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第5話

 重い瞼を開くと、白いシーツが目に入った。身体が思うように動かず、呻きながら身を捩ると、薄暗い石作りの部屋が見える。そこに、一人のエルフの男が立っていた。  白いブラウスに細身のズボンを身に着けた彼は、他の一般的なエルフと同じように無感情でとろりとした顔をしている。金色の髪は首のあたりで真っ直ぐに切られていて、彼はリゼロンが目を覚ましたことに気付くと、「お加減はいかがですか」と静かに尋ね、身体に触れて来た。  それでようやくわかったことだが、どうやら自分は後ろ手に縛られているようだ。その上から薄手のローブをかけられただけの姿でベッドに転がっている。ここがどこで、自分に何が起こったのか。少し考えると全てを思い出してしまい、リゼロンは苦い思いをした。  十二年ぶりの再会があのような形になってしまったことは、リゼロンとて残念だ。その責任の一端が自分にあるということも理解している。素直に全てを話してもいいのかもしれない……そう考えて、リゼロンは小さく溜息を吐いた。言いたく、ないのだ。    痛みなどは残っていない。傷跡も、何もかも。なのに胸の内が、腹の奥が熱く感じる。昨夜のレオーネの姿、声、言葉、そして犯してしまった過ちまで未だ鮮明で、思い出すだけで心が乱れる。その理由がなんであるか、深く考えたくはなかった。 「……レオーネは……?」  リゼロンは思考をかき消すように、エルフの男に尋ねる。彼はリゼロンの身体にローブをかけ直しながら、「レオーネ様はお仕事へ」と柔らかく答えた。 「仕事、か……。あの小さかった子羊が、大きくなったのだな……」  感慨深い。永遠を生きるエルフにとっては、時間の感覚すらも薄いのだ。最後に見たのが昨日のようにも思う。 「あの……レオーネ様とは、長い付き合いでいらっしゃるのですか?」  エルフの問いに、リゼロンは彼を見つめた。そうして質問を投げかけて来ること自体が、エルフという生き物にとっては珍しいことだ。リゼロンは一瞬考えて、「そなた」と声をかける。 「名は何という?」 「ミカ、と申します」 「ミカ、か。そなた、レオーネの「奴隷」か?」  この地では、エルフと人間の関係はそうしたものだ。しかし、ミカは「いえ」と小さく首を振った。 「私はレオーネ様の「従者」です」 「……そうか。従者、か……」  リゼロンはその言葉にまた考えこみ、ややして苦笑した。ミカが不思議そうに首を傾げているので、「いやな」とリゼロンは口を開く。 「レオーネは優しい良い子だと思うたのだ。私に裏切られてなお、エルフを「奴隷」ではなく「従者」と認めるのだから」 「それは、……私もそう思います。私は主をレオーネ様以外に存じ上げませんが、この国では、その……我々エルフの扱いは良くないと、レオーネ様が」 「そうだ。だから、そなたのことを見ていればわかる。アレはそなたの、良い主なのだろうな、と」  そして、レオーネが恨みを、悲しみを背負いながらも善人に育ったことに、密かな喜びを感じる。先程自分に向けられ、与えられたものがなんであろうと、それは事実。それに、どんな扱いを受けようと人を愛するのがエルフという生き物だ。多少の例外は有るとしても。  そしてリゼロンはふいに気付いた。ミカはエルフだ。つまり、あの「拒絶の霧」を抜けることができる。 「そうか、そなただな? 私をここに攫って来たのは」 「……はい。それについては、貴方様には申し訳無いことをしたと思っております。ですが……」 「よい、わかっている。エルフとは人の願いに逆らえぬ性分だからな」  事実、リゼロンはそれについて全く責めるつもりもなかった。「普通のエルフ」は意思や感情が薄く、人を盲目的に愛するが故に疑い、逆らい、拒絶するということが無い。だから長い歴史の中で人間の隣人から奴隷へと変わったけれど、それさえ受け入れてしまうような種族なのだ。  一部の例外を除いては。 「その上で尋ねる無礼をお許しください。私は、知らないのです。あのお優しいレオーネ様が、どうして貴方様にこのようなことを強いたのか……」  そっと優しく身体を撫でられて、リゼロンは苦笑した。普通のエルフと違うと言っても、苦痛は感じにくく回復は早い肉体であることに変わりはない。気遣いはいらぬさ、と首を振って、それから少しの間、考える。 「……私とレオーネの出会いについて、そなたに話してやってもよいが……。私はアレの考えたことまではわからぬぞ。それでも構わぬか?」 「はい、レオーネ様はあまり、昔の事をお話にならないので……。少しでも、あの方のことを知りたいのです。教えていただけますか、リゼロン様」 「そうだな……。あれは、レオーネの言うことが正しければ、十二年前のことになるだろうか」  それは、春の木漏れ日が優しい、とある日のことだった。

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