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 芹沢と酒を飲んだ日から3週間が過ぎた頃、桐野のクラスの男子生徒が突然転校することになった。それは、芹沢が「オメガ」と識別された子ではないかと疑っていた、まさにその男子生徒だった。転校の理由は親の仕事の都合上となっているが、桐野はそうではないことを絶望的に悟った。  今日の朝、クラスの皆に別れの挨拶をするその子の目は、確かにいつもと違っていた。キラキラと純粋に輝かしいていた目は僅かに濁り、生気がなかった。彼を見送る生徒たちは、クラスのムードメーカーを突然失うことに落胆していた。多分勘の良い子なら彼がオメガと識別されたことに気付くかもしれない。でも、それは絶対に口にしてはいけない。憶測で判断し吹聴する事は許されない。それは、彼らが性別検査を受ける前にしつこいくらい叩き込まれた絶対的なルール。  オメガと識別された子は秘密裏の学校に容赦なく隔離されてしまう。その現実を桐野はまざまざと見せつけられてしまい、朝からひどく重い気分に心が沈んでいた。  生徒たちは突然転校した男子生徒に対して、ルールを無視して、彼の噂を陰で口にしていることを、桐野は既に何度か耳にした。それは同情的な言葉を呟く生徒から、耳を覆いたくなるような、冷たい差別感情を剥き出しにする生徒まで様々だ。自分が教師として、階級社会の現実を生徒たちに問いかけて、差別のない社会になるように教え導くことができないことに、ひどいもどかしさと悔しさを感じる。でも、この国が決めたルールに公務員は従うしかない。この現実を、心を無にして受け流さなければならない。彼がどこへ隔離され、その施設でどんな教育を受け、そこを出た後、どんな人生を歩むかなど全く知りようもないのだから。  給食後の昼休みに、桐野はほんの数分でもいいから一人になりたくて、屋上へ上がった。この場所は自分の心と頭を整理したい時に良く使う場所だ。生徒は屋上に上がることを禁止されているから、そんな理由でここを使っているのは、多分この学校で桐野ぐらいのはずだ。ここは桐野にとって最高の息抜きの場所になっていて、この場所で自分以外の誰かと会ったことなど、この学校に赴任してから一度もない。 「あ……」  先客がいたのは始めてだった。桐野は思わず気づかれる前にこっそり姿を消そうと考えたが、もう既に遅かった。そう言えば、屋上の鍵が職員室に無かったことを自分は何故不思議に思わなかったのだろう。 「あれ? 桐野先生……どうしたの?」  手摺に体を預けるようにして景色を見ていた芹沢が、桐野に振り返ると間の抜けた声でそう言った。 「い、いや、まさか芹沢先生がここにいるとは思わなくて……ちょっと息抜きに来たんだけど」  桐野は微妙に声を上ずらせながらそう言った。この場所で誰かと二人きりになるのはちょっと気まずい。ましてや芹沢だと余計に緊張してしまう。 「ああ。なるほど。時々姿が見えない時があるなって思ってたら、ここにいたんだね?」  芹沢は両手で手摺を掴むと、肘を伸ばし後ろに体重を掛けながら天を仰いだ。見上げた6月の空は、今日の桐野の心を表すようにどんよりと曇っている。

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