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 桐野の家系は代々閣僚を務めている政治家一家だ。漏れなく桐野も父親の跡を継ぎ政治家になるよう仕向けられていたが、桐野は大学卒業と同時に政治家の秘書をする傍ら、親の目を欺きながらこっそりと通信制の大学で教員免許を取得した。そして一昨年密かに受けた教員試験に一発で合格して、晴れて中学校の体育教師になった。  親にはこれも立派な政治家になるための通過点だと必死に説得して、期間限定で教師になることを許してもらえたが、桐野はもちろんこの仕事を辞めるつもりなどない。桐野は元々政治家になる気など更々ないのだから。  アルファの人間が教師になるのは非常に珍しい。公立学校の教師は99割がベータとノーマルな人間で占められている。だから桐野は自分が特別視されるのを嫌って、同僚たちには自分がアルファであることを内緒にしている。それを知っているのは校長とその上の人間達のみ。桐野は自分の正体を隠しながら、日々、生徒たちと充実した日々を過ごしている。  それにしても、芹沢より教職経験が長いのに、自分の方が先に生徒の変化に気付けないとは、己の教師としての資質を疑いたくなる。  桐野は恨めしい気持ちを込めながら、芹沢をじっと見つめた。 「多分だけど……この間の検査で、うちの学校にオメガの子が一人見つかったって聞いたんだ。俺が思うにあの子だと思うんだけど」  そんな桐野の視線を余所に、芹沢が斜め上に瞳を動かしながら、思い出すようにそう言った。 「え? 誰にその話を聞いたんだ? それは絶対に口外しちゃいけないルールだろう?」  桐野は芹沢の予想外の言葉に驚き、慌ててそう聞き返した。 「偶然だよ。校長がこの間校長室で慌てて電話で話してるの聞いちゃったんだよ。あの校長そういう抜けたところあるじゃん? ったく、本当に管理職に向いてない」  それは多分、お前のその上手に存在を消せる特技のせいかもしれない。と桐野は心の中で思ったが、もちろんそんなことは言わない。 「そ、そうなのか……じゃあ、彼もそろそろ」 「そうだね……あ、どの子だか分かった?」 「いや、はは、分からない。は~、俺担任なのに情けないよな」 「……教壇の目の前に座ってる子だよ。小柄で、可愛いらしい」 「え?!……ああ、そうか、そうなんだ……くっそ、悔しいな。あの子凄くいい子なんだ。クラスのムードメーカーで……」  桐野はひどく残念な気持ちに包まれてしまい、酒の味が一瞬で変わってしまった。差別的な意識は嫌いだと言っておきながら、自分のクラスでオメガが見つかったという事実に、こんなにもショックを受けている。  中学2年生が毎年行う第2次性別検査で、毎年必ず1~2名程度のオメガが見つかる。オメガと識別された子たちは、オメガの子たちだけを集めた特別な学校に転校させられてしまう。そこで、その子たちにどんな教育を施されているのか桐野自身も詳しくは知らない。結局、オメガ以外の人間たちから引き離しさえすればそれでよしとするような、おざなりな扱いを受けているという話は聞いたことがある。ただ機械的に抑制剤を与えられるだけで、オメガとしての自尊心が育たぬまま、高校を卒業する年齢になったと同時に社会に放り出される。その社会というものが、オメガの人間たちが生きていくには余りにも冷たく無慈悲だということを、桐野は痛いほど分かっている。  運が良ければ、「運命の番」となるアルファと出会えるかもしれないが、その確率はかなり低いと聞いている。アルファと番になってしまえば、経済的にも恵まれ、定期的に訪れる発情期も無くなる。それによって発情期に漏れ出てしまうフェロモンによるレイプなどといった、この国で問題になっている性犯罪を回避することができる。一度番になってしまえば離れられない強い絆で結ばれ、パートナーと深く愛し合いながら、人生を一緒に添い遂げることができるというのが定説だ。  ただアルファでも自分と同じアルファやベータと一緒になる場合の方が多い。桐野の家族は皆そうだ。心では運命の番であるオメガと結ばれることを夢見るが、生殖のために与えられた両性具有な身体を蔑み、オメガを忌み嫌う人間は決して少なくない。  そんな差別など絶対に許されるべきではないのに、この社会はオメガから平気で人権を奪い、オメガという性をただの生殖の道具のように扱う人間たちで溢れている。人口が年々激減しているこの国は、オメガの遺伝子を使って少子化を防ごうなどといったプロジェクトを極秘に立ち上げているなどという恐ろしい話を、父親から前に聞いたこともあるくらいだ。  桐野は青臭いと言われてしまうが、自分の運命の番にいつか出会えることを密かに夢見ている。その女性若しくは男性のオメガと巡り合い、一生愛に溢れた人生を生きていけたらとても幸せだと思っている。勿論それを誰かに話したことは一度もない。恥ずかしいのも理由の一つだが、自分がアルファであることを隠しているのだから誰にも言えないし、家族にこんな話をしたら、一瞬でアホなロマンチストと馬鹿にされるのは目に見えているから。 「俺たちはどうしたらいいんだろう。そういう子に何の言葉もかけてあげられないなんて、そんなことあっていいわけないよね?」  芹沢は苦しそうに顔をしかめながらそう言った。その言葉には悔しさが滲んでおり、芹沢の教師としての誠実な人柄を窺える。 「ああ。そうだな。でも、俺たちはその情報を知りえないんだから、どうすることもできないよ。それに、本当にその子かどうかも分からないだろう? それは芹沢先生がそう思うだけで」 「そうだけど、俺には何となく分かるんだ……自分でも不思議なんだけど」  芹沢はビールをグラスに注ぐと、それを一気に飲み干した。 「はあ~、何か暗くなっちゃったね。ごめんね。初めて二人で飲んだのにね」  芹沢はそう言うと、気を取り直したように椅子に座り直し、俺のグラスにビールをなみなみとついた。 「実はね、さっき飲みに誘われた時、俺が何で一瞬躊躇ったか分かる?」 「え?……ああ、確かに。俺最初断られるかと思ったよ」 「桐野先生は凄く酒豪で、一緒に飲むと潰されるって、学年ブロックの先生たちが口を揃えて言ってたからだよ」  芹沢は意地悪そうに微笑むと、器用に揚げ出し豆腐を箸で掬い、それを口の中へ放り込んだ。 「うっ……そ、その話信じたのか?」 「信じたよ。先生たる者が、そんな嘘わざわざつかないだろう?」  芹沢は綺麗な目をクルクルと大きく見開きながらそう言った。 「はあ~、気を付けるよ。マジで。俺は絶対芹沢先生を潰しません。理性的な酒の飲み方をします」 「あはは。ホントこれからはそうした方がいいよ。出世にも響くからね」  芹沢は楽しそうにそう言うと、店員を大きな声で呼び、ビールを二本追加し、また桐野のグラスになみなみとついた。全く言っていることとやっていることが違うと桐野は思ったが、敢えて何も言わなかった。ただ、その楽しそうな笑顔があまりにも可愛くて、桐野はそのせいでいつもより早く酔いが回っていることを、とても心地良く感じたのだった……。

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