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【オンラインの君】オンラインの彼

 気怠さに枕にしがみつきながら、毛布に包まる。カーテンの隙間から漏れる光がまぶしくて、顔をしかめた。  不意に、枕元のスマートフォンが鳴り響いた。唸りながら手を伸ばし、画面を確認する。 「っ!」  メッセージの名前を見ただけで、心臓がキュッと鷲掴みされた気になった。送られてきたメッセージは一言だけ。 『おはようございます。昨日は大丈夫でしたか?』  その言葉に、昨日のことを思い出し、耳まで真っ赤になる。顔が熱い。心臓がバクバクして、眩暈がした。 「もぉヤダ!」  スマートフォンを伏せて、布団を被る。  昨日は―――。  昨日は、オンラインゲーム『シュヴァルツ†ナイト』で知り合った、クロさんこと哉康くんとのカラオケでのオフ会だった。まさか、あんなことになるなんて―――…。  そもそも、僕は人と接するのが苦手だ。高校時代は引きこもりで、息を潜めるように大学を卒業し、今の会社に入って、友人とちゃんと言える相手は、高校時代から付き合いのある年上の悪友・野上徹也ことノラくらいしかいない。役割(ロール)を演じている間は言葉も詰まらずに喋れるという理由で、ゲームではロールプレイ。会社では『社会人』を演じている。要するに、重度のコミュ障。  対する哉康くんの方は、見た目も雰囲気も行動力も、いかにも『リア充』な感じで、僕からすれば縁遠い人間。何故そんな彼が僕に構うかと言えば―――…。 『闇に従いし忌まわしきモンスター共よ、我が剣を食らえ! 行くぞ! 【挑発(ワック)】、【ダークネスブレイド】!』  ―――プレイしている姿がウケたから。  多分、哉康くんは楽しいことが好きな人で、ゲームでも大規模ギルドを運営している。イベントをしょっちゅうやって皆と交流したり、実際にオフで会ったりする。人と関わるのが好きで、人間が好き。他人とかかわる時間そのものが好き。  そんな人だから、ネタ勢である自分のプレイが面白くて、興味を持たれたのだろう。僕自身、「面白い」と言われることは嫌いじゃない。オンラインというフィルターを通してのやり取りは、直接やり取りするよりも怖くないし、怖い。けれど、いきなり距離を詰められたら、電源を切ってしまえばいいという気安さが、僕にオンラインでの活動を続けさせる所以なのだろうと思う。  哉康くんは人を喜ばせるのが上手で、その気にさせるのがうまいから、僕もついつい、普段はやらないボイスチャットをやったり、交流を増やしてしまったのだ。  そして偶然オフでも会って、押される形で遊ぶことになって―――…。 『でも、もう少し触りたい。ダメ?』  耳元に残る、熱っぽい声に、「うぐっ」と思わず呻いた。  なんで、あんなことに。  オフ会は、怖かった。緊張するし、何を喋れば良いかわからないし、嫌われたら―――怖い。  それでもノラに背中を押された時には、確かに自分自身、このままじゃいけないという気持ちがあって、頷いた。過去にあったトラウマで、僕は誰かと交流するのが苦手だ。  高校時代にオンラインゲームにハマって、そこで知り合った女性に、騙された経験がある。彼女のことを、好きだったかと言えば、好きだった。でも、恋かどうかは分からない。「ちょっと良いな」って程度だったとは思う。  けど、頼りにされたら悪い気はしないし、なにより僕は高校生で、そういう風に頼られる自分に酔っていた。  ある日、実際に会わないかと言われ、会いに行って―――。騙された。美人局だったのだ。暴力こそ振るわれなかったが、お金を取られて、精神的には傷つけられた。  そんなことがあって、僕は他人との付き合いを警戒してしまう。嘘を吐いているんじゃないか。また、騙されるんじゃないか。本当は―――僕を嫌いなんじゃないか。  けど、いつまでもそのままじゃダメだとは思っていて、僕は哉康くんの誘いを受けたのだ。哉康くんが、良い人なのも、僕に嫌な感情を持っていないことも、感覚で分かる。長くネットでのやり取りをしていると、不思議なことに顔を見ていなくても、何となくそれが解るようになるのだ。多分、人一倍他人の目を気にする僕が、そういう特技を身につけたというものもある。 (だからと言って!)  まさか、キスしたり、互いのモノを弄ったりすることになるなんて、想像するわけがない。その場のノリだったならまだしも、ホテルに誘われて、そのままノコノコついて行ってしまった。 (僕のばかーっ!!!)  哉康くんは宣言通り、最後まではしなかった。けど。 (もし―――。もし、されてたら……)  押し返していた自信がない。  哉康くんの言葉は、耳障りが良い。欲しい言葉をくれるし、その気にさせる。つい、流されてしまうのだ。  手慣れたキスと、スマートな誘い。カッコイイから、きっとモテる。なんなら、気遣いだって出来る。  僕は返事が出来てないけどな! (困った……)  なんて返せば良いんだ。心臓が早すぎて死にそう。顔が熱くて頭がおかしくなりそう。昨日のことを思い出して、恥ずかしくて死にそう。  哉康くんは―――どうしたいんだろう。 (僕は……)  マズい。  人と触れたことなんか殆どないのに。いきなりこんな濃厚な接触をしてしまって、どうにかなってしまいそうだ。二つも年下なのに、翻弄されてしまう悔しさと、妙な幸福感。  哉康くんは、魅力的なのだ。 (なんて、返そう……)  結局、返事を出来ないままに、僕はスマートフォンから目を逸らした。    ◆   ◆   ◆  会わなければ、どうということはない。大丈夫だ。僕は大丈夫だ。  あれから、オンラインでは今まで通り―――というよりは、少し距離が近くなった気がする。けど、やってることは今まで通り。皆で遊んで、雑談して。時々、哉康くんの声にドキリとするけれど、平然と「可愛い」とか「大好き」とか言ってくる哉康くんには呆れ半分、恥ずかしさ半分だけど、哉康くんには呼吸みたいなものだ。深く考えてはいけない。 (大丈夫。大丈夫)  言い聞かせるように、会社を出る。哉康くんを意識しすぎてる自分に気が付いてはいるが、気にしてもどうしようもない。あれはあの日の過ちで、あんなことは二度と起こらないんだから。哉康くんだってノリだったはずだし。気にしちゃいけないんだ。  今日は飯を食っていくか、買って帰るか。今日は定時で退勤したから、どこかに食いに行っても良い。なんて、考えながら歩いていた時だった。  ふと、顔を上げた先に、哉康くんの姿を見つけてしまった。 (げ)  ばくん。心臓が、あり得ないくらい跳ね上がる。血液が一気に沸騰したみたいに上昇して、顔が熱くなる。  マズい。  姿を見ただけで、こんなに緊張するとか。  哉康くんはまだ気づいていない。スマートフォンを耳に当て、誰かと会話しているようだ。このまま、気づかぬふりをして通り過ぎれば―――。 「あれ? 和文さん。ちょっとごめん、後で掛けなおす」 「―――」  気づかれた。  俺はポーカーフェイスを装って、笑みを浮かべる。 「哉康くん。お疲れさま」 「お疲れ様です。和文さんも仕事終わりですか?」 「うん―――。哉康くんは仕事じゃないの? 電話」 「いや、トムくんですよ」  哉康くんは当然のように僕の横を歩きだす。緊張して、手に汗が出た。 「和文さんも飯今からですよね。一緒に行きましょうよ」 「え、う、うん。良いけど」 「何、食いたいですか? 俺は肉だなー」  さらりと誘われ、反射的に返事をしてしまった。哉康くんの声を聴きながら、変に緊張している自分の手を抓った。  飯を食いに行くだけだ。変な感情なんか出すな。  この前みたいなことが、そうそうあってたまるか。 (哉康くんだって、フツーだし……)  哉康くんは、緊張の「き」の字もないって感じの表情だ。いつもと同じく、明るく軽い雰囲気のまま、お勧めの店を並べている。  僕はさりげなく深呼吸して、哉康くんについて行った。    ◆   ◆   ◆ 「はー、美味しかった。リーズナブルだし」 「良いでしょ?」  軽く酒もひっかけて、少し気分が良い。火照った顔に、夜の空気が心地よかった。  ふわふわした気分で歩道を歩く僕に、哉康くんが近づく。  あれ、なんか近いな。 「この後、どうします?」  掠れた声でそう聴かれ、俺は瞬時に顔を真っ赤に染める。  この後って。  ―――この後って。  哉康くんの指が、俺の指に絡む。皆まで言わなくても、どういう意味かは解る。子供じゃないんだ。 「和文さん……」  熱っぽい声で囁かれて、落ちない奴がいるなら連れてきて欲しい。    ◆   ◆   ◆ 「っ……ぁ」  短い声を漏らして、気恥ずかしさに手で口元を覆う。自分の声じゃないみたいな声に、戸惑いつつも触れられる指を拒絶出来ない。ついでに言えば、僕自身も哉康くんに触る手を止められないで居る。僕の手で反応を示すことに、多少の優越感があり、なおかつ、耳元で短く喘ぐ声に、もう少しその声を聞きたくなる。  倒錯的で、背徳的な、甘美な時間。 「和史さ……」  耳に口づけられながら、互いの性器を弄る。粘液でぐちぐちと音を立てながら擦り合って、固くなる性器から、精液が零れる。他人の―――男の精液だというのに、何故か哉康くんのには平気で触れるのだから、自分でもどうかしていると思う。  荒い呼吸を漏らしながら、名前を呼ばれ、心臓がぎゅんぎゅん音を立てるし、痛くなる。 (何だコレ)  考えても解らないことを、ずっとぐるぐる繰り返す。  哉康くんとこういうこと(・・・・・・)をするようになって、僕は自分に言い訳ばかりしている。多分、駅で再会したのは偶然で、二人ともそんなつもりはなかったと思うのに。それなのに、自然と肌に触れあうようになってしまったのは、結局心地よかったからで、僕も哉康くんも、忘れ難く、離れがたかったからだと思う。  ヌチュヌチュと粘液を混ぜ合い、気持ち良さに我を忘れ、悪い事をしているような後ろめたさとともに、精液を吐き出す。射精の余韻に浸りながら、舌を絡ませ合い、何度もキスをする。 「ンっ……」 「……はっ……あ…」  唇を離し、一瞬見つめ合って、もう一度唇を合わせる。何度やっても、満ち足りないみたいに、物足りない。  もっと深く触れ合いたいと、頭の何処かで思って居るのは、危険信号だろうか。 「和史さん、可愛い……スキ」  尻に手を伸ばす手をひっぱたき、僕は唇を噛んでやる。甘噛みに、哉康くんは擽ったそうに笑った。 「セクハラすんな」 「ケチー」  そう言って、クスクス笑いながら、哉康くんは僕の髪を撫でる。僕も背中に手を回し、襟足を撫でてやった。擽ったそうにする笑顔に、胸がズキリと痛む。  こんなことばかりしているからか、それとも、最初からそうだったから、今こんなことになっているのか。順番なんて解らないけれど、どうやら僕は哉康くんが好きらしい。  声が、指先が、笑みが、愛おしいと思う。僕を見て蕩けるような笑みを浮かべる彼が、僕は好きだ。 「大好き」 「はいはい」  好きだと自覚した次に感じたのは、幸福ではなく悲しみだった。  哉康くんは―――不誠実だ。  気易く「好き」を繰り返す哉康くんに、先ほどまで熱っぽい感情に支配されていた胸が、冷えていく。  一緒に過ごすようになって、なんという不誠実な人だと、気がついてしまった。  哉康くんは、気持ちよくする言葉を言う。相手が喜ぶ事をする。でもソレって、全然誠実じゃない。相手のことを考えて居るようで、考えて居ない。むしろ、何も考えて居ない。  思考を放棄して、相手任せにしている。そう見える。  僕は―――。  僕は、哉康くんに、好きになって貰いたい。―――っていうか、好きだろ、お前って思ってる。  僕のことを好きな癖に。好きだと、熱っぽい声で言う癖に。キスをして、互いの熱を確かめ合っても、それ以上を求めるそぶりをしても。 『―――そういう意味で好きなわけじゃないです』  嘘を吐け!!!!!  どう見ても、何処から見ても、僕が好きだろっ!!!!  と、叫び出さない僕を評価して欲しい。  ノラ相手に嫉妬していること。僕が哉康くんを好きなそぶりを見せてにやけてること。喜ぶようなことを言って、嬉しがること。ちょっと放置して拗ねること。全てが、一つの答えを導いていると言うのに。 (―――鈍感……)  最初は、男同士で有ることを気にして、勇気が無くて言わないのかと、そんな気はないそぶりをしているのかと、そう思って居た。僕も言えたことじゃないし。  けど、どうも違うらしい。  黒木哉康という男は、どうやら本気で、自分がそういう意味で「好き」だと、自覚がないらしいのだ。 (鈍感っ! 鈍感っ! 鈍感っ!)  別に、哉康くんから言って欲しいとか、乙女チックなことを考えて居る訳じゃない。ただ、そもそも、そんな言い訳をする哉康くんに腹が立つし、何より僕が告白して「そんなつもりじゃなかった」とか言い出したら、刺したくなる。 (どうしてくれようか……)  僕を抱き枕にして寝息を立てる哉康くんを、じっと睨む。  恋って、翻弄されるものだとは思うし、悩むものだとは思ってるけど。 (こんな悩みをするとは……)  呆れて、苛立って、くそ。可愛いじゃないかと思ってる自分にも腹が立って。 「覚悟しておけよ」  宣戦布告を呟いて、僕は眠る哉康くんにチュッとキスをした。

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