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第21話

 長い長いリゼロンの独白が終わっても、レオーネはしばらく口を開けずにいた。  様々な考えがよぎって、何から言えばいいかわからない。ただ、それがこの何十年と、そして数日間ひた隠してきた事実なのだ。レオーネはそれを少しずつ受け入れ、ややして「すまなかった」と漏らした。 「元より許される行為ではないが、リゼロンにとって辛い記憶にも通じていただろう、俺のしたことは……」  どこかに閉じ込められ、鎖に縛られて残忍に弄ばれた過去。図らずも、リゼロンがそうまでして逃げようとしていたことを、レオーネがやってしまったのだ。その残酷さを思うと、謝罪して許されるようなことでもないだろう。  しかし、意外なことにリゼロンはくすりと笑って首を振った。 「そなたのしたことが、あの記憶と同じであれば……私とて、こう落ち着き払ってそなたと共にはおらぬだろうよ」  そう言ってリゼロンが頭を撫でる。まるで幼子にするそれだ。困惑して彼を見ると、柔らかい微笑みを浮かべている。真実、彼はレオーネのしたことを気に留めてはいないのかもしれないと思えた。 「だ、だが……」 「そなたは、私に加減をしておった。本当に問い質したければ、私が泣こうが喚こうが責めを続ければよいのに、そなたときたら私を徹底的にいたぶるような真似はしないのだから……。ああ、ヒトの基準ではどうか知らぬがな。我らエルフは不老不死ゆえに、少々の荒事なら耐えられるのだ」  その言葉にレオーネは複雑な心境になった。人の基準で言えば、自分のしたことは罪に違いない。ただリゼロンが気にしていない以上、詫び続けても仕方のないことで、それは自分を納得させる手段にしかならない気がする。  そして、これまでレオーネがしてきたことを、たいしたことでないと受け取っているのなら。 (お前は、その失われた記憶の中でどんな恐ろしい目にあったんだ……!)  人の手を逃れ、記憶を失い、霧の森に閉じこもり。愛した人間のことも諦めるほど、傷つけられたのだ。その残忍さ、残酷さはレオーネの想像の範疇を超えていた。それこそが、リゼロンがレオーネを「優しい良い子」と評する所以なのかもしれないが、だとしたら皮肉なものだ。 「……レオーネ。私こそ何度でも謝らねばならぬ。ヒトの子は弱くて脆い。そなたを深く傷つけたこと、いくら詫びても詫びきれぬ……」 「……いや、……俺にもこれ以上は謝らないでくれ。頼む」 「レオーネ……」 「……それで、リゼロン。これまでの話を踏まえて……少し、提案がある。虫のいい話だと切り捨ててもらっても構わない。だから……」  レオーネは言葉を詰まらせる。虫のいい話なのだ、本当に。こんな提案は、本来なら許されもせず受け入れられもしないだろう。ただ、相手はリゼロンだ。そして今や、レオーネは彼の本心を知っている。 「……森から出て、共に暮らさないか……?」 「……!」  リゼロンは流石に驚いた表情を浮かべている。それはそうだろう。どちらの意味でかは測りかねるが。レオーネも、馬鹿なことを言うなと跳ねのけられる覚悟はしての提案だ。 「俺はもうあの時とは違って大人だ。お前には言っていなかったが、馬術も剣術も心得が有る。昔の無力な子供ではないから、俺に危険は及ばないだろう。それに、この部屋にいる間お前は森へ帰ろうともしなかったし、実際何者にも脅かされなかった。本当はわかってるんじゃないか、この屋敷の中は安全で、見ず知らずの人間以外には害が無いと」 「それは……」 「ここは安全で、そして俺ももう危うい存在だとは思っていない。だから、甘んじて全てを受け入れた。そうじゃないのか?」 「…………」 「俺は、……お前に救われた。確かにリゼロンのせいで襲われたのかもしれない、それでもあの日、野盗に襲われ逃げているところをお前に抱かれて、守られて、どれだけ安心したか。……だから今度は、俺にリゼロンを守らせてくれないか……?」 「……ふふ」  リゼロンはレオーネの言葉に、困ったように笑い返した。 「子羊めが、言うようになって」 「リゼロン」 「……良いのか? 私はそなたの母の憎き仇であろうに」 「……お母様は、天寿を全うされたのだ。そう思う他無かったんだよ、最初から。なのに俺は全てリゼロンのせいにしようとしていた……俺が愚かだったんだ」 「レオーネ」  リゼロンがレオーネの頬を包み込む。その優しい眼差しがずっと好きだったのだ。煌めく蒼の瞳が、金糸の長い髪が、柔らかな唇が自分の名を呼ぶのが。  愛おしくてたまらなかったのに、悲しみに沈んだ心は彼を責めずにいられなかった。 「何度でも言おう。そなたは何も悪くない。何かに怒りをぶつけなければ、生きていけぬものだ。私が記憶にも無い過去の出来事に縛られ続けるように」 「リゼロン……」 「……だが、そなたの言う通り。……私もまた、あの悪夢のような記憶のせいにして、全てから逃げ過ぎていたやもしれぬな……」 「じゃあ……」 「……うむ」  リゼロンは一つ頷く。 「そなたがそれを許すなら、私はこの館に住まわせてもらおう……。ここには可愛らしいミカもネイファもおる。居心地は随分良いしな」 「リゼロン……!」 「ただ、2日だけ時間をくれぬか」  一度、森に帰りたいのだ。リゼロンはレオーネの様子を窺うように少しの間をおいて、続ける。 「あの家には、薬の調合に使う器具や書付なども有ってな、きっと役に立つこともあるだろう。片付けて、必要な物は持って来たいのだ。……それに、……思い出の品もたくさんある」  リゼロンが静かに目を閉じる。何かを思い出すように。それはどこか、愛しげに見えた。もしかしたら、自分があの家に残した何かかもしれない、と考えてすぐにそれをかき消した。  リゼロンはややして瞼を開き、それから「止めぬのか?」と問うた。 「こんなことを言うて、そなたのもとから逃げるやもしれぬぞ。私は嘘をつくエルフだからな」 「だとしてどうなる。霧はミカがいれば越えられる。俺を騙して森に閉じこもったなら、また引きずり出せばいい。……それに、今更そんなことはしないだろう」  レオーネの言葉にリゼロンは苦笑して頷いた。 「だがリゼロン。出立は明日にしないか?」 「ふむ。何か都合がつかぬか」 「そうじゃない。……しばらく、こうしていたいんだが……ダメ、か?」  もはや強制する権利などない。最後のほうは恐る恐る尋ねていた。リゼロンはきょとんとした顔をしていたけれど、ややしてクスと笑う。 「今更そのようなことを聞くのか、そなた。昨日までの荒れた獅子が嘘のようではないか」 「リゼロン、俺は」 「よい、よい。そなたはやはり私の愛しい子羊だ。寂しがりの甘えん坊が鳴くなら致し方ない。今日のところは、共にすごそうではないか」  積もる話も有るしな。昨日までは自由に話すこともできなんだ。  リゼロンはそう悪戯っぽく笑って、それから言う。 「そうそう、よいかレオーネ。くれぐれも、ヒトの女へあのようなこと、してはならぬぞ。私はそなたが子羊だとわかっているからよいが。将来、そなたの伴侶となる女に同じことをしてみろ、獅子ではなく獣と思われようぞ」  レオーネはその言葉に驚く。その理由はいくつも有ったが、ひと際大きなものはリゼロンの口から自分の伴侶の話が出たことである。  彼は昨日、涙ながらに語っていた。そなたが愛おしいと。抱かれてからは、その気持ちがただ懐かしむ想いではないと気付いたと。そう語っていた。  それなのに、俺の妻となる人間のことを考えているのか。  思えば、彼の気持ちは昨夜自白した時に聞いたばかりで、今は何も言わなかった。伝えないつもりなのだろう。もしかしたら、レオーネが死ぬまで、それからも永遠に彼の中の秘密にするつもりなのかもしれない。  想い合っているというのにか。レオーネは言葉にしたかった。物心ついてからこちら、好きだと思ったのはリゼロンだけだ。そしてこれからもきっとそうだろうと。だからそばにいてほしいと。  しかし、言えなかった。今ようやっと森に潜むことをやめたばかりのリゼロンに、多くを求めすぎだとも思う。ここでそんな想いを伝えたら、「私のことは忘れろ」と今度こそ森どころか遠い国まで逃げて行くかもしれない。  なにも焦る必要はない。これからはずっと一緒いられるのだから、その間に伝えれば。だから、今は何も語らず、ただそばにいられることを喜ぼう。  そう思うのに、レオーネは胸が苦しい。 「……お前にだって、もうあんなことは二度としないさ……」  苦い気持ちで吐き出すのが、精一杯だった。

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