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第4話 最後の舞台
無意識に「トリ」と呼んでしまったから、ということではないが、トリヤとの距離が縮まってきた気がする。“前世からの恋人”だと思わなければ、そこそこいい友人関係になれそうだとも思った。
(いや、金持ち を友人なんて思うのはおかしいか)
金持ち は金持ち 同士としか親しくつき合わない。それはどの街の金持ち も同じだ。
わかっているのに、つい友人のように思ってしまうのは、トリヤが俺のよく知る金持ち らしくないからだろう。
「本当に金持ち らしくねぇよな」
「なんだ?」
「いや、なんでそんなモンを気に入ったのかと思ってな」
「単純においしいと思ったからだが?」
そう言ったトリヤが、生クリームたっぷりのクレープを口に運んでいる。クレープ自体はどこの屋台でも売られている安物なのに、それをどこで手に入れてきたのか皿に載せ、ナイフとフォークで食べるのだから笑えてくる。
それでも実際に笑わないのは、トリヤの仕草があまりに優雅だからだ。ここが庶民の集う広場で、パラソル付きテーブルの下だということを忘れそうになる。
「甘い物好きだったんだな」
「さぁ、どうだろう。食卓にこういったものは並ばなかったからわからないが」
「はぁ? あんた、生クリームを食ったことがなかったのか?」
「それはある。ただしこんなに甘すぎず、もっと上品な天然香料の香りがして上質な乳の甘さが広がるものだった」
なるほど、ものは同じでも材料や調理法が違うのか。上品なものしか口にしない金持ち らしい言葉だ。
「しかし、これは中毒性のある甘さだな。こんな情熱的な甘さには初めて出会った」
「はいはい、お気に召したようでよかったですね」
「馬鹿にしているのか?」
「そんなことはねぇよ。それにいまのでもう三個目だぞ? いい加減胸焼けしねぇか? こんなに食う奴なんてキーリヤ以外で見たことねぇよ」
「キーリヤ?」
トリヤの黒目が細くなった。どうやら俺の口から他人の名前が出るのが気に入らないらしい。そういう表情にも慣れてきたからか、俺は驚くこともなく「歌い手の女だよ」と教えてやる。
「あの食いっぷりを見ると、女の甘い物好きはすげぇなって関心させられる」
「たしかに女性は甘い物を好むかもしれないが、こんな甘さの物は食べないぞ」
「は?」
「彼女らは体型を気にする。それに甘いものは美容にもよくないと言って、様々な調整が施された人工甘味料を多用する傾向にある。残念ながら、僕には人工甘味料のおいしさはわからないが」
「……金持ち の女ってのは、なんかすごいんだな」
「さぁ、普通じゃないか?」
何でもないことのように口にしたトリヤが四個目のクレープを皿に載せた。そうして美しく切り分け、形のよい口に運んでいる。
いまみたいな話や食事の仕草を見るたびに生きる世界が大きく違うことを実感させられた。やっぱり金持ち とはひとときの恋を楽しむくらいがちょうどいい。そんな相手と“前世からの恋人”になったとしても、住んでいる世界の違いに嫌気がさすに決まっている。
(って、俺は何を考えて……)
これじゃまるで俺がトリヤと恋人になりたいと思っているようじゃないか。
(何を馬鹿なことを)
軽く頭を振り、服で拭っただけのリンゴにかぶりつく。同じテーブルで向かい合って座っているのに、トリヤと俺はこんなにも違うのだと改めて思った。「それだって、どうでもいいことだよな」なんて思いながら皮ごと咀嚼していると、トリヤがじっと俺を見ていることに気がついた。
「なんだよ。リンゴをそのまま囓るのは行儀が悪いって?」
「いや、リンゴ好きなのも同じなんだなと思っただけだ」
「またそれか」
俺が何かするたびに、トリヤは「同じだ」と感想を述べるようになった。以前は一日一回ほどだったが、いまは頻繁すぎて数える気にすらならない。
「いい加減、そういう言い方はやめろよ」
「きみこそ、いい加減思い出せばいいのに」
「いくら言っても俺に前世なんかねぇから」
「まだそんなことを言ってるのか」
「うるせぇよ。年下のくせに生意気だな」
そう言うと、トリヤの片眉がひょいと上がった。
「同じことを前にも言われたな」
「言ってねぇよ」
「前世でのことだ」
「前世でも生意気だったってことか」
今度は黒目を少し細めて笑っている。そんな表情を見せられると、どこを見ればいいのかわからなくなる。
(あんなに無表情だったくせに)
それなのに最近はこんなに表情豊かになった。カイムは「そうか?」と首を傾げるが、そのうち声を上げて笑い出すんじゃないかと思うくらい俺の前ではいろんな表情をする。
「いい加減、思い出せばいいのに」
「だから、俺に前世なんてねぇって言ってんだろ」
少し強めに反論すると、トリヤの顔が無表情に戻る。
「もしくは、思い出したくないほどの最期だったということか」
その言葉には何も言えなかった。というより、トリヤの顔と抑揚のない声が気になって文句が出てこなかった。
久しぶりの舞台を前に、俺は時間が許す限り稽古に励んでいた。そんな俺に何か言いたそうにしていたトリヤだったが、いまは稽古場の一角で踊る俺をおとなしく見ている。たまに足が動いているように見えるが、もしかしたら踊りが好きなのかもしれない。以前なら「一緒に踊るか?」なんて声をかけたかもしれないが、いまの俺にそんな余裕はなかった。
(これが最後の舞台になるだろうからな)
だからこそ悔いのない踊りを披露したい。そのためには時間がいくらあっても足りなかった。
(せっかくオオハギのご当主様が声をかけてくれたんだし、いままでの礼も兼ねてしっかり踊らないと)
立てる舞台がなくなった俺に声がかかったのは三日前のことだった。座長に呼ばれて久しぶりに劇場側の楽屋に行くと、そこにはオオハギのご当主様の姿もあった。
「タマヨリに、ぜひ踊ってほしい舞台があってね。座長とも相談したんだが、きみはまだ花道舞台を行っていないし問題ないだろう」
「舞台、ですか?」
まさかの言葉に、喜びと同時に疑問が浮かんだ。俺に“前世からの恋人”が現れたという話を知らない街の人はいない。まだ花道舞台には立っていないが、状況としては引退したも同然だ。そんな俺に踊ってほしいという舞台があるとは思えないが、ご当主様がいるということは嘘ではないのだろう。
「実は、八日後にオオキリの跡取りがお忍びで来るという話があってね。先方から、ぜひ一番人気の踊り子の舞台が見たいと言われたんだ。他の踊り子も考えたんだが、街を代表する一番人気といったらタマヨリ以外はあり得ないだろう?」
「あの、オオキリって……」
「きみの“前世からの恋人”の兄が来るという話だよ」
ご当主様の言葉に座長を見ると、少し困った顔をしながら小さく頷いている。つまり、いろいろわかった上で俺を選んだということだ。
金持ち 同士の駆け引き材料にされた感は否めないが、この街の踊り子は元々そういう存在だから不満はない。それに、どんな理由があるにせよ舞台に立てるのはうれしいことだ。「これが最後だ」と思って踊れる場所があるのなら喜んで立とう。俺はしっかりと頷き「お引き受けします」と答えた。
部屋に帰った俺は、さっそくトリヤに舞台の件を尋ねた。もしかしてトリヤが裏で手を回したのではと思ったからだ。しかし驚いたのはトリヤも同じで、「兄さんがこの街に?」と眉をひそめた。
「なんだ、あんたが手を回したんじゃなかったのか」
「そんなことはしない。それに、タマはそういうことが好きじゃないだろう?」
「いや、別に気にしたりはしねぇよ。踊れるのなら贔屓されてもかまわない。っていうか、踊り子ってのは大体そんなもんだしな」
俺の言葉にトリヤが微妙な表情を浮かべる。
「なんだよ、その顔は」
「……いや、そこは違っているなと思って」
「また前世か」
「もしくは、忘れてしまったからか……いや、僕が知らないだけか」
「前世ばっかりだな」と小さくため息をつくと、トリヤが「そもそも兄さんは知らなかったはずだ」と言い出した。
「何をだ?」
「僕がこの街に滞在していることは、家族には伝えていない」
「はぁ? それって家出の最中だってことか?」
「まさか。ただ、降雨祭が終わった後もこの街にいることを知られると面倒だったんだ」
「なんだそりゃ」
トリヤはそれ以上の話はしなかった。だから、俺もそれ以上聞くことはしなかった。
翌日から俺は劇場の稽古場を借りて稽古を始めた。普段から部屋で稽古を続けてはいたが、本格的な練習はしばらくしていない。なまった体を元に戻すために、部屋ではできなかった大きな動きを中心に何度も稽古をくり返した。
それをトリヤは飽きることなく毎日見に来た。一度「別に付き合う必要はねぇぞ?」と言ってみたが、「見たいから見ているだけだ」と返されてからは好きにさせている。
ちなみに俺が踊るのは吉祥の舞という鳥の踊りだ。めでたいときに踊るもので、オオハギのご当主様からも勧められた。
吉祥の舞は、これまで数え切れないくらい踊ってきた俺の大好きな踊りだ。最後がこれなら文句はないし、見てくれる街の人たちも喜んでくれるだろう。トリヤの兄が喜んでくれるかはわからないが、熱心に稽古を見るトリヤの様子から喜んでもらえそうな気がする。
早朝から稽古場に入って踊り続けた俺は、昼前に一旦稽古を中断して外に出た。昼飯を食べるためだったが、ついでに新調した衣装の調整をしに行くことにした。
「お~。いい感じだ」
「でしょっ、でしょっ? もう二度とタマの衣装は作れないって思ってたから、今回は気合いが入りまくりなのよ~」
「あはは、助かる」
「どーんと任せて!」
そう言って逞しい胸を叩くのは、長年踊り子たちの衣装を作ってくれているお針子のゲンゾウさんことルゥ姉さんだ。大きな体に見事な筋肉を持つ大男だが、繊細に動く太い指はお針子たちの誰よりも素晴らしい衣装を作り上げる。踊り子はもちろんのこと、街の全員が尊敬の念を込めて通り名の「ルゥ姉さん」と呼んでいるが、本名の「ゲンゾウさん」と呼ぶとぶっ飛ばされるからという噂もあった。
「それよりタマちゃん、前よりも少し痩せたんじゃない?」
「そうか?」
「降雨祭のときの衣装より、腰回りを少しつままなきゃいけなかったわよ?」
「あー、たぶん前みたいに稽古できなかったからだろうな。ちょっと筋肉が落ちた気がする」
俺の返事に眉を下げたルゥ姉さんだったが、すぐに明るい表情になって「なぁんだ」と声を出した。
「あたしはてっきり、“前世からの恋人”と激しい夜を過ごしているからかと思ってたのに」
「いやいやいや、こいつは恋人じゃねぇから」
「照れなくてもいいだろう」
「照れてねぇよ!」
思い切り否定した俺を、なぜか衣装合わせにまでついてきたトリヤが目を細めて見下ろしてくる。
「街中の人たちがきみのことを『夜が激しい』と評しているのに、僕には何もさせてくれない」
「うるせぇぞ」
「いい加減、辛抱強い恋人に褒美をくれてもいいんじゃないか?」
「褒美ってなんだよ」
「恋人への褒美といえば、当然ベッドの中で……」
「すました顔で答えてんじゃねぇよ!」
思わず大声で遮ったら、なぜかルゥ姉さんがクスクスと笑い出した。
「何だよ、姉さんまで……」
「だって、タマちゃんが“前世からの恋人”とうまくいっていないらしいって噂を聞いたから、あたし心配してたのよ?」
本当にこの街の奴らは“前世からの恋人”の話に夢中すぎる。俺は信じていないままだが、少し潤んだ目で俺を見るルゥ姉さんを見ると何も言えなかった。
「それにね、捨て子の踊り子たちは“前世からの恋人”と出会って始めて幸せになれるのよ」
「そんな話あったっけ」
「昔からあるわよ? 踊りの神様は、踊りを愛しながら不幸になった可哀想な魂を踊り子として生まれ変わらせているの。親がいないのは神様の子どもだからと言われているわ。そうして生まれ変わった踊り子は、前世で想いを残した相手と結ばれるのよ。もちろん、相手も神様が呼び寄せてくれるんだから。だから、“前世からの恋人”は今度こそ幸せになりなさいっていう踊りの神様からの贈り物だって言われているのよ」
さっきまでとは違う熱っぽい眼差しでルゥ姉さんが宙を見つめている。両手はしっかりと握り締められ、まるで神様に祈りを捧げているような姿だ。
それにしても、そんな話があったなんて知らなかった。たぶん興味がないから聞き流していたんだろう。
しかし「神様からの贈り物」とは大袈裟な話だ。そんな贈り物を用意するくらいなら恋人じゃなく家族を用意してくれればいいのにと思う。そうすれば、少なくとも小さい頃に抱く家族への飢えは感じなくて済んだはずだ。
「タマは僕が幸せにするから問題ない」
突然聞こえてきた声に、何を言い出すんだと呆れながら声の主を見た。
「間違いなく僕が幸せにする」
どうしようもないことを二度も言い切ったトリヤを睨んでいると、ルゥ姉さんが「きゃあぁ!」と野太い歓声を上げた。
「さっすが“前世からの恋人”ね! もうっ、あたし全力で応援しちゃう!」
「任せてくれ」
「うう~ん、任せちゃう~! ねっねっ、もし必要な衣装があったら声をかけて。あたし何でも作ってあげるわ。そうだ、花嫁衣装も用意してあげる! あぁ、どんな衣装がいいかしら!」
「ちょっと、姉さん」
とんでもない言葉に静止しようと声をかけたが、再び神に祈るような姿に変わったルゥ姉さんには聞こえていないようだった。代わりにすまし顔のトリヤを睨む。
「あんた、何言ってんだよ」
「本心だが?」
「だから、それ以前に俺はあんたの恋人になるなんて言ってねぇだろ」
「照れなくていい」
「照れてねぇよ!」
フッと笑ったトリヤをもう一度しっかり睨んだ。四つ年下とは思えない表情に若干怯みながらも睨み続けると、はっきりとした笑みを浮かべたトリヤが口を開いた。
「今度は僕が幸せにする」
「今度は」という言葉が気になったが、ルゥ姉さんの「いっやぁぁ! すてきいいぃぃ!」という雄叫びに、俺は頭を抱えるしかなかった。
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