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第16話

 父と離れ、ぼんやりと花を眺めながら思案に暮れていたレオーネに声をかける者があった。 「やあ、レオーネ。挨拶が遅くなってごめんね。思ったより人が来てくれたから、色々しなくちゃいけなくて……」  彼はカナン・アンドルフィという。今回の茶会の主催者であるアンドルフィ家の時期当主で、レオーネが子供の頃から懇意にしている数少ない人物だ。  彼は幼い頃から人見知りで大人しく、あまり前に出なかった。グレイがかった黒髪が瞳を隠しかけているほどで、穏やかで優しそうではあるが、次期当主が務まるのだろうかという疑問の声はレオーネの耳にも届くほどだったのだ。  しかしカナンもレオーネと同い年になり、背も高くなった。子供の頃よりは自分の立場への覚悟もできたらしい。茶会の主催者として立派に振舞っているのだから随分成長をしたと、レオーネも感じた。しかし、仲の良い二人になれば何歳になっても、かつて膝を合わせて花を見せたり石を見せたりした頃に戻ったような心地になる。  確か、数年前にアンドルフィ家が茶会を開いた時には、当主のラビア・アンドルフィが主催をしていたはずだ。カナンの祖父であり、まだ存命だがかなりの高齢である。元々彼に代わり当主となるため孫のカナンがアンドルフィ家へ養子として来たのだが、本格的に当主代行として職務を果たしているようだ。  そういう意味で、カナンのほうが自分よりも立派になっている気がする。いつまでも過去を引きずって、あんなことをしている自分よりは。レオーネは後ろめたい気持ちになりながら、カナンに答えた。 「お前には当主代行としての仕事が有るんだから仕方ないさ、カナン。それにしてもお前が主催だなんて、数年前までは考えられなかったが……当主様は息災でおられるのか?」 「うん。今はあそこに住んでいるんだけど……」  カナンはそう言って、アンドルフィ家の屋敷の一角を指差した。そこには小さな石作りの建物が有るが、窓にはカーテンがかけられ中の様子は見えないし、その周りは鉄柵と鉄扉が囲っており、いかにも「誰も来てはいけない」という空気を醸し出している。 「お爺様は……数年前に、少し体調を崩されて。それから誰にも会いたくないと、あそこに閉じこもってしまわれたんだ。だから僕もずっとお顔を見れていないんだけど……アーシェが世話をしているから大丈夫。ねえ、アーシェ」  カナンはそう言うと、後ろに振り返った。カナンの後方には、十二年前と同じ姿のエルフが静かに佇んでいる。  金色の長い髪を一つに結んでいる、穏やかで静かなエルフだ。彼はカナンに「はい」と深く頭を垂れてから、抑揚無く答えた。 「ラビア様はこのところは顔色も良く……本日のカナン様のお仕事ぶりにも喜んでおられると思います」 「そう、かな……。そうだといいのだけれど。お爺様の代わりになれるよう、もっと頑張らないと」 「カナン様はもう十分にお働きでございます。若かりし頃のラビア様によく似ておられて……アーシェは嬉しいのです。敬愛するラビア様の血を継いだカナン様が、こんなにご立派になられたこと……。ラビア様にご報告申し上げるのがいつも楽しみなのですよ」  アーシェはその時、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。感情表現の薄いエルフ達は、本来こうしたものだ。リゼロンだけが、特殊で。だからこそレオーネは彼に惹かれたのだし、ミカを新たに召し抱え、霧の森を抜けさせてまで再会したのだ。 「……カナン、実は。……霧の森のエルフに再会したんだ」  どういう形で、とはとてもではないけれど言えなかった。それでも、幼い頃からそのことを話していた間柄だ。十二年ぶりに進展があったことについて、話したくなった。 「えっ、あの……僕達が子供の頃に、レオーネが会っていたエルフ? 確か霧の森に入れなくなったって……」 「ああ。……やっと、霧の森を越える方法を見つけて。それでようやく会いに行けたんだ」 「……霧の森を越える……それは、どのような方法で、ですか?」  アーシェが静かに尋ねる。彼はかつて、母親の為の薬をリゼロンに求めてはどうか提案をしてくれた。その後の顛末は彼らも知っているし、葬儀の折りにはアーシェもカナンもやって来て、母を弔ってくれたものだ。 「俺のところにもエルフの従者がいてな。ミカと言うんだが……彼に森のことを調べてもらった。彼に言わせると、エルフは皆、精霊の声が聞こえるらしい。森を離れると精霊が少なくなるからあまりわからなくなるようだが……。詳しいことは俺にもわからないが、合言葉みたいなものが有るらしい。森の精霊達はエルフになら合言葉を教えてくれる、だからそれを言えば霧を開くんだそうだ」 「精霊の声……アーシェも聞こえるの?」 「……確かに、とても長い間聞いていないように思います。私はずっと昔からラビア様のおそばにおりましたから……」  しかし、とアーシェは目を伏せる。 「そのように簡単に森に入れるなら、私が試していればあのようなことにはならなかったかもしれませんね……」 「それは……仕方が無いことだ。アーシェが気にすることじゃない」  エルフというのは、そもそも主体性に欠ける。人の奴隷となっているエルフ達は特に、主の命令に従順であり、また自ら何かをするということが少ない。彼がカナンを通じて提案をしてくれただけでもありがたいことなのだ。 「……それで、その森のエルフとは、仲直りできたの?」 「…………いや」 「折角もう一度会えたのに、ダメそうなの? やっぱり、エルフが怒っているのかな」 「そうではないみたいだ。なんというか……何かを隠そうとしてる。それに何かを怖がってるようでな。上手くいかない」 「君のことを嫌ってはいないの?」 「それは無さそうだな。正直よくわからないんだ、あいつが何を考えているのか」  カナンはしばらくの間「ううん」と考えて、それから「レオーネ」と口を開いた。 「それならきっと、二人の間に何かすれ違いが有るのかもしれないよ。エルフのほうにも何か深い事情が有って話せないこととか。レオーネもお母様のことや昔のことで、思うところはあるんだし、無理にとは言わないけど……あまり踏み込まないほうがいいんじゃないかな。ほら、ぬかるみにハマった馬車を進ませようとしたら、一度引いて助走をつけたらいいみたいに――」 「今更、踏み込まないなんて無理だ、リゼロンに俺は――」  思わず名を出してしまって、レオーネは慌てて口を噤んだ。しかし手遅れだった。十二年も隠していた彼の名を、ついに外へ出してしまった。  だが、それで何が変わるというわけでもない。親友は柔らかく微笑んで、言葉を続ける。 「そのエルフ、リゼロンと言うんだね。彼が君のことを嫌いじゃないなら、きっと話し合う余地はある。だからね、難しいことだとは思うけど、感情的にならないで、一度ゆっくり話をしてみたらどうかな。積もる話も有るだろうし……」 「話……か……」 「うん。十二年も時間があいているんだもの。まずは問い詰めるより、お互いのことを知るのもいいんじゃないかなって、僕は思う。でも、的外れなことを言っていたらごめん」 「いや、――いや。そう、……だな」  レオーネは小さく頷いて、苦い笑いを浮かべた。  あんなことをしでかしておいて、ゆっくり話をするだなんて。そんなことが許されるとしたら、それはリゼロンがエルフだからだ。もし同じ人間同士であれば、そんなことは成立しないだろう。  けれど。仮に、許されるのであれば。  もし、そうならば――。

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