる考えであって、そうでなければ、自分は神でも仏でもないのだから、多分そんな偉そうなことは言えないはずだろう。  所詮、この世から格差や階級を失くすことなどできはしない。だとしたら自分のこの特別な性を、社会に貢献するために与えられた使命だと潔く受け入れるべきなのだろう。とても責任の大きい、プレッシャーの掛かる使命として。でも、自分はそれを拒んだ。自分は偶然にアルファとして生まれてきただけなのだ。だから何も親の決めたレールを進む必要などないはずだ。自分はアルファでもこの場所が好きだ。これが自分のやりたかった仕事なのだから。

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