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第29話
どちらともなく口付けを交わしあう。それは最初触れ合うようなものだったけれど、やがて深く熱いものへと変わっていった。
リゼロンから口付けられることが嬉しくて仕方ない。夢のようにも思える。リゼロンの唇が、優しくレオーネの首筋に触れた。上に乗ったままの彼が、ゆっくりとした手つきでレオーネの服の前をくつろげる。そうされている間、レオーネはリゼロンの背を撫で、金糸の髪に指を絡めた。今はリゼロンのしたいようにさせてやりたかったのだ。
「……少しだけ、思い出したことがあってな」
レオーネの服のボタンを外しながら、リゼロンは囁くような静かな声で言った。
「私はかつて……ここではない、何処かの森に住んでおった。独り、だったように思う……。エルフというのは元来感情が薄いものだが……人の子を愛するようにできておるのだ。孤独は私にとって耐え難い苦痛で、……だから私は森を出て、人の子らの集落へ足しげく通ったように思う」
ぼんやりとしか思い出せぬのだがな。リゼロンはそう苦笑しながら、レオーネの肌に手を滑らせる。それが少々くすぐったいが、止めはしなかった。
「恐らく、この……エルフを家畜とする国とは、遠い場所だったのだろう。人の子らは私を敬い、大切にしてくれた。私もそれに応えるため、このような風になったのだろうよ。きっと数多の死別を見た。新たな命の誕生を、愛し合う者の輝きを見た。そうするうちに……私の中に、「心」のようなものが芽生えていたのだ」
それは、アーシェが主の死を泣き叫んだように。ミカが主やリゼロンを案じたように。人と関わるうちに、エルフの中にも「心」が生まれる。それは人の持つものとは少し違うかもしれないけれど、恐らく似ていた。
「なあレオーネ、この、心というのはどうしようもなく面倒なものではないか。これはひどく不安定に揺れて、己に嘘までつく。恐ろしいのに憐れみ、恋しいのに触れたくない。そなたとてそうであったろう、私を問い質したいのに、傷つけたくなかったのではないか?」
「……そう、だな」
確かに、心というのは厄介なものだ。己にも制御することは難しく、表に出る言動まで加わるとさらに面倒なものになる。素直に伝えられれば、どれほどよかっただろう。
ただ、状況と時間がそれを許さない。心と心が交われば、ときには軋轢が生まれ、互いの願いを叶えるためには誰かを悲しみの淵に落とさねばならないこともある。たとえ、誰の不幸も願っていなかったとしても。それは必ず、どこかで生まれてしまう。
「それでも、この心こそは、人なのだろうよ。この曖昧に揺れ動く、ひどく歪で、しかし熱いものこそは」
リゼロンが、レオーネの胸に口付けを落とす。人の心はそこに宿ると言われていた。脈打つ心の臓に存在すると。
「人の子たちは、魂を持っている。そなたらは、それを触れ合わせようと肉の身体を繋げ愛し合うのだという。一つになりたいと願って、一つになれぬ定めを憂いて……」
「……そう、だな。人は完全に分かり合うことができない。たとえどんなに愛し合った相手でも、家族でさえも」
だから言葉を交わし、時間を共にし、存在を重ねるのだろう。できぬと知りながら、それでも繋がりたくて。手を、言葉を交わし、ときに身を交える。
最初からそうすればよかったのだ。レオーネもリゼロンも。しかしそれができないのも、また心が在るからなのだろう。
救いようのないことだ、とリゼロンは苦笑して顔を上げる。その瞳が、熱で潤んでいた。薬も与えていない、縛っているわけでもない。リゼロンが、自らレオーネを求めて口をひらいた。
「……今この時だけ、私をヒトにしてくれぬか。そなたの心と、私のそれを触れ合わせてはくれぬか……?」
「く、……っ、う、あぁ、……っ」
リゼロンが、苦しげに声を漏らす。上に跨り奉仕するようにレオーネの熱を受け入れた彼は、大きくのけ反って震えていた。その腰を撫でてやりながら、レオーネは眉を寄せて快感を耐えている。
「……っ、リゼロン、大丈夫か……?」
深い呼吸を繰り返している彼に問うと、ややして首を縦に振る。声も出せないのではないか。だから無理をするなと言ったのに、自分が慣らしてやればよかったとレオーネは頭の中だけで考える。それが聞こえているように、リゼロンは「平気、だ」と呟いて、レオーネの腹に手を置く。
ふうふうと肩を揺らすリゼロンの肌は汗ばみ、赤らんでいる。確かに、彼が望んでそうしているのだし、快感も得ているのだろう。平気というのは嘘ではないだろうが、それでも無理はさせたくなかった。
レオーネが労わるようにさすると、リゼロンは何故だかクスクスと笑いながら覆い被さってくる。ナカが動いたか、「あ、ぅ」と声を漏らしたけれど、それでも楽しそうなものだからレオーネは困惑した。
「なんだ」
「いや、すまない。ふふ、少し前までとはまったく違うと思うてな」
別荘で行ったことについて言っているのだろう。レオーネはばつが悪くなったけれど、リゼロンの身体を撫でるのはやめなかった。頬を、頭を撫でていると、彼もまたレオーネの身体に口付けを落とす。
「責めているわけではないぞ?」
「わかってる。でも、あんなことはもうしない」
「本当か? そなた、アレはアレで愉しんでいたのでは?」
「やめてくれよ。もう、リゼロンの嫌がるようなことはしない。約束する」
からかっている。そんな余裕が有るなら、大丈夫だろう。リゼロンの背を撫で、「動けそうか?」と尋ねると、彼は小さく頷いた。
これまでのことの仕返しに、今度はレオーネにされるがままになってもらう。リゼロンはそう言っていたけれど、それが本心かどうかはわからない。この嘘つきなエルフは、本音を言葉の裏に隠すから。本当はただ、リゼロン自身が、レオーネを愛したいだけなのかもしれない。
だから、好きなようにさせる。リゼロンは「ん」と吐息を漏らしつつも上体を起こし、ゆっくりと腰を浮かせていった。
「あぅ、ぅ……っ、く、っ……」
呑み込まれていたレオーネの熱がずるずると抜けていくのが気持ちいいのか、耐えるように眉を寄せ、脚を震わせている。もちろんレオーネもその緩慢な刺激がたまらないから、耐えているのはお互い様だ。
抜けてしまいそうなほど腰を上げたところで、リゼロンは動きを止め、深い呼吸を繰り返す。そして、また受け入れていくのだけれど。
「ああ、あっ、……っ、くぅう……ッ」
手足の力だけでは身体を支えきれなかったらしい。ずるずるとリゼロンの意思に反して呑み込んでいくのが辛いのだか、気持ちいいのだか。彼がふるふると首を振りながら、悲鳴を上げる。さらさらと長い金の髪が揺れて、なんとも言えず淫靡な光景にレオーネはあらゆることを耐えなければならなかった。
手出しするなと言われているのだから、生殺しにも近い。リゼロンの内部はレオーネの熱を包み込んで、きゅうと絡みついている。今すぐ動きたい衝動を必死に抑えてはいるが、いつまでもつかはわからなかった。
リゼロンはといえばゆっくりと腰を上げ、またゆるゆると降ろすを繰り返していた。けれど、それは徐々に小さな動きになり、震えるばかりで何もできず、ただ俯いている時間が増えてきた。はあはあと熱い呼吸と、抑えきれない声だけが部屋に響く。リゼロンの表情を垣間見れば、切羽詰まっているようだ。耳まで赤く染め上げて、涙さえ浮かべたその姿にはいつもの気高さなど欠片も無い。今この時、彼はただレオーネと肉体を交えるひとりの「ひと」でしかなかった。
「……リゼロン」
「……? っ、あ、ア!」
名を優しく呼んで、その手を引く。バランスを崩したリゼロンが、力無くレオーネの胸に顔を埋めて鳴いた。ナカが動いたのだろう。その快感を耐えるように震えているリゼロンに、囁いた。
「あとは俺が動く」
「……っ、レオーネ、今日は私が……」
そう言って首は振ったけれど、だからといってリゼロンが身動きをするわけでもない。きっともう限界なのだ。気持ちよくて。そう考えると、レオーネももう我慢などはできなかった。
「ひあ、あっ、レオーネ、レオ、ネ、……っ、ぁ、あ!」
ゆるく突き上げ始めると、リゼロンは悲鳴のような声を上げ、縋りついてくる。それでも、以前のように拒絶も制止もしないのが愛おしい。快楽に流され始め、ただ胸元で嬌声を漏らし、レオーネの名を呼ぶリゼロンを強く抱きしめた。
できるだけ、優しく。甘く、けれど熱く。本当は、最初からそうしたかったのかもしれない。ただこうして、愛したかっただけだったのに。
ずいぶん周り道をしてしまった分、レオーネは長い時間をかけて、深く深く何度でも愛した。
いつのまに眠っていたのだろう。目を開けると、隣でリゼロンが眠っていた。疲れさせてしまったろうか、と不安に思ったけれど、よくも悪くも彼はエルフだ。目を覚ます頃にはけろりとしていることだろう。
苦笑しながら、髪を撫でてやる。深く眠っているらしく、リゼロンは目を覚まさなかった。彫像のように整った顔も、この時ばかりは子どものように無防備だ。これまで見てきたリゼロンは、こうした表情ではなかったように思う。責め苦に疲れ果てていたのかもしれないし、薬のせいで休まらなかったのかもしれない。
けれど、今は。安心しきったように、穏やかに眠っているのだ。レオーネの腕の中であると、きっとわかっているだろうに。それが嬉しくて、ありがたくて、申し訳無くて。レオーネは胸のうちで、再び誓った。
もう、過ちは犯さない。必ず、リゼロンを守り、幸せにする、と。
何も怖いことなどない。安全な場所でリゼロンは眠っていた。
「本当にこの部屋でいいのか?」
問われて、リゼロンは振り返った。そこには困ったような顔をしたレオーネが立ち尽くしている。
「別荘には部屋はたくさん有るんだし、別室でも……」
その言葉を聞きながら、リゼロンは小さく笑って、再び荷物を置き始める。
そこはフェルヴォーレ家の別荘の一室。レオーネの私室である。その一角に、リゼロンは森から運んだ荷物を並べている。今日から、ここが自分の部屋になるのだから。
同室で暮らすことに照れているのか、レオーネは始終困った顔をしていた。ミカは率先して荷物の配置を手伝ってくれたし、ネイファはしきりにそれを邪魔して遊んでいる。別荘の従者たちも、新たな住人を歓迎してくれた。なんとも賑やかなことだ。リゼロンはそのことにも笑みがこぼれる。
もちろん、リゼロンの個室も用意はされているらしい。それでも、レオーネと同じ部屋に寝泊まりしたかった。それはかつてのことを思い出すからでもあるし、今はいっときも離れたくないのもある。長い孤独の末、手に入れた幸福が夢でないことを抱きしめたい。身を繋げることだけがその方法ではないけれど、共に眠る時間をすごしたかった。
ふと、レオーネの祖父ダヴィードのことを思い出した。かつてこの部屋で暮らしていた頃も安全は約束されていたけれど、こんな風に幸福を噛み締めたことはなかったように思う。本当の自由ではないと理解していたのだろう。ダヴィードのことは深く信頼していたけれど、彼がいなくなれば自分がどうなるかわからなかった。それが故に、彼の死去と共に森へと逃げ込むことになった。
しかし、今は違う。ついに自分は自由を手に入れたのだと、心から思う。もちろん、自分がエルフという種族である以上、完全なる安寧は訪れない。以前そうであったように、商人に捕まり売り飛ばされる可能性はあるのだから。
それでも。自分が最も恐れていたことからは解放された。そして愛しい人の子と、その家族と共に暮らせるのだ。こんな幸せな日が訪れるなど、リゼロンは考えてもいなかった。だから今はただただ幸福で、嬉しくて。鞄の中から取り出した、押し花のしおりを愛しげに眺めては、引き出しに並べていく。
「ミカ、そなたにも子供時代のレオーネがどれほど愛らしかったか、たくさん教えてやろう。話す時間はたっぷりあるのだから」
「それは楽しみです。私もレオーネ様のことをよく知りたいですし」
「お、おいおい……」
レオーネが困った声を出している。それが愛らしくて、リゼロンはまたレオーネを振り返って囁いた。
「別室には、そなたへの愛想が尽きたときに入らせてもらおう」
「リゼロン、」
「だから、レオーネよ」
リゼロンはレオーネに微笑みかける。
「私を愛し、愛させてくれ。願わくば、そなたを失ったとき涙が止まらぬほどに」
「……ああ」
その言葉に、レオーネは笑って頷いた。リゼロンもそれに倣い、そして思う。
長きにわたり、己に纏わりついていた霧は、ついに晴れた。これから、レオーネたちとの新しい日々が始まるのだ――。
おわり
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