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第五話 夢と現実の合間
「父上、少しお聞きしたいことが……」
レオーネが父であるティベリオに声をかけたのは、アンドルフィ家の茶会に招かれている時だった。
アンドルフィ家はこの国にあっては比較的貧しい貴族だ。そのささやかな茶会に訪れた貴族の人数は少ない。その中であっても、少々変わり者だと噂の立っているフェルヴォーレ家の父やレオーネはあまり人に話しかけられない。だからこそ、レオーネは父に声をかけたのだ。
父はレオーネとあまり似ていない。父の話や、屋敷に残っている肖像画を見るに、父は祖母に似ていて、レオーネは祖父に似ているようだった。ティベリオは周りに人がいないことを確認してから「なんだ」と小さく返す。声など潜めなくとも誰かに聞かれそうな気もしないほど他とは距離が開いていたけれど、レオーネもまた小さく尋ねた。
「霧の森のエルフについてです」
「……父上の、……お前のお爺様のエルフか……」
父は思い返すように目を閉ざし、それから深いため息を漏らした。
「お前がその名を出すのは、妻が死んだ時以来のような気がするな」
「…………」
レオーネもまた、目を伏せる。確かにあの時はどうにかなりそうだった。
リゼロンに拒絶された悲しみと、理不尽に対する怒りと。そして、母を助けられなかった絶望に気がおかしくなるかと思う程だった。全部リゼロンのせいだと零したことも確かに覚えがある。
それきり誰の前でも彼の話など――従者になったミカ以外には、別荘の者にも詳しいことは知らせていない。
「……彼の事について、父上がご存知のことがあれば教えて欲しいのです。特に、お爺様とどのような関係だったのかについて……」
ティベリオはしばらくの間答えなかった。庭園では貴族の紳士淑女たちが、思い思いに花を愛で紅茶を楽しんでいる。彼らとの距離は、あらゆる意味で随分開いているから、しばらくは人が来ることもないだろう。
「……私もあまり詳しいことは知らないが……」
ティベリオが、ゆっくりと口を開いた。
祖父ダヴィードが残していた日記帳や、当時の使用人たちの言葉、それに父ティベリオの記憶していることをまとめると、こうである。
リゼロンと思わしきエルフがダヴィードのところへやって来たのは、まだティベリオが生まれる前のこと。祖父が20代前半の頃だと考えられる。ある雨の日に何処からかエルフを拾って帰って、その世話をしてやったのが始まりだというらしい。
その頃既に、野生のエルフはあまり見られなかった。この国では殆どのエルフは誰かの所有物か、巧妙に人間から隠れている、もしくは特殊な力を持っていて人の管理に置けない者の3つに分けられる。リゼロンもこれのどれかであったのだろうが、恐らくは「誰かの所有物」で「何処かから逃げて来た」のだろうとダヴィードは推測していた。
そう考えた一つの理由には、リゼロンがエルフであるにも関わらず、人を避けようとしている様子が見られたからのようだ。
一般に隠れているエルフ達は人間に好意的である。彼らは困った人間がいるとついつい手を貸してしまい、それで捕まることもしばしばだ。力の有るエルフに関しても同様で、人間が友好的であればあちらも答えるし、攻撃的であればなんらかの形で距離をとるだけで、人間に対し友好的なことに変わりがない。
しかし、リゼロンは違った。ダヴィードの所へやって来た時、このエルフは彼以外に全く心を開かず、彼の部屋に閉じこもっていたという。その時点で一般的なエルフとは随分違うのだけれども、隠れていた者が出て来ただけならまた隠れれば良いだけだし、力が有るのならそれを使えばいいだけのこと。つまり、リゼロンは何の力も無いエルフだったと考えられ、すなわちそれは誰かの所有物で、脱走したものと考えるのが妥当だった。
本来ならば飼い主のところに戻すのが筋ではある。ただダヴィードはこの哀れなエルフのことを非常に気にかけたようだ。リゼロンが元いた場所に戻すのは、「心のようなもの」を持ち合わせている彼にとって残酷なことではないか、と。
そこでダヴィードはリゼロンを領地の別荘に住ませることにした。日記などに記されているのはそこまでで、それからのリゼロンがどういう暮らしをしていたのかは定かではない。ただ巷では「ダヴィードは別荘に妾を隠している」と噂が立ったようだ。ダヴィードとその妻はなかなか子宝に恵まれなかったからでもあるだろう。事実ダヴィードは頻繁に屋敷と別荘を行き来していたようだったが、しかし彼らの夫婦仲は良好だったと聞いているから、噂の通り妾であったかはわからない。
その後、ダヴィードは二人の子どもに恵まれた。ティベリオとその妹である。しかし妹が生まれた時、遅い出産が災いして妻が亡くなった。ほどなくして、ダヴィードは最愛の人を失った悲しみから体調を崩してしまう。
その頃だ。リゼロンが屋敷へと戻って来たのは。
「そのエルフは別荘の近くの森に入ったらしい。そこで摘んだ薬草を煎じ、お爺様に飲ませたところ容態が良くなってな。それからしばらくは森と屋敷を往復していたが……そのうちお爺様が従者達に命じて、その森に家を建てさせた。一体何が起こっているのかはわからなかったが……エルフは私に、お爺様は助からないと悲しげに告げてな。それで、お爺様の亡き後はあの森に住ませてほしいと言う。
私もお爺様の命が長くない事ぐらいは見ていればわかったし、おかげさまでエルフを飼ってどうこうしたいという気もなかったから許可した。お爺様からはエルフのことを誰にも知られてはならないと言われたよ。ほどなくしてお爺様が亡くなり、その葬儀の間に彼は消え、あの森は霧に包まれた」
その後のことはお前のほうがよく知っているはずだ。ティベリオはそう締めくくった。
父の言葉にレオーネは思案する。
祖父が死んでから、自分が森に入るまでリゼロンは森から出なかったということになるだろう。何故、祖父ダヴィードの死と共に彼が隠遁したのか。レオーネは一つの答えに辿り着いている。
『……ダヴィード、さま……』
昨夜聞いた、リゼロンの言葉だ。
リゼロンが気を失ったのでそこで責めを止め、身体を綺麗にしてやっていた時のこと。彼が酷くうなされ始めたのだ。
自分が先程まで責め苦を与えていた手前、それをどうにかしてやるような立場ではないとレオーネはしばらく何もできなかったけれど、あまりに彼が苦しげだったから思わず抱き寄せた。背を撫で、大丈夫だと囁いてやった。昔、リゼロンが自分にしてくれたように。
その時、リゼロンは確かに呟いたのだ。ダヴィード様、と。幸せそうに。
その様子からレオーネは様々な憶測を抱いた。まず、あのリゼロンが「様」と人のことを呼ぶことが信じがたい。そしてその対象が、リゼロンを妾にしていると噂されていたらしい祖父であると考えると、その噂が事実だったと考えるのも妥当な話ではないだろうか。
そう考えると、リゼロンがあれほど人を避けているにも関わらず、レオーネを簡単に森へ受け入れた理由もおのずとわかる。愛した男の血を引いているから――。
そこまで考えて、レオーネは首を振った。理由がそれだけなら、父がリゼロンに選ばれていないのがおかしい。確かに、父は祖母似で祖父には似ていないけれど。つまり似ているから……? しかしそれは憶測の域を出ない。
もう一つ気にかかっているのは、何処かから逃げてきたというリゼロンが、何をそこまで恐れていたのかだ。
(俺のした仕打ちに悪夢を見ているのかと思ったが……それなら、俺の名を呼んで抱き着いてくるわけがないしな……)
ダヴィードの名を呼んだ後。リゼロンはレオーネの名も呼んだ。同等に思っているのかもしれない。しかし、そこにどのような感情があるのかは定かではない。
これもまた答えはリゼロンしか知らないことになってしまった。まあいい、それについては考えが有る。もし二日後、リゼロンがまだ別荘に留まっているならその時に問い質せばいい。
レオーネはそう決めた。こんなことになってしまった以上、真実を突き止めないわけにもいかない。レオーネはもうリゼロンを抱いてしまった。元の関係には戻れないのだから。
やるしか、ないのだ。
レオーネは小さく溜息を吐き出した
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